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続 5 : 12
我に返ったって、もう遅い。僕は鋭く尖った言葉で、子日君の心を傷つけたのだから。
「……あっ。ねの、び、く……っ」
漏れ出た声は、あまりにも情けない。僕は慌てて顔を上げて、隣に座る子日君を見た。
すると意外なことに、子日君とは目が合わなくて。
「そう、ですね。確かに、今の俺はしつこかったですね。すみません」
「っ!」
子日君は嫌味や不貞腐れでもなく、本心からの謝罪を口にしたのだ。
なにか、言わなくては。そうは思うのに、言葉が出てこない。
──このままでは、子日君が自分を責めてしまうかもしれないというのに。それだけは、絶対に避けなくてはいけないというのに、どうして……ッ。
「今日はこれで、失礼します。お疲れ様でした」
子日君はテキパキと帰り支度を済ませて、僕に頭を下げる。そしてそのまま、普段通りの足取りで事務所から出て行ってしまった。
閉じられた扉を見て、数秒後。ようやく動いたのは、子日君を引き留めるための手だ。今さら伸ばしたって、遅すぎると言うのに。
……僕は今、子日君になにをした? 馬鹿馬鹿しすぎる疑問を頭の中に浮かべると、理性によって答えは即座に返ってくる。
──傷つけた、のだ。他の誰でもない僕が、他の誰でもない子日君を。
「……どう、しよう……っ」
謝らなくては。……しかし、なんと言って?
兎田君に、弱さを指摘されて心を踏み荒らされた。そのことを伝えれば、僕がどうかしていた理由を子日君は即座に理解してくれるだろう。
だが、告げたら最後。子日君は僕を心配し、僕への庇護欲を強めてしまう。……それだけは、絶対に嫌だ。
僕は、子日君が好き。誰よりも優しいところが、大好きだ。
だけど、僕は子日君に【優しくされたい】わけではない。厳密に言うのであれば、彼に【守られ続けたい】わけではないのだ。
だからこの弱さを、伝えるわけにはいかない。僕の情けなさでこれ以上、子日君を……。
『先輩が、完璧超人じゃないってことをですよ』
不意に、子日君が言ってくれた言葉を思い出す。そうしてようやく、僕はハッとした。
──今、僕は本当に【子日君のためを想って】黙ろうとしていたのか?
子日君に心配をさせないために、子日君に迷惑をかけないために。僕はそう唱えながら、弱さを隠したのだ。……その結果、どうなった?
──その結果、恋人を傷つけて。それで僕は、誰を守ろうとしていたのだろう。
「……謝ら、なくちゃ」
深く、傷つけてしまった。このことを、一秒でも早く謝らなくてはいけない。
そして、見栄を張るのはやめよう。兎田君となにがあったのかを伝えて、それから素直に伝えるのだ。……情けないけれど、僕はトラウマを全く克服できていない、と。
今さら、なにを隠す必要がある? 今さら、子日君になにを隠せると言うのだ?
だって、子日君は言っていたじゃないか。
『あのですね、先輩。俺はね、もうとっくの前から知っているんですよ』
『なんでも自分一人でできると思い込んでいるのでしたら、その自己認識は間違っています。今すぐ要らない書類と一緒に、その考えは裁断機へぶち込んできてください』
初めて、事務所で一夜を明かした日。子日君は僕にそう、言ってくれたじゃないか。
だったら、勘違いをしているのは僕だ。【牛丸章二】という人間を誰よりも勘違いしているのは僕で、だからこそ僕は兎田君を怒らせて、子日君を傷つけた。
謝って、全てを告白して。……その後、どうなるのか。それはまだ、分からないけど。
「子日君……ッ!」
椅子から立ち上がり、僕はすぐに事務所から通路へと飛び出す。
扉を開けて、きっと外まで出てしまったであろう子日君を追いかけよう。そう思い、僕は両脚にグッと力を入れた。
……だけど。
「──良かった。あと一分遅かったら、本当に帰るところでしたよ」
扉を開けると、すぐそこに。
壁に背を預けて立つ子日君が、通路にいた。
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