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続 4.5 : 2
重たかった足取りが、さらに重たくなる。脳内で繰り広げられているトークテーマが、オレをそうさせているのだ。
特別な、相手。特段、価値も個性もないオレが……誰かの【特別】になれるとは。ありえないことだと、さすがのオレにも理解できた。
──だけどもしも仮に、そんな相手が現れたとしたら?
──オレの言葉に心を動かし、オレのことを誰よりも大切にしてくれて、オレじゃないとダメと言ってくれる人が現れるなら?
「オレにとってその子は、凄く特別な子になるんだろうなぁ~」
こうして、受け身だから。だからきっと、オレは変われない。
「あ~あ。ブンが事務所でキスしなければ、オレはこんなこと考えなくて済んだのになぁ~」
ブンが浮かべた、照れ笑い。
『──あぁ。すっごく、幸せだ』
あんなブンの笑顔、初めてで。……あの笑顔を見てから、オレはおかしくなっていた。
親友が浮かべた、柔らかくて温かい、あの笑顔を見てからずっと……。
「……って、なに考えてんだよ、オレ!」
こんなことを仕事中に考えるものではない。オレは気持ちを切り替えて、なんとか足を動かす。
ちなみに、オレが向かっているのは兎田サンの仮眠室だ。商品のサンプルを受け取りに向かっている途中とも言う。
すっかり、オレは営業部の中で兎田サンの専属になってしまった。兎田サンに用事があると、営業部のセンパイたちはなぜか全部オレに頼んでくるようになったのだ。酷い、あんまりすぎる。
だが、仕方ない。兎田サンは誰が見ても怖いからな。今まで牛丸サンが相手をしていたのだから、その後任となったオレがその立場を引き継ぐのはジメイのリってやつだ。……くそぅ、納得できそうでしたくないぞ。
……だけど、そうか。そう言えば、兎田サンもブンと牛丸サンのことを知ってるんだよな。
それを知って、兎田サンはなにかを思ったのだろうか。オレのように、妙なモヤモヤを抱えたのかもしれない。
だがこんな気持ち、誰かに言えるはずもない。オレが頭の中で考えていることは、誰にも言ってはいけないのだ。
だってオレは、空虚でつまらない男なのだから。普段通りのヘラヘラとした笑みを浮かべて、意味もなくハイテンションであるべきだ。
だから、言わない。誰かに、察されてもいけないのだ。
……それにしても、だ。
「ど、どうも~っ。商品のサンプルを取りに来ました、竹虎です~……」
──何度来ても、ヤッパリ兎田サンに会うのはコエェ~ッ。
もうなんて言うか、あれだな。兎田サンに【会う】って言うより【遭う】って感じだ。だってマジでコエーもん。なんであの人、いっつも他人を威嚇して──。
「──オギャァーッ! いきなりドアが開いたァアッ!」
「──なんだよ、うるせぇな」
バンッ! と。それはそれはデカい音で、扉が開く。物思いに耽っていたオレからするとその音は強烈で、堪らず大声を出してしまうほどだ。
中から現れたのは、普段通りに半裸の兎田サンだった。扉の開閉音も、いつも通りだ。兎田サンはオレをジロリと睨みながら、いつもと同じく怖い顔をしている。
うぅ~、怖いぞ、怖い! こんな時、ブンがいてくれれば!
などというどうしようもないことを考えつつ、オレは兎田サンを必死に見上げ続けた。
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