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丘の上のきんぴらセロリ

 この世界の、本気の謝罪を見てしまった。  いやー、たぶんあれ、土下座的なやつだったんだろうなぁ、と思う。  おれの世界のお辞儀ってやつは頭を下げる。土下座は頭を床につける。この世界の礼は膝を落とすやつだから、あの膝立ちで項垂れる格好は要するにやっぱ土下座なんだろきっと。たぶん。怖くて聞けなかったけど。  久しぶりに腹の底からドスの効いた声を出したゼノさまに、スラム街のチンピラ野郎は心底震えあがっていた。ついでにおれもヒェッてしたけど、頑張ってポーカーフェイスで乗り越えた。  ゼノさまって見た目怖いしめったに笑わないけど、実はめったに怒らない。怒鳴るのは声を張り上げたいとき。馬鹿とかうつけとか言うけど、それは正論故の叱咤であって、なんつーか機嫌の良しあしによる怒りって感じじゃない。  たまーにレルドさまに向かって本気でキレてるけど。いや、あれも結構気を使ってセーブしてたんだな……って思った。  安易にゼノさまを挑発したお馬鹿なチンピラ野郎は、ゼノさまの顔をまじまじを見つめるとサーっと青くなり、すぐさま膝を付いた。そしてこうつぶやいたわけだ。 「こ、こここ、黒館様……ッ!?」  そう、なんとゼノさまの完璧な変装は割合サラッと見破られてしまったわけだった。  つっても、チンピラさんが過去にゼノさまに直出禁を食らったことがあったからなんだけど。  そういえば見覚えがある、と嫌そうに目を細めたゼノさまの足元で震えるチンピラさんは、なんつーかものすごくかわいそうだった……。  おれ、あんな目で見下されたらそれだけでトラウマになると思う。ちょうこえー。やべー。まじこえー。やべー。  語彙力ゼロでドン引くおれの前で颯爽と掌返したチンピラさんのおかげで、目当ての紫の実はたっぷり手に入ったけどね。  納得しかねる風なゼノさまをなだめ、とりあえずその場を離れ、人気のない道で一息つく。  どうせなら昼飯を食おうとおれの手を引くゼノさまは、もう怒ってないみたいでちょっとホッとした。  別におれが怒られたわけじゃないけど、やっぱ、どうせなら気持ちいい一日であってほしい。どっちかが苛ついているデートなんか、いい思い出にはなりえない。  ゼノさまに連れられて辿り着いた先は、少し開けた丘の上だった。  丘っつーか崖っつーか。  ……つかこの街って、わりと標高高いとこにあったのね? と改めて驚く。  崖の下は……どのくらいだろ。百メートルくらいありそうだし、なんなら白い霧がもわーってかかっていてよくわからん。森っぽくはないことくらいしかわからない。  ただ、白一面の景色は、結構幻想的だった。  この世界は日差しがない。空はいつもぼんやりと薄い雲に覆われていて、青い空! なんてものは無縁だ。白い昼か、黒い夜。その二択って感じで、雨もろくに降らない。季節の移ろいもほとんどない。  視界の果てまでずーっと続く白い空。  眼下の白い霧もずーっと奥まで続き、地平線のあたりで空と霧はぼんやりと混じった。  雲の上の景色ってこんな感じかな?  ていうかもしかしたら、ここは実際に結構な標高で、雲の上なのかもしれない。おれの身体はこの世界に適応できるように再構築されているから、体感で気圧やら気温やらも予測できない。  わかるのは、これが綺麗な景色だってことくらいだ。 「……この下、どうなってんです?」  倒れた木を椅子にして、膝の上に背負ってきた弁当を広げる。珍しそうに弁当の中身を眺めていたゼノさまは、心ここにあらずって感じでぼやーっと答えてくれた。 「ああ、下は砂泥海だ。落ちるなよ、大概は死ぬことになる。砂泥海は次の街まで、ほぼ休みなく広がっている」 「え。