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そうだ! そうだった、そうだったじゃないか!
俺は階段を下りている途中で、急に意識が朦朧としたのだ。それに耐えられずしゃがみ込んで、それで……。今度はしゃがんでいるのが辛くなって、確かそのまま倒れて……っ。
いや、俺の体調なんてこの際どうだっていい。
近くにいた先輩に、迷惑をかけてしまったかもしれない。そっちの方が、何倍も気がかりだ。
「──うわっ!」
そう思い出すと同時に、聞き覚えのある声が響いた。まるで、なにかに驚いたかのような声だ。
その声は、聴き間違えるはずもない……。
「せん、ぱい……っ?」
先輩の、声だ。
先輩はノートパソコンに向けていた視線を、俺に移した。
「ビックリしたぁ。いきなり大声を出して起き上がるんだもん」
そう言う先輩の顔は、自己申告の通り驚愕の色を浮かべている。
ヤッパリ、さっきの驚いたような声は先輩のものだったのだ。俺がいきなり起き上がったから、先輩を驚かせてしまったのか。
──だけど、なんで先輩がここに?
もしかして、と。俺がそう思うと同時に、先輩は答えを口にした。
「大丈夫? 階段の踊り場で急にしゃがんだと思ったら、君、そのまま倒れたんだよ? 僕も兎田君も、凄く心配したんだからね?」
先輩と兎田主任が、ここに運んでくれたのか?
ノートパソコンの光に照らされながらそう言う先輩は、いつもの笑顔を浮かべている。それを見ると、消そうと思っていた気持ちがまた、勝手に溢れてきそうになった。
──先輩の笑顔が、好きだ。なにもかもがどうでもよくなって、妙に安心してしまう。
けれど、今はそんなことを考えている場合ではない。俺は慌てて、先輩に向かって頭を下げた。
「すみません、先輩! 迷惑を、かけてしまって……っ!」
先輩はノートパソコンを閉じて、俺の顔を覗き込んだ。
「うーん……? 薄暗くてよく分からないけど、少しは顔色が良くなった……の、かな?」
「え、っ」
先輩は距離を詰めて、俺の顔をジッと見つめてくる。
至近距離で見つめられて、先輩は『ただ心配してくれているだけだ』って、分かっているのに。浅ましい俺の恋心は、勝手に頬を熱くさせた。
先輩は俺の顔を見つめたまま、困ったように笑う。
「最近の子日君、根を詰めすぎていたから。……君の顔色が悪いのは、知っていたんだよ」
そんなふうに言われると、嫌でもドキドキしてしまう。
──見て、たのか。俺の、顔。
そんな些細なことなのに、俺は喜んでいるようだ。
隣のデスクなのだから、嫌でも目に入る。理由なんて、それだけ。それでも俺の胸は、バクバクとしつこいほどに叫んでいる。
あれから、一度も『セックスしよう』と言ってこなかったから。てっきりもう、俺に興味はなくなったのかと思っていた。
……あぁ、悔しい。少しだけ、嬉しい気がするなんて。
俺が馬鹿みたいにそう思っていると突然、先輩が瞳を伏せた。
「──でも、君の気持ちは知らなかったよ」
それを聞いて、俺は思わず……。
「──っ」
ビクリと、体を震わせてしまった。
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