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続 5 : 11
予想外の光景に、僕は絶句しかけた。
それでも、僕は【普段の僕】らしくいなくてはいけない。塞がりかけている喉を強引にこじ開けつつ、僕はニコリと笑みを浮かべた。
「どうしたの、子日君? 仕事が溜まっているわけでもないのに、どうして残っているの?」
事務所に、子日君が残っていたのだ。
僕は『兎田君の仮眠室へ行く』ということを告げた後、きちんと子日君に『お疲れ様』を伝えたはず。そこで、今日の僕たちは解散したはずだ。
子日君はメールボックスの整理作業をしながら、僕を振り返ることなく答えた。
「先輩、いつも兎田主任にいじめられるじゃないですか。なにかあったとき、泣きつける相手がいた方が少しは気が楽かなと思いまして」
「……そんな理由で、いつ戻って来るか分からない僕を待っていたの?」
「兎田主任のいじめって、正直【そんな理由】なんて些事どころではないと思うのですが」
パソコンをシャットダウンしつつ、子日君は言葉を付け足す。
「まぁ、なんとなくそれらしいことを言ってはみましたが。……ただ純粋に、俺が先輩を待ちたかったから待っていただけですよ」
あくまでも、自分のため。僕のためではなく、自分のために僕を待っていたと。僕に必要以上の気負いをさせないために、子日君は素っ気ない態度を取りつつも甘い言葉を付け足した。
いつだって、子日君は優しい。今日も変わらず、優しかった。
……だから、絶対に駄目だ。僕が弱っていることを、僅かばかりも気取られてはいけない。
「今日も僕の子日君は可愛いなぁ。ほっぺにキスをしたくなっちゃうよ」
隣のデスクに寄り、僕は椅子に座る。普段通りの笑みを浮かべて、それはそれはいつも通りの僕に見えるように。
デスク周りの片付けをしながら、僕は子日君に言葉を返した。彼にこれ以上、心配をさせないために。
「今日は珍しくいじめてこなかったよ! ……あっ、でも、ひとつだけ。差し入れに文句は付けられちゃったかなぁ。兎田君、ブラックコーヒーが飲めないんだって。知ってた?」
「いえ、初耳です。意外ですね」
「だよね? ブラックコーヒーとかエナジードリンクを愛飲しているイメージがあったから、本当に驚いちゃったよ。それで、僕が自分で飲もうと思っていたミルクティーを奪われちゃった」
「なんともお二人らしいやり取りですね」
「えぇっ、そう見える? それはなんだか複雑だなぁ」
よし、大丈夫そうだ。前はすぐに見抜かれてしまったけれど、今日はもう大丈夫。声は普段通りに出ているし、笑顔だって完璧。いくら子日君と言えど、今の僕に違和感は──。
「──ですが、先輩。微笑ましい実話を挟むのは構いませんが、嘘はやめてください。俺に、その手の嘘は通じません」
……分かっちゃう、のか。さすが、僕の子日君だな。
「以前、俺がこうした状況で怒ったのをお忘れですか?」
「っ。……ごめんね、子日君。だけどこれは、僕だけの問題だから」
「ほら。ヤッパリなにかあったんじゃないですか」
「あははっ、失言しちゃった。……でも、いいんだよ。僕のことは気にしないで」
駄目だ。甘えたりしちゃ、駄目なんだよ。
これは、僕の問題だ。僕自身でどうにかしなくちゃいけない問題で、子日君に迷惑をかけちゃいけなくて……。
「先輩。俺に迷惑がかかるとか、そういうことは気にしないでください。俺は先輩の味方でいたいし、そして理解者でありたいんです。相手が誰であっても、俺は先輩をその人から守りたいんです」
……簡単に『守る』なんて。そんなこと、言わないでよ……。
「だから、話してください。俺は、先輩が──」
──僕は、君に守られているだけの男にはなりたくないんだから……ッ!
平静さを失っていた今の僕は、どうかしていて。先行する気持ちを落ち着ける余裕もないまま、鋭く言い放ってしまった。
「──あぁもうっ、しつこいなっ! いい加減、僕個人の問題は放っておいてよっ! 子日君には関係ないんだからッ!」
どう考えても、ミスチョイスでしかない発言を。
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