街、他にもあんの!?」 「そりゃあるだろ。まさかこの街の住人が全人口のわけがない」  ……全人口なのかなって思ってた。だって電車とか車とか飛行機とかなさそうだったし。まさかほかにも世界が広がっているとは思ってもみなかった。 「まあ、どこに行っても似たような景色が広がるだけだ。基本的には女は白館に囲われ、男は黒館に通う。そういうシステムが徹底されている。この街は比較的デカい方ではあるが。……それよりハルイ、その……さっきは、悪かった」 「え。なにが?」 「……怒鳴ってしまって、俺は、おまえを怯えさせたか、と」 「あー。……いや、怖いっちゃ怖かったっすけど、普通に向こうが悪いし馬鹿にされたのたぶんおれだったし、別におれは気分害したとかないっすよ。ゼノさまが嫌な気分になっちゃったら、せっかくのデートなのに悲しいなーとは思ったけど」 「俺は……」 「うん?」 「……俺は、おまえのその寛容さを、尊敬している。その懐のデカさに惚れたのかもしれない」  いきなり愛の告白されて、ンッグ、みたいな変な声出ちまった。  この人なんつーか、突拍子もなく急にロマンティックマシマシになるの、どうにかしてほしい。  わー霧すげー! へー、他の街あんだー! みたいな冒険少年気分でいたのに、急に少女漫画モード突入しちゃってびっくりだ。  うっかり雰囲気に飲み込まれかけ、慌てて身体を引く。  他の話題他の話題なんか痒くない甘ったるくない話題……と探してやっと、さっきの紫色の実の事を思い出した。  そういや回収したまま、すっかり存在を忘れていた。つかゼノさまの機嫌が気になって、それどころじゃなかった。 「そう! いや! これ! ……ゼノさま、こんな精力剤とか知らんっつってたけど……!」  いまにもおれの手を握ってちゅーしてきそうなイケメンの目の前に、ほらほらほら、と枯れた枝を付き出す。  さっきのチンピラを思い出したのか、若干眉を寄せたゼノさまは、そんなことより……とは言わずにちゃんとおれの話に付き合ってくれる。そういう真面目なとこ、結構好きよ。 「ああ……それか。いや、本当に知らんな。新しい精力剤が見つかれば、白館の方でまずは話題に上がりそうなものだ。宵闇亭でもそんな噂は……」 「じゃあハッタリっすかね? ま、食ってみればわかるか」 「……おい、待てハルイお前そんな訳の分からないものを、まさか食っ――」  手を封じられる前に、小さいブルーベリーサイズの実をひょい、と口の中に放り込む。  すぐに絶句から回復したゼノさまに頬を叩かれ、吐け! と怒られたけど、……おれは勿論、吐くつもりなんかなかった。  だってこれは、うん。予想通り。あの匂いから予想していた通りの、ひりつくような痛みを口内に感じていたからだ。  辛い! 痛い! うはは、なにこれ、久しぶり!  そう、これは唐辛子の味に他ならない。 「ハルイ! 馬鹿、吐け! おまえはどうしてそうやって無茶ばかりしでかすんだ……!」 「ええ……? 最近のおれはちゃんとおとなしいっすよー失礼だなぁ。つか、実際に精力剤だったとしても大丈夫ですよ。一回経験してるし、ほら、ゼノさまも一緒だし」 「お、おまえのその……俺に対する雑な信頼は喜んでいいのかわからん……」 「喜んでくださいよ。おれね、ゼノさまがちゃんとずっと一緒にいてくれて、大丈夫だからって何度もちゅーしてくれたの、すげー感謝してんの」 「……感謝を仇で返すな、馬鹿者」 「うはは、正論~」  でも忠告を聞かない我儘なおれは、ごくん、と唐辛子味の実を飲み込んでしまった。  至近距離まで詰めたゼノさまが、なんでもないか? とものすごく心配そうにおれの頬を両手で挟み込む。 「大丈夫ですってばぁー……いまのところ。