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続 4 : 3
水を飲んで、幸三は口の中を湿らせる。
「正直に言うとさ、ちょっとビビッたけど。や、それは悪い意味じゃなくて。本当に、ビクッとしたんだよ。……けど、なんでか不思議と『そうだよなぁ~』って思った」
「なんだよ、それ」
「なんだろうな? けど、だからかな。オレは……うん。嬉しかった、のかな?」
なんとも、要領を得ない感想だ。そもそもなぜ、キスシーンの当事者に感想を述べているのだろうか、この男は。
まぁ、分かっている。これはキスに対するコメントではなく、俺と先輩に対してのコメントだ。分かってはいるのだが、気恥ずかしい。ただ、それだけだ。
「悪い、幸三。お前の言いたいことが、俺にはよく分からない」
それでも俺は、素直な感想を幸三に伝える。幸三はカツ丼に目を向けたまま、言葉を続けた。
「オレさ、ずっとブンに言ってたじゃん。『周りに関心を持て』って。そうしたら、人生がもっと楽しくなるんじゃないかなぁ~って。そう思ってたからオレは、ブンにそう言い続けてた」
確かに、幸三からはよく、そう言われていたな。さすがに彼女をとっかえひっかえするほどの人間になりたいとは思わないが、それでも幸三の伝えたかった意味が、今なら分かる気もする。
「ブンって、いっつもつまんなそうな顔してたからさ? 一回でいいから、楽しそうにしてるところを見たかったんだ。……まぁ、できれば? その相手はブンの大親友であるオレが良かったけど」
「っ。……悪い」
「えっ? ……あっ、違う違う! 全然責めてるつもりとかはないって! シンプルに『残念だぜ』ってだけで!」
「なおさら、悪かった」
顔を上げた幸三が、パッと明るい表情を浮かべた。
「いいんだって! そういうところも含めて、ブンらしいなぁ~って話だからさっ!」
幸三はヤッパリ、嘘を吐いていない。気を遣ったような笑みでは、なかった。
「ブンにとって、そうできる相手ができて……オレは、嬉しいよ。ちょっと悔しい気持ちはあるけど、あの人はいい人だからなっ」
「幸三……」
「初対面の時から相性良かったもんな、ブンと牛丸サン!」
「それは勘違いだぞ、幸三」
なんだ、大丈夫そうじゃないか。見られたのが幸三だけだったのは、不幸中の幸いだ。不幸に変わりはないが、まぁ、いいだろう。幸三になら何れ、言っていたかもしれないし。
俺はようやく割り箸に手を伸ばし、それをパキッと真っ二つに割る。……おっ、綺麗に半分こだ。気分がいいじゃないか。
そのまま後は、幸三と雑談を交わすだけ。ミッションを達成したような気分になりながら、俺はうどんを食べ始める。
「なにが『勘違い』だよ。なんだかんだでいい感じに収まったくせにさ! ……あっ、今のは下ネタじゃねーからな!」
「そう注釈を入れられると、そう感じ取ってしまうんだが」
「なんだよ、照れるなって! どうせいい感じなのは本当なんだろ?」
「……まぁ、そこそこ」
後は、普段通り。若干むず痒い話題ではあるが、俺が本気で嫌がるようなことまではしないだろう。幸三の気が済むまで、今日は得意でもない恋バナに興じてやろうか。
……そう、思っていたのに。
「──だからこそ、教えてほしいんだよ。……なんでブンは、オレが『牛丸サンとブンがキスしているところを見た』ってことを、牛丸サンには言わないでほしいんだ?」
さすが視野の広い男だ。
俺の発言を、しっかりと憶えていやがった。
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