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憂鬱な白の招待

「お疲れ様でーす!」  ズラリ、と執務室のテーブルに並ぶのは、ハルイ特製の『まかないメシ』だ。  夕食でも朝食でもなく、ハルイは己の料理をまかないと呼ぶ。大したもの作れてないからと笑うが、俺にしてみれば十分豪勢だ。  今日はイエリヒとリットンに仕事を与えているから、彼らになにか振舞う食事を頼む。という俺のオーダーに、ハルイは顔を輝かせた。  どうでもいいがおまえ、本当にイエリヒとリットンが好きだな……いや、その、あの二人に関しては一切嫉妬などという面倒な感情を持ち合わせるべきではない、とわかっているが……。  先ほど虫の息で執務室の扉をノックした両名は、ハルイの飯を前にやっと顔を綻ばせる。 「群青の相手は大変か」  見るからに心底疲労しているイエリヒとリットンには、群青と供に街に買い出しに行ってもらったところだった。  花見の話をしたところ、思いの外皆が乗り気になりすぎた。というか、主に張り切りだしたのは群青たちだ。  いつもなんだかんだと頼りにされるダールトンとニスヌフこそ、労われるべきだ。自分たちとてもてなし以外の仕事もできる。鉄紺のため、黒館さまのため、一から全部準備をしたい。  感情露わに切々と訴えたのは主にユツナキだったが、後ろで頷くフールーあたりが仕掛け人だったのではないか、と睨んでいる。あいつは割かし、催し物やハプニングが好きな女だ。 「いやぁ~大変というか、うーん、ふふ、大変ですね~……おっかしいなぁ、わたし、カザナさんと一緒に言葉のお勉強した筈なんですけどね~……もう、ぜんぜん、わたしの話なんか聞いてくれない。ふふ。そっちは駄目です、って今日で何度言ったかわかりません。つよい。カザナさん、お強い」 「まあ、カザナはおまえでなければ任せられん。おまえだから、外に連れていけるんだ。ご苦労だったな、イエリヒ。まあとりあえず休め。リットンは……その……すまなかったな……やはりユツナキの方が良かったか……?」 「いえ……フールーさんも……お強い女性、でした……」  フールーと供に何度も何度も街と宵闇亭を往復したリットンは、精神的というよりは体力的に限界らしい。  カザナもフールーも、宵闇亭の仕事は長い。とはいえ、街に下ることはほとんどなかった。  自分たちで、自分たちだけの宴を開く。  その準備が、思いの外楽しいのだろう。  金に糸目は付けない。それが宵闇亭の経営方針とはいえ、まさか庭用の椅子と机までそろえてくるとは思わなかった。いや、うん、別に構わんが……。 「ハルイが時々愚痴る気持ちがわかりますよぅ……いやー、群青様方、お強い。パワフル。わたしなんて万年末席のしがない召喚士ですからねぇ……もう、振り回されるだけで精一杯です」 「おまえが末席なのは、実力のせいじゃないだろ。しかし、面倒な仕事を手伝ってもらって助かった。俺一人では、流石に買い出しに付き合いきれない」 「一人で行かせるわけにもいきませんからねぇ。しかしお久しぶりの無茶振り、それでこそゼノ様ですよ~。お声をかけていただいて嬉しい限りです。最近のゼノ様はハルイに付きっ切りで、少々人使いの荒さを忘れておいででしたから」 「……おまえ、しばらく見ない間に随分と口が達者になったな?」 「うふふ。気のせいですよ。そうじゃなければゼノ様の人相が多少良くなったせいですね。わたしのせいじゃないですねー」  人相……?  俺は、そんなに目に見えて変わっただろうか。と思い、隣に立つハルイを見上げると、『おれに聞かないでください』と照れたような声が返ってくる。 「いや、俺が変わった、という話なら思い当たる原因はおまえしか――」 「だっから聞くなっつってんですよスットコドッコイ恥ずかしいっつってんです! おら、笑うな! そういうとこが『ゼノさま、最近とても楽しそうでお話しやすいわ☆』なんて言われる所以なんすよ!」  ……前の俺は話しかけにくかったのか。  それはそれで心外というか、若干ショックではあるが、まあいい。今は、目の前の催し物に全力で臨みたい。 「備品は大体揃ったな。あとは当日の料理……は、勿論ハルイに腕を振るってもらうことになるが、流石に一人では厳しいだろう。群青に刃物と熱を近づけるわけにもいかない。すまないが、二人にも調理を手伝ってもらいたい」 「わ、無茶振りですね! 素敵です! やりましょう! 最近なまっていましたからね! 正直ちょっと暇でした! ねえ、リットン!」 「いえ僕は普通に忙しかったですよ!? というかイエリヒ召喚士も毎日忙しかったですよ! 毎日外来塔と農園の往復だったじゃないですか……!」 「えーそうでもないですよぅ……なにせわたしは本当の地獄(語学履修)を知っていますから……ふふ」 「快諾してもらってありがたいが、おまえそんな性格だったか?」 「ゼノ様がハルイハルイハルイって首ったけだった間にグレてしまったんですよわたしは~。はーずるい。わたしもハルイと仲良くしたい。ていうか最初はわたしの方が仲良しでした。まったくいつの間に告白なんて楽しそうなイベントを――」 「あっらーーーーハルイちゃんとの仲良し☆の座をかけて戦うならアタシも参戦したーいわーーーーーッ」  広いとは言い難い執務室に、キン、と響く馬鹿煩い声。  その声の主は言わずとも誰もが一瞬で察するだろう、そう、レルドだ。  最近は遠隔通話ばかりだった。久しぶりに本体を見たな……と感慨深い気持ちになりかけたが、別にコイツとは一生顔を合わせずとも問題などないことに気が付いてほころびかけた顔を叱咤した。  最近俺は、ハルイの影響かこいつに甘くなっていて、よくない。  本来は声をかけるつもりもなかった。なんなら、宵闇亭の門すら開けたくない。それなのにわざわざ時間と日にちを告げて招いたのは、ハルイが望んだからだ。  レルドさまも呼びましょうよ、なんなら手伝ってもらいましょうよ。絶対便利だし絶対楽しいですよ。  声を弾ませてねだるハルイに、俺個人の感情だけで『嫌だ』と言えるわけがない。便利、という意見については確かにその通りだ。  打ち合わせも兼ねて顔を出せ。  言葉少なに嫌々ながら伝言を放り投げた俺に対し、想定の十倍くらい浮かれたテンションの返信が届いた時には『早まったか』とはやくも後悔したものだ。  通信でも十分うざかったレルドだが、生身も勿論うざい。存分にうざい。うざいと言う以外に表現方法が思い浮かばない程うざい。  ぐったりと机に身体を預けていたイエリヒとリットンは、一瞬で背筋を伸ばす。  イエリヒはまだしも、リットンなどはレルドの声を聞くだけでも分相応だと震えだしそうな顔をしている。  ……ああいう素直さが、ハルイに好かれるコツなのか?  いや、しかし俺も別に嫌われているわけでは――。 「んっもーーーーひ、さ、し、ぶ、りーーーーハルイちゃんッ! 全然来てくれないんだものッ、アタシの城!」 「………………っ」  誰が止める間もなく、颯爽とハルイの元につかつかと詰め寄り遠慮なく抱きしめるレルドに、無言の悲鳴を上げたのはハルイではなく俺の方だ。  ガッと立ち上がり、力任せにバッと腕の中からハルイを奪い返す。俺は本来、そこまで機敏な動きを得意とするタイプじゃない。無駄なことに力を使いたくない。だが、こいつに関しては前科がある。  一秒でも、ハルイを明け渡すわけにはいかない。 「あーらやだぁー、いつの間にそんな~保護者気取りになっちゃったのよぉ~過保護ったらないわね、いいじゃないのニンゲンにはスキンシップが必要ってアタシ聞いたわよぉ、ねーハルイちゃーん? たまにはその唐変木以外とイチャイチャしたいわよねー?」 