まあ、ちょっと胃はホカホカしますけど、これはほら、辛いモン食うとみんな大体そうなりますって」 「……辛いもの?」 「ゼノさまも食ってみたら? あ、ちょっと待って、いいもの持ってる!」  さいこうに運がいいおれの、今日の弁当のメニューはなんとセロリ(っぽい何か)のきんぴらだった。  醤油の代用品はないけど、似たような風味の樹液を発見したばかりで、ぶっちゃけると試作品だ。いや大丈夫、おれちゃんと味見したもん大丈夫。メイディーもおれもこっそり食わせたリットンさんも死んでないし、無害に違いない。うん。  味はちゃんとセロリなのに、なぜか薄ピンク色をしているそいつにさっきの紫の実を指で潰してパパっと振りかける。  うーん、ひでえ色。  でもまあ、この世界にはそもそもおいしそうな彩り、なんて概念ないから、色はおれが我慢すればいいだけの話だ。  おれとは別の理由で眉を寄せていたゼノさまの口元に、はいあーん、って感じにセロリのきんぴら(仮)を持っていく。  ものすごく嫌そうなゼノさまの口にきんぴらを突っ込むと、あとは見守るだけでよかった。 「……………うまい」 「ほら! でしょ!? ね、なんかこう、痛くて熱くてぴりっとしてて、それが結構良い感じに合うでしょ!?」 「確かに……おまえの言いたいことはわかる。この実もどうやら、本当に無害そうだな……。おそらくは発汗作用や発熱作用を、精力剤の効能と言い張って売っているのだろう。まあ、これだけ食った時にインパクトがあれば、滋養強壮に効きそうな気は確かにしてくる……」 「いや、後からじわじわ効いてくる系かもしんないっすけどね?」 「そしたらおまえも道連れだ。今回は同情はナシだ、寝台に引っ張り込む」 「わーえっち」  なんて言いつつも、二人とも『たぶんこれマジで大丈夫だな』って本能で感じ取っていたと思う。  前のガチの媚薬ぶっかけられたときは、匂いだけでもくらくらしたから。この実はなんつーか、ほんとただの香辛料って感じだ。 「別に、なくても死なないんですけど、あるとワンランク上の料理ができて便利って感じなんすよねー唐辛子。おれ、辛いの結構好きだし」  自分でフォークを持ち、ぱくぱくと香辛料掛けきんぴらを食べるゼノさまを眺めながら、つくだ煮入りのおにぎりを頬張る。  料理の理想は甘い、すっぱい、しょっぱいだ。残念ながらまだ酢の代用品を見つけていないので、今日の弁当は半分甘辛、半分塩味って感じになっちゃってる。  それでも素人の弁当にしては上々だろう。だっておれ、他人のために弁当作ったのなんか、生まれて初めてだ。 「あとゼノさま、味覚が酒飲みだから、好きそうだなーって思ってたんだー辛いの」 「……酒? とは、おまえがたまに口にする、異界の飲み物か」 「ああ、そう、どうやって作るんだあれ……発酵? 蒸留? なんか詳しくはわかんねーけどとりあえず飲むともれなく酔っ払うよろしくない娯楽です」 「酔っ払う?」  ううん。そっか、酒のない世界は、酔っ払うって状態がどういうもんかわかんないのか。猫にマタタビみたいな……と説明したくても、この世界には猫もマタタビもない。 「えーと……酔っ払うってのはつまり、なんつーか、赤くなってあったかくなってふわっふわして楽しくなって、おかしくなっちゃう、みたいな?」 「それは、恋とは違うのか?」 「ヒィ」  唐突に手を握られて唐突にくっそ恥ずかしいセリフをぶち込まれ、思わず場違いすぎる声出ちまった。  きゅん……なんてするか馬鹿、恥ずかしいわ馬鹿、きゅんっていうかワーギャーウワーって感じだっつの馬鹿このイケメンマジで無自覚っぽいのがホント嫌だ。  あとついうっかりさっき買ってもらった指輪を意識しちゃったのも敗因。敗因だ。  もーほんとゼノさまってば痒い言葉ばっかぶちかますんだからー、って笑えなかったのはおれがアワアワしすぎて声が出なかったからだ。  