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起こしの言葉
「素晴らしいです」
相原 さんと言うらしい彼は、商店街の文房具屋で何度もそう呟きながらレターセットを眺めていた。
道案内は済んだ。だから僕も帰っていいはず。
だけど、こうして隣に立ってる。どうしてかわからないけど、目が彼を追ってしまうから。
「君はどれが好きですか?」
「僕?」
「ええ。君なら、もらって嬉しいのはどれですか?」
答えに詰まった。
きっと、僕がよく手紙を書くと思ったから訊いたんだ。
でもあれ、ただのノートの切れ端だし。
こんなことになるなら、ちゃんとした紙にすればよかった……
「でも手紙って、相手に自分の気持ちを伝えるために書くんですよね? だったら便箋も……」
そっと相原さんを見上げる。
「送るその人も……あなたが選んだものが、一番嬉しいんじゃないですか……?」
相原さんは不意を突かれた表情をした。
「それもそうですね」
笑顔で僕を見る。
待って。
なんでかわからないけど……心臓が速い。
相原さんが選んだ便箋は、青空を背景に小さい黄色の花が咲いてる柄だった。
男の人が選ぶにしては意外だと思った。
「……困りました」
店を出た相原さんが呟いた。眉間に皺を寄せ、唇をきゅっと結んでる。レターセットの入った紙包みを強く掴んで、きょろきょろ左右を見る。表情は険しい。
「大丈夫ですか?」
彼は苦い顔で下を向いた。怖そうに地面を睨んでる。
「どうしたんですか?」
おでこにじんわり汗が滲む。
「……家までの道がわからなくなってしまいました」
「……」
僕はつい笑いだしてしまった。
「なんだ! それくらい地図見ればいいじゃないですか。相原さんもケータイくらい、」
彼はカーディガンのポケットからスマートフォンを取り出した。
だけど、操作しても画面は真っ黒。
「……家を出た時は10%ほどあったのですが」
いや、それ絶対足りないって……
「充電……なんて持ってないですよね」
「いえ」
じゃあどうするの? 僕だってケータイ持ってないし。
でも相原さんは焦りもしないで、ただ辺りを見回した。
大丈夫かな?
もしこのまま放っておいたりなんてしたら……
心配になった。
「……住所は覚えてますか?」
「ええ」
「一緒に探してあげます。近所なら、わかると思うし」
何これ。お屋敷?
相原さんが「ここですね」と言った家は、広い庭と縁側のある大きな日本家屋だった。背筋が伸びる。
「君のおかげです」
「……はい」
庭の門をくぐる直前、相原さんは振り向いて僕を見た。
「君のお名前を訊いていませんでした」
「あ、えっと」
また言葉に詰まった。
「小塚、恵 ……です」
しどろもどろに返すと、相原さんはメガネの奥で目を細めた。
「恵 くん。今日はありがとうございました」
その後のことはよく覚えてない。
でも、家に帰っても、夕ご飯の時も、お風呂の時も、寝る前も。相原さんの笑った顔は、ずっと頭から離れてくれなかった。
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