「ハルイ、耳を塞げ、こいつの言葉は十割ろくなものじゃない」 「割合計算間違ってるんじゃないのー? 仕事のしすぎで馬鹿になっちゃったのかしら……」 「可哀そうなものを見るような目を寄越すな心外だ。最近は多少休んでいる。まだ白期だからな。目が回るのはこれから先だ」 「そういやそうね、まだ昼は明るいものね。じわじわと昼の鐘が黒に挟まれてきちゃったけどねぇ……あーいやあーねえええ黒期は憂鬱が多いわ。あ、忘れないうちに手土産。庭で従業員だけの宴を開くんですって? なぁに、その素敵で可愛らしい提案、ぜったいアンタじゃないでしょ」 「勿論、実直で他人想いの料理人の提案だ」 「なんでアンタがドヤんのよ」  呆れた息を吐きかけられ、もう少し下がれと威嚇する。レルドが放り投げた『手土産』を器用に受け取ったハルイは、俺の腕の中で苦笑いを零していたようだ。 「……持ち出しても大丈夫なモノだろうな。外来異物は受け取る方も罪になるんだぞ」 「アンタならまだしもハルイちゃんにそんな物騒なモン渡すわけないでしょ~~~アタシにも常識くらい備わってんのよ~~~。ちょっとしたツテで手に入れた香辛料たちよ。ええと、なんだったかしら、セサミと~ミントと~……これ! これはハルイちゃん絶対大喜びよ! ジャーン、レッドペッパー!」 「ああ……唐辛子味の紫の実か」 「ちょ、なんでアンタ知ってんのよ……これ相当マニアックな流通してた奴よ? ていうかなんでちょっとにやついてんの? シンプルに気持ち悪いわよ? アンタがにやにやすっと心臓に悪いのよぉ見慣れなさ過ぎて……」 「慣れんでいい。勝手に軽蔑でもなんでもしていろ、別にお前に向けて笑ってるわけじゃない」 「はーーー今日もこ憎たらしいったらないわね。ハルイちゃんも趣味悪いわねぇ、こんな奴のどこがいいのかしら」  かがんだレルドが長い指でカツン、と、弾いたのは、ハルイのチョーカーにぶら下がっていた濃紺の指輪だろう。  ……本当に目ざとい奴だ。俺と揃いの指輪に気が付いた奴は、群青以外ではニスヌフくらいのものだというのに。 「おまえと話していると無駄に時間ばかり食う……その湧き出るむだ話をさっぱり切り捨て、さっさと本題に入れ」 「あらあらあら、無駄こそ人生の余興よ~ストレートなだけの生活なんてつまんないわ。アタシ、あんたと無駄話すんのは好きよぉ、こんなに言葉を投げ返して来る馬鹿はあんただけだもの! あ、無駄話の濁流で忘れないうちに、こいつもさっさと渡しておくわ」 「……なんだ。俺にか?」 「毒か? みたいな目で見んのやめなさい、毒効かないでしょうが。ま、毒なんだけどねッ! ハルイちゃんが可愛くて可愛くて浮かれて忘れてるでしょうから、現実のお知らせよぉ」  レルドに渡された小包。その中身に思い当たると、自然と浮足立っていた心が冷えた。  ……ああ、本当に、現実を忘れていた。 「もうそんな時期か。ああ、そういえば、黒期の前の定番だったな、忘れていた……できればこのまま忘れていたい」 「忘れられるわけないでしょーが、アンタらの義務よ、義務ッ! そんでも多少でも楽なようにって手をまわしてあげるアタシってば、友人思いじゃなぁーい?」 「…………悪い。感謝する」 「ン。んー……ンンン。素直なアンタ、悪くないじゃないのって言いたいところだけどちょっと気持ち悪いわね鳥肌立っちゃったわ……あ、今回はイエリヒちゃんにはないわよ~良かったわね~」 「え!? 本当ですか!? やったー! 良かった! 良かったですリットン! わたし今期は晴れやかな気持ちで農業に精を出せますよ!」 「まーすっかり農家の嫁ねぇ……そっちの子はただの灰ね? あ、名前は知ってるわ、自己紹介は割愛で結構よ。あなたはこの二人と違って、白館がお好き?」 「ぼ、僕は、あまり……女性が、得意ではなく……」 「あら~~~奇遇。