無自覚少女漫画イケメンを笑えない。  おれだって、十分少女漫画成分マシマシだ。 「もし酒に酔うという状態が、先におまえが言ったものなら、俺はおまえに酔っているということか?」 「ゼ、そ、ち、近……」 「近いな。それはそうだ、近づいているのだから当たり前だ。……ハルイ、なぜこちらを見ない?」 「は……恥ずかしい、からに決まってんでしょ……ッ!」 「……おまえ、なんというかこう、極端だな……さんざん俺の恋情など忘れていたというのに」  口ではやれやれぶってるけど、ゼノさまは眉を落としてふわって感じに笑いやがる。  やめろ、その完全にイケてる甘い顔やめろ、おれがワーってなってぎゃーってなる。 「弁当! 弁当、食べないと、か、かぴかぴになる……!」 「食材を無駄にするのは気が引ける。が、今はそれよりも優先したいものがある。顔をあげてくれ、ハルイ。……キスをしたら、怒るか?」  そんな風に聞かれて、嫌だって言える奴なんかいんの? と思う。あーいや、ちょっと前のおれならむりむりーって喚いてたかも。ゼノさまのことは嫌いじゃないけど、なんて言いながら。  でもこの時のおれは、ぶんぶんと首を横に振ることしかできなかった。  嫌じゃない。嫌なわけない。だって、ゼノさまのキスは優しくて甘いことを知っている。  きんぴらの味したらどうしよ……なんてちらっと心配しちゃったけど、近づいて重なった唇はいつもみたいに独特な甘さしかなかった。  黒の種族の体液は、甘い。  ゼノさまのキスは、いつだって味も仕草も感情も、全部まとめてでろでろに甘い。 「…………外出も、たまにはいいな。そういえば俺は、ほとんど私用で外出することはなかった。これから黒期が来る。そうなれば、宵闇亭は休む暇もなくなる。その前に、群青たちも鉄紺たちも、気晴らしさせてやりたいものだが――」 「……一人ずつ順番にゼノさまが付き添っても、結構な日数つかいますよね」 「やはり無理か。たまには外の世界も見せてやるべきか、と、今日思い直したんだがな……別の息抜きを考えるか」  ふう、と黒館様の顔でため息をつく。  デート中なのに仕事の話しちゃってもうー真面目なんだから。なんて苦笑いを押し込めて、おれは考える。  別にみんな、外の世界が好きかって言ったら普通なんじゃね? と思う。そりゃ市場は楽しいだろうけど、装飾品ならニスヌフとダーさんが好きなだけ作ってくれる。  みんなが喜ぶのは、楽しいこと。集まって騒いで、そんで、ゼノさまと一緒にいること。 「……ゼノさまー、提案あります!」  ハイ! と手を上げたおれに、ゼノさまはきょとんとした顔を晒してから、ふわっと笑う。今日はほんとよく笑う。やめてほしい、ずぎゅんってするから。 「よし、聞こう」 「あのですね、中庭ありますよね? いつもユサザキさんが丁寧にお世話してる……」 「ああ。あの庭は、ほとんどほったらかしだったんだ。今は見間違える程に美しいな」 「ね、綺麗ですよねー。だからあの庭で、みんなでお花見したらいいと思うんです」 「……おはなみ?」  さて、花見って、どんな目的でするもんかなぁ。  本来は桜を眺めるもんだろうけど、あの庭の木には今のところ花がつく気配はない。そもそも、日本の花見だって桜なんかおまけみたいなもんだろう。  おれはちょっとだけ考えてから、仲間で集まってご飯食べながら歌ったり話したり笑ったりする会です、と告げた。  きっと楽しい。だってみんな、ゼノさまが居ればそれだけで楽しいと笑う筈だから。愛されてる自覚がイマイチない当主様は、それはうるさそうな催しだな、と少し嬉しそうに笑った。

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