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続 1 : 9

 僕のことを呼ぶために動く唇が、艶めかしい。  瞬きを繰り返すまぶたと、揺れるまつ毛。それすらもなんだか幻想的で、見ていると変な気分になって……。  ……あっ、あれっ? あれっ、あれれっ、なにこれっ、なんなんだろう、これはっ?  ──ヤバい。これは、確実に良くない流れだ。 「先輩、今度は顔が赤いです。……もしかしてこれ、なにかのウイルスとかですか?」 「わっ、分かんない……っ」 「先輩にも分からないんですね。……だけど、一先ず水を持ってきます」  そう言い、子日君が立ち上がる。 「一度、口の中をリセットしましょう。それで、後は体を落ち着かせて……その後、体がどうなるかによって今後の行動を考えましょう、先輩」  あっ。どう、しよう。このままじゃ、子日君が僕から離れてしまう。それは……い、やだ。  ──だって僕は、今すぐ子日君を押し倒したいのだから。 「えっ? 先輩、どうしました?」  立ち上がった子日君の腕を、僕は慌てて掴んでしまう。  僕の様子に驚いた子日君は、しゃがむことですぐに僕と目線を合わせてくれた。  ……駄目だ。なにかを言わないと、優しい子日君は不必要な心配を重ねてしまう。早く、早く『僕は平気だよ』って。そう、言わなくちゃ──。 「──子日君。キスが、したい……っ」  冷静な説明を、すべきなのに。そうとは分かっているというのに、できそうになかった。 「せんぱ──んっ!」  ──なぜなら今の僕は、理性を失った獣以下の男なのだから。  目線を合わせてくれた子日君を強引に引き寄せ、その唇に僕の唇を押し付ける。一ヶ月ぶりの感触は、やはり愛おしくて、官能的だ。  突然引き寄せられた子日君は、バランスを保つのがやっとらしい。そのままフラフラと不安定にさせるよりは幾分かマシだと信じて、僕はすかさず子日君を床に押し倒した。 「せっ、先輩……っ?」 「ごめん、子日君。我慢、できない……っ」 「えっ? なに、が……っ?」  子日君の肩を押さえて、空いているもう片方の手で子日君のネクタイを掴もうとする。  早く、シャツの下にある肌が見たい。そこに手を這わせて、唇を寄せて、子日君の喉から甘い声を引き出したくて。僕は即座に、子日君を脱がそうとして──。 『気持ち悪いんだよ……ッ!』  不意に、初めてこの家に招いてもらった日のことを……思い、出した。  鋭く、僕を拒絶し非難する子日君の声。あの日の目を、思い出したのだ。  初めて本気で、子日君を襲おうとした日。場所は今と同じく、この部屋。  あの時は本気で僕を拒絶する子日君の反応が、ただただ嬉しかった。それが堪らなく幸せに思えて、可愛く見えて……。あの頃は【特別を持たない子日君】が、どうしても欲しくなった。  ……だけど、今は違う。 「先輩? 本当に、どうしちゃったんですか……っ?」  不安そうに、子日君が僕を見上げている。ほんの少し震えた声で、僕を呼んでいるのだ。  もしも、今。あの時と同じように、子日君から拒絶されたら。……たぶん僕は、立ち直れないだろう。  そんな僅かばかりの理性が、なんとか僕を現実に繋ぎ留めてくれた。

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