168 / 250

続 4 : 8

 言って、いいのだろうか。土壇場になって、悩んでしまう。  本当に、今がその時なのか。誰かに俺たちの関係が知られたとして、それを【今の先輩が】どう思うのかが、分からない。  兎田主任は、先輩にとって少し特別な立ち位置の人物だろう。そもそも兎田主任は人間が嫌いで、俺とは別の意味で周りに特別な関心を抱かない。そんな特殊な人だから、先輩にとっては例外なのだ。  だが、幸三はそうじゃない。幸三は、俺たちと比べると普通のタイプだ。  他人に関心がない俺とは、違う。恋愛が怖い先輩とも違うし、人間嫌いの兎田主任とも違った。  そんな、先輩が恐れる【普通】を持つ相手に、先輩が心の柔らかいところを踏まれて。……果たして先輩は、平気でいられるのか。 「……じ、つは」  ここにきて恥ずかしながら、緊張してしまう。情けなく口ごもってしまい、なかなか本題が切り出せない。  すると先に、背後にいる先輩が口を開いた。 「──もしかして、竹虎君?」  ズバリと言い当てられた俺は、反射行動かのように先輩を振り返る。すると、そこにあったのは……。 「竹虎君と今朝、内緒話をしてからだよね。子日君の様子が、おかしくなったのは。だから、なにかあったのかなって」  実に、悲しそうな顔だった。  さすが、先輩だ。目敏いではないか。  すぐに先輩は、自身が悲し気な表情を浮かべている意味を教えてくれた。 「てっきり、竹虎君に告白でもされて……それで、子日君の気持ちが動いたのかと思──」 「──それはありえません」 「──そんな食い気味に」  幸三のことは嫌いではないが、特別には思えないのだ。幸三よ、赦せ。告白もされていないが、俺はお前を振らせてもらう。  しかし、先輩はそんな不安を抱えていたのか。それは申し訳ないことをしてしまったな。もう少し、先輩のネガティブ思考を理解してあげるべきだったぞ。  ……だが、違う。こっちではなく、むしろそっちの心配をすべきなのだ。  これ以上、先輩に不必要な心労はかけたくない。どうせかけるのなら、必要な心労だ。心の中で幸三を振ることで、俺はようやく決心がついた。 「幸三に、見られたんです。俺たちが職場で、キスしたところを」  すぐに俺は、回された先輩の腕を見る。仮に右手首を掴んだら、なんと言えばいいのだろうと。そう、即座に考えてしまったからだ。  しかし、先輩の左手は動かない。 「それを僕に言うか言うまいかで、君は悩んでいたの?」 「有り体に言ってしまえば」 「なるほどね」  抱き着いたまま、先輩は黙っている。……そうされると、どうしていいのか分からないぞ。  怯えているのなら、そちらに寄った対処を。なんとも思っていないのなら、杞憂だったのかと安堵をするだろう。  だが、先輩は黙っている。笑いもせず、泣きもせず、怒りもせず、右手首も握らない。今の先輩がどんな心境なのか、表面を見るだけでは判断がつかなかった。  しかし、ようやく。黙っていた先輩が、口を開いた。 「──ねぇ、子日君。……僕って、そんなに頼りないかな?」  そんな、予想外の言葉を紡ぐために。

ともだちにシェアしよう!