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一階の事務所に向かおうと、階段を目指して歩くこと、数分。……ふと、見覚えのある二人組を見つけてしまった。
──最悪だ。進行方向に立つ二人の姿を見て、俺は内心で悪態を吐く。
……兎田主任と、先輩だ。今まさに、鉢合わせしたくないコンビだった。
二人は、真剣な表情で話しこんでいる。
一階の事務所へ戻るための階段は、ふたつ。俺が今使おうと思っていたのとは別の階段は、多少遠回りになる。
だが、今は先輩とできるだけ関わりたくない。とは言っても事務所では隣だから、避けるのには限度があるけれど。
無理な話ではあると分かっているが、そうじゃないときくらいは近寄らないようにしたい。俺は迂回しようと、踵を返す。
──だが思わず、立ち止まってしまった。
「──俺様には一切関係ねぇが、ウシのお気に入りのあのガキ。最近、かなり根を詰めてるらしいじゃねぇか」
二人の話題は、まさかの俺関連。
聞きたくないのに、気になってしまう。俺は足を止めて、いけないと思っていながらも耳を澄ませる。
「意外だなぁ。人間嫌いの主任君が、そんなことを口にするなんて」
「そりゃ、日曜日の夜中に会ったからな。こっちとしては知るつもりなんかなかったっつの。むしろ、見せつけられたんだよ。……ったく。テメェもテメェだが、そのお気に入りってのも迷惑な奴だな」
「……日曜日の、夜中?」
──しまった。
先輩は俺を『最近朝が早くて、帰りは遅いな』くらいの気持ちで見ていただろう。
しかし兎田主任に口止めをするのを忘れていたせいで、それだけじゃないとバレてしまった。
あの時は現実逃避をしたかっただけなのだが、変に思われたらどうしよう。俺は内心で、どうしようもないほど焦り始める。
兎田主任は相変わらずの冷たい口調で、会話を続行させた。
「なんだか知らねぇが、よっぽどなにかに悩んでるんじゃねぇのか?」
「……珍しいね。主任君が、そんなに誰かを気にするなんて」
「勤勉な奴は嫌いじゃねぇからな」
「へぇ。……それはまた、珍しい」
どうしよう、どうしよう、と。幼稚な焦燥感が、俺の思考を奪っていく。
もしも、兎田主任が持ってきた商品データの入力作業を、俺が一人で終わらせたと先輩が知ったら。先輩はいったい、なんて思うだろう?
仕事を頑張って、先輩にアピールしていると思われたりしないだろうか。
……いや、そうは思われないはずだ。先輩は底抜けにポジティブな一面もあるが、かと言って度を越した自惚れ野郎ではないだろう。
しかし、会話の雲行きが怪しい。このままでは以前のように、兎田主任が先輩のトラウマを刺激するかもしれない。
……『お前が言えたことじゃないだろう』だって? 悪かったな、分かっているよ。
それでも俺は、もう二度と俺なんかのせいで、先輩を傷つけたくないのだ。
──これ以上兎田主任になにかを言われる前に、その話題を終わらせよう。俺はそう、決心する。
だから俺は、二人の前を通らないと使えない階段を選ぶことにした。
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