じゃ、ここの男共はみーんな白館が大嫌いなのね」  至極楽しそうに笑うレルドは、男としての『義務』からすでに解放されている。  一般の灰の種族であるリットンも、ほとんど関係のない話だろう。  白館、暁の宮。女たちが男を招き、子を産み、子を育てる種族繁栄の要。  白館は女の数と妊娠を調節し、期節ごとに男を招く。白館の命令には逆らえない。子を成すことは義務なのだ。  白館は純血の種を好む。故に白の種族と黒の種族は優先的に、というか強制的に相当な回数、白館に呼ばれる羽目になる。  あまりにも嫌すぎて本当にすっかり忘れていた。このところ、毎日が驚くほど賑やかだったせいもある。  嫌で嫌で何度か本気で嫌すぎて義務が全うできず、一週間ほど監禁されたことがある。なんとあの館は『種付けが終わるまで外に出れない』仕様なのだ。  いくら乗り気ではないとはいえ、監禁されてはたまったものではない。仕方なく以降はレルドに頼み、俺の身体にも効く精力剤を調合してもらっていた。宵闇亭の群青用の媚薬では、俺の身体には効かないのだ。 「……行きたくない……」  思わず零れた本音に、腕の中のハルイがもぞりと動く。どうやら、俺の方を見たようだ――が、俺はハルイの首筋に顔を埋めていたのでよくわからない。 「え、白館、に行くんですか? ええとー……やっぱ、その、ただお茶を飲みに……じゃないっすよね?」 「勿論~子作りに行くのよ~。宵闇亭のままごととは違う、本物の性行為をしに行くの。ていうか呼ばれるのよ、強制的に」 「性行為……」 「アレが性行為っていうなら、宵闇亭での夜伽は至極の愛情表現って感じだけどねぇ。ま、これがこの世界の義務なんだから、嫌でもやんなきゃなのよ~だからハルイちゃんは悲しい顔しなーいの。旦那取られるわけじゃないから、ね?」 「いや、まだ旦那じゃないんで……てかこの世界旦那制度ないっしょ……」 「あら? そう? まだオッケーしてないの? んじゃ、アタシの付け入るスキある?」 「それはないっす。レルドさまはなんつーか、お師さん? って感じだから。ずっとおれのお師さんでいてほしいです」 「……ほんと、ぎゅってしてちゅってしてウチの子にしたいわ。旦那候補が白館にいる間、悲しくなったらアタシのところに来てもいいわよーーーーって言いたいところだけどちっがうわ、今回の招待状、ハルイちゃんの分もあるんだったわ」 「…………は?」  思わず、腹の底から声が出てしまった。 「レルド、どういうことだ。召喚獣が招かれる事などあるわけが……くそ、料理人に目をつけられたか!」 「そうよ~アンタが白館の真似なんかするからよ~」 「俺は外に向けてハルイの料理をばらまいたりはしていない。あくまで群青と鉄紺の為の料理だ」 「そんな理屈白館が聞くわけないでしょばっかねーアンタほんとお人よしで頭が真面目すぎんのよ。エゴと強欲の塊を相手にしてると思いなさい。というわけで今度の『招待』には、黒館・宵闇亭の料理人も持参のこと、ってご注文付きなわけ」 「同行、と言えないのかあの馬鹿どもは」 「言えないの、思ってもないことは口から出るわけがないわ。ま、ちょうどいいでしょ。ハルイちゃんがアンタと一緒に生きてくなら、いつかぶち当たるカベよ~実際に見てきたらいいわ、壁。実際に、その目でね」 「えー……こわ……行きたくねー……」 「あら、じゃあアタシと一緒に待ってる? おなかいたいって言えばハルイちゃんくらいなら許してもらえるんじゃない?」 「…………行きます。だってゼノさま、行くんでしょ? じゃ、おれも行く」  そう言ってぎゅっと手を握ってくれる。  ……その言葉に、胸やら腹やら肺やらとにかくありとあらゆるものがせりあがり、言葉もなく抱きしめる他できなかった。

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