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続 5 : 13
子日君が、まだ会社にいてくれた。……しかも、扉一枚を隔てた、すぐ近くに。
僕は扉を開け放った手をそのままに、すぐさま目が合った目当ての人物をジッと見つめた。
「……えっ? どう、して……っ?」
戸惑う僕を見て、胸がスッとしたのか。子日君はうっすらと口角を上げて、僕を見る。
「さっきの言葉が先輩の本心じゃないことくらい、分かっています。俺の観察眼と先輩に対する理解度を嘗めないでくださいよ」
恋愛に関するトラウマを刺激されて、僕は動揺してしまった。グチャグチャになった気持ちを隠そうとしたのに、子日君はそれを見破ったのだ。
……そして、今回もそう。子日君は僕よりも早く、僕の全てを分かってくれていた。
「でも、二度はないです。先輩がまた大人げないことをしたら、今度はお腹をパンチしてから『馬鹿』と言い、俺はうっすらと涙を浮かべて『殴っちゃった』と言ってから立ち去りますからね」
たぶんそれは、なにかのアニメのシーンだ。つまり、子日君なりの茶化しだった。
よく分からない仮定の状況説明に対して『それってなんのアニメ?』というツッコミも入れられないまま、僕は……。
「子日、く……っ」
瞳にジワリと、涙を滲ませてしまった。
奥から溢れ出ようとする涙はすぐに僕の視界を揺らし、目の前に立つ子日君すらも揺らした。
「ごめん、ごめんね……っ。本当に、ごめん……っ」
乱暴に、僕は袖で目元を拭う。
子日君は視界を袖で覆った僕にも伝わるよう、わざと大きな音でため息をこぼす。
「いいから、一回そっちに戻りましょう。応接セットに移動すれば通路からは死角なので、前回みたいな失敗は起こしません。ここで先輩に泣かれると、色々と困るんですよ。……外聞とか」
「うん……っ」
「『自分のことしか考えていないね』とか、そういうツッコミを期待していたのですが」
「うん……っ」
「……事務所の中、戻りますよ」
子日君が先に、扉をくぐる。それから提案通りに応接セットまで移動して、子日君は自分の正面に座るよう指を指した。
その時にはなんとか涙を引っ込めさせていた僕は、子日君の正面。……ではなく、子日君の隣に座った。
「ごめん、子日君」
「それは俺の指示を無視して隣に座っていることに対してですか? それとも、さっきの大人げない八つ当たりに対してですか?」
「後者も、そうだけど。……なによりも、僕について、だよ」
「前者はスルーですか。別にいいですけど」
俯いた僕は、すぐに自分の右手首を撫でてしまう。
誰かに触られるくらいなら、自分で押さえる方が何倍も──比較にもならないほど、マシ。最早この行為は、ちょっとしたおまじないレベルだ。
……ちなみに【おまじない】は、漢字で書くと【お呪い】と表記されるのだが。まったくもって、皮肉な事実だ。
僕が右手首を触るということが、どういうことか。知っている子日君は、難しい顔をして僕の顔を覗き込む。
「もしかして、兎田主任に……」
子日君の問いに対して、数分前の僕なら首を横に振っていただろう。
だけど、今の僕はそうできなかった。
……いいや、違うね。
「兎田君に『トラウマを克服できている気がする』って、言ったんだよ。本当に僕は、変われていると思っていたから。そうしたら、兎田君は嘘の告白をして僕を試したんだ。……結果が、この様。僕は兎田君に、嘘を吐いちゃったんだ。だから、因果応報として……結局は『なにひとつ、僕は変われていない』って、痛感しちゃったんだ」
隠したく、ないから。
僕は一度だけコクリと縦に頷いてから、全てを告白した。
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