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続 4 : 11
先輩が、俺を恐れる。
俺が最も遠ざけたかったのは、とどのつまり、それ。俺はなんて保守的で、自分勝手で、傲慢で駄目な男なのだろうか。
怖くて堪らないはずなのに、先輩はせめて俺だけは受け入れようとしてくれている。それがどれだけ、勇気の要る行為なのか。……どれだけ、大きな好意なのかを、俺は分からなくちゃいけない。俺だけは、先輩のことを誰よりも理解しなくちゃいけないのだ。
──俺が、誰よりも先輩を分かっていたいから。
先輩がわざと、俺に【お願い】という単語を遣った理由。その意味が分からないほど、俺は愚か者ではないと証明したかった。
……だから。
「……っ」
ようやく、意を決する。俺は逡巡の末に、俺の手を握る先輩の手を……そっと、握り返した。
すると背後で、先輩が小さく笑う。
「そんなにおっかなびっくり触らなくても、壊れたりしないよ」
「分かっています……っ」
「……文一郎。僕は、大丈夫だよ」
「分かって、います……ッ」
震えてしまいそうな手を、心の中で叱咤する。指先が冷えてしまわないようにと、なんとか熱を送った。
俺は手に力を込めて、ようやく……先輩と同じくらいの力で、手を握り返す。
チラリと、視線を落とした。その目線が見つめる先は当然、俺の手を握っていない方の手──先輩の、左手だ。
先輩の左手は、動かない。右手首を掴むために動こうとは、していなかった。
……本当は、分かっている。先輩は、俺が思っているよりも強い人なのだと。だけどその強さは【優しさ】から生まれているとも、俺は分かっていた。
先輩の持つ【強さ】が、俺を傷つけまいとする優しさからの【強がり】だったらどうしよう、と。そんなことが、不安で堪らなかった。
……だけど、きっと。
「今まで、ごめんね。優しい君の気持ちに気付いていたのに、甘え切っていて」
「そんなこと、言わないでください……っ。俺は全然、そんな……いい奴じゃ、ないから……ッ」
「それも、気付いていたよ。……君が持つ、優しさゆえの脆さと弱さ。それも知っていたはずなのに、僕は今の今まで救ってあげられなかった」
そう言う先輩が今、俺に見せているものは……。
「大丈夫だよ、文一郎」
──これは、本当の【大丈夫】なはずだから。
「章二さん……っ」
後ろを振り返り、俺は先輩の顔に自身の顔を近付ける。
「──好きです、章二さん」
そのまま俺は、難関を突破したことにより溢れ出た不思議なアドレナリンに、まるで勢い良く突き飛ばされたかのように。
……先輩に、キスを贈った。
まさかキスをされるとは思っていなかったのだろう。先輩の目は、キョトンと丸くなっている。
「好きですよ、章二さん」
もう一度、触れるだけのキスを贈った。
手を強く握り合い、まるで【普通の恋人同士】がするキスのように。俺は目を閉じて、キスを贈ったのだ。
「……うん。僕も、文一郎が好きだよ」
唇が離れると、先輩がそう囁いた。
だから今度は、俺ではなく先輩の番。俺は握った手を放さず、そして先輩も、俺の手を放さないでいてくれたから。
俺が瞳を閉じると、すぐに。……先輩から、キスが贈られた。
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