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最終章 : 2
兎田主任は依然として、心底不愉快そうだ。
それから舌打ちをした兎田主任は突然、ふたつのクリアファイルを俺に突き出した。恐る恐る、俺は目の前にあるクリアファイルへと手を伸ばす。
「……えっと。これ、は?」
「片方が、テメェらの汗の臭いがするアロマのデータだ」
──心の底からマジで要らない。
「そしてもう片方が、濃い汗の臭いを無臭化する消臭スプレーのデータだ」
──勘弁してください。
いつもはただの怖い人だが、さすが専用の仮眠室を持っているほどの人だ。商品の企画や開発に関しては、ずば抜けた天才なのかもしれない。たった一晩で俺たちの【そういうの】をネタとし、商品のアイディアにしてしまったのだから。
しかし、どんな気持ちでこの商品データを入力すればいいのだろう。
「後で、ウシの後釜にその消臭スプレーのサンプルを持って行かせる」
まさかの商品化。しかも、俺にとっての同期兼友人にそれを売りに行かせるという、鬼も大泣きするほどの鬼畜な所業。やることが徹底している。
そして大人の権力を行使しまくっているのに、大人げない。もう会議で検討して、しかも商品化を決定させたのか。……普通に、凄いな。
「二度とここでヤるな。次からはせめて会議室にしろ。……いいな、ビッチネズミ」
「ビッチじゃな──……あっ、いえ。本当に、申し訳ございませんでした……」
もう一度深々と頭を下げると、兎田主任は仮眠室に戻った。
……そう言えば、兎田主任の呼び方が『ガキ』から『ネズミ野郎』に変わっていたな。
ふと、倒れる前に盗み聞きしてしまった『勤勉な奴は嫌いじゃねぇ』という言葉を思い出す。もしかしたら、名前を覚えてくれたのかもしれない。
しかしそんなこと、今は大した問題ではないのだ。兎田主任が仮眠室に戻ったのを見送った後、俺はすぐに事務所へ戻った。
すると、なにも知らない先輩が俺を見て、パッと笑顔を向ける。
「おかえり、子日君っ」
「……はい。ただいま戻りました」
「なんで親の仇を見るような目で僕を睨んでいるのかな?」
先輩の隣にある自分のデスクに戻り、俺は消臭スプレーのデータ入力を始めようとした。……ちなみに、もう片方の資料は裁断機にぶち込む予定だ。
「子日君、子日君」
「なんですか」
「子日君は、朝ご飯をしっかりと食べているかな?」
「はい? えぇ、まぁ?」
パソコンに視線を注ぎながら、片耳で先輩の話を聴く。
「それじゃあ食欲を満たしたことだし、次は性欲を満たさない?」
消臭スプレーで人間の存在を消せないかどうか、兎田主任に提案しに行くぞこの色魔。
だが、先輩がこう言ってくるのは分かっていた。だからさほど驚かないし、狼狽えもしないぞ。
一度関係を持ったから、もう二度と先輩からセクハラ発言を送られないかもしれない。そう思っていたのも事実だが『まぁ、この先輩なら言ってくるだろう』という確信めいたものの方が強かった。
けれど、先輩がこれを本気で言っているのか。はたまた、いつもの冗談で言ってきているのかまでは、分からなかった。
そう思うとやはり、俺たちの関係はあまり変わっていないのかもしれない。……だがそれも、ヤッパリ悪くはなくて。
俺は兎田主任から手渡された書類をめくって、一先ず普段通りに眉を寄せた。
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