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続 5 : 14
いつだって、子日君が寄り添ってくれたのに。
子日君を不安にさせないために、子日君に必要のない心配をさせないために……僕はいくらでも、強くなれる気がしていた。
だけど、結果はコレ。僕は結局のところなにも変われていなかったし、子日君以外からの好意を一切受け付けられなかった。
それは表面的には『浮気の心配がない』というふうに見えるかもしれないし、ハッピーな方向に話を持っていくのなら僕としても『そうでしょう?』と言えたかもしれない。
……だけどね、そういう話じゃないんだよ。
「あの兎田君が、僕を好きなわけがない。誰に言われなくたって、そんなものは僕が一番分かっている。……それなのに僕は、彼の嘘の告白に【恐怖】を感じてしまった」
「先輩……」
「僕の言いたいことが、分かるよね? 僕は本当になにも、なにひとつ変われていなかったんだよ。おかしいでしょ? 君がそばにいてくれて、君の好意はなによりも嬉しいのに……僕はありもしない【虚像にすらなり得ない好意】に怯えたんだ……ッ」
僕が、子日君以外からの好意を恐れる。それは浮気の心配がないとか、そういう簡単な問題じゃないんだ。
僕が今のままでいる限り、僕は百パーセントの状態で子日君を幸せにできない。僕が変われない限り、子日君は今後も、僕に【遠慮】を続けるだろう。
もしも僕のトラウマが克服できず、万が一にも悪化したら。……また、子日君は使命感のように僕を守ろうとするかもしれない。
そんなのは、嫌だ。子日君を【僕のために】不幸にさせるなんて。それだけは、絶対に嫌なのに……ッ。
「──どうして、こんなにも怖いんだろう……ッ。……どうしてッ! どうして僕は変われないんだろうッ!」
頭を抱えて、僕は僕の視界から全てを消した。自分の体も、子日君の顔も、全てをこの両手で覆ったのだ。
だって、見られたくないじゃないか。変わろうとしてくれた子日君に、いつまで経っても変われない僕の姿を。
見られたく、ない。知られたくなくて、幻滅されたくもなくて。だって、そうだ。そうじゃないか。
このままでは、子日君に嫌われ──。
「……先輩、知っていますか。【獅子は我が子を千尋の谷に落とす】という言葉を」
突然、子日君は口を開いた。
僕は顔を覆っていた手を離し、隣に座る子日君をそっと見つめる。
「えっ? ……う、ん。知っている、けど……」
「そうですか。それなら、ご理解ください」
なにを、だろう。意味が分からず、僕は思わず子日君を見つめ続けてしまった。
子日君はいつも通りの涼やかな表情で、いつも通りの声音で言葉を発する。
そして──。
「──俺は今から、アンタを絶望のどん底に突き落とします」
いつもの子日君なら絶対にしないことを、僕にし始めた。
「──ひッ!」
──僕の右手首を、子日君は力強く握ったのだ。
ゾワッと、一瞬にして身の毛がよだつ。鳥肌がゾワゾワと立ち始め、事務所の暖房が切れているのかと錯覚してしまうほど、体が震え始めた。
短い悲鳴が漏れ出ると同時に、僕はすぐさま腕を引こうとする。どちらも、反射だ。
しかし、子日君は手を離さない。僕が腕を引くのに合わせて、腕を伸ばして距離を詰めたのだ。
「やっ、やめて……ッ! お願い、やめて……ッ!」
「あき──」
「──やめてッ、喋らないでッ! 僕になにも言わないでッ! 名前を呼ばないでよッ!」
だって、だって、いつもそうだった。
あの人は僕の右手首を掴み、身を寄せて、唇を動かし、そして。
──『章二君』と言い、僕に愛を伝えたのだから。
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