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【番外】今日は髪結い召喚士
まさか、まさか、あの、黒館様が。
あの外套を羽織ることすら面倒くさがる黒館様が、外見に気を遣うだなんてもしや砂泥海から水でも湧くのか? と思ってしまうのは仕方のないことだ、うん。
という言葉を馬鹿正直に口にしたわたしに対し、目前のお二方は真逆の反応を返してくださる。
おとなしくわたしに髪を結われている黒館様ことゼノ様からは、控えめなため息。その対面で楽しそうにゼノ様の爪を弄っているニンゲン――ハルイからは、からりとした笑い声が零れた。次いで楽しそうに口を開くのはハルイの方だ。
「なんか面白い表現っすねー、空から槍が降るみたいな慣用句? そういうのどの世界にもあるんすね。あり得ないことが起こる、みたいな?」
「そうですそうです。砂泥海は一面の砂。水が湧くなんてありえませんから。全く本当にびっくりなんですよ~ゼノ様が髪を結いたいだなんて! まったく信じられない発言です! いくらこれからうきうきデートだとしても!」
そう、お二人はこれから外出の予定なのだ。と言っても行き先は外来異物塔だというので、ただの外遊というわけでもないだろうけれど。
ゼノ様は黒館の正装を大層嫌っている。故に軽い用事で外に出る際は、多少面倒でも髪を染めて灰の種族を装い出かける事を知っていた。
と言ってもどうせお洋服を変えるだけでしょう~と思っていたというのに、なんとゼノ様はひょっこりと厨房でご相伴に預かっていたわたしをつかまえ、ちょうどいいから髪を結ってくれ、などと言ったわけだ!
いやぁー腰を抜かしそうになった。本当に。だってあのゼノ様だ。自他の外見などに微塵も興味などないはずの、ゼノ様だ。それが髪を? なに? 髪を結えって? わたしに? と再三確認したせいでちょっとだけ怒られてしまった。ふふ。
「……おまえ、最近言葉が過ぎないか……?」
過ぎる言葉は最近のわたしのチャームポイントだ。
「いや、別に気安くする分には一向に構わんが、俺は馬鹿にされていないか……?」
「してませんよ~大変敬愛しております故にー。あ、ハルイどうします? やっぱり耳は出ていた方がお好みです?」
「出してください! ゼノさまの耳、好きです!」
「うーんその素直さ、大変よろしいですよ~。ほらゼノ様、何を照れてそんなまーまーうふふふふ、そんな愛らしいところがあっただなんてびっくりですよもう~ようし、編み込んじゃおうかな~」
「おまえは楽しそうだな……そんなおもしろおかしい性格だったか……?」
「いやぁ、最近覚醒しまして。というか、吹っ切れまして」
「……吹っ切れた?」
この言葉には、お二人とも同じように首を傾げた。うーん、一緒に居ると似てくるものなのだろうか。それともお二方とも、元来の素直さがダイレクトに出ちゃっているのだろうか。
仕事中のハルイは大変しっかりしているのに、ゼノ様と一緒だと少し子供っぽい。ゼノ様はもっと顕著だ。なんというかただの子供だ。うん、大変愛らしいのでよいと思います。
「なんだ、おまえ、己の性格に悩んでいたのか? たいして交流もない生活だろうに」
「またそうやって本当のことをズバッと仰る……。交流がなかったから、どうでもよかったんですよーわたしは自分の性格なんて。何と言っても人生のほとんどを無言で過ごしていましたからね」
「ああ……まあ、そうなるだろうな。外来塔は相変わらずか」
「相変わらずですね~そういう場所だ、と知って飛び込んだのはわたしですから、後悔はありませんがね~やはり白のお方はこう、種族の壁をとても意識しますから」
何を隠そう、わたしは宵闇亭の従業員ではない。びっくりするかもしれないが実は! 外来塔の召喚士なのだ! ……と言ったら、カザナとユツナキあたりは本当にびっくりしそうで怖いなぁと思う。
あの二人、わたしが言葉を教える必要なかったからなぁ……。カザナはあまりにも言葉の飲み込みが早かったし、ユツナキにはユサザキが付いていたから、わたしはほとんど出番がなかった。
というか基本的に今までは、宵闇亭に出入りするとしても召喚獣への語学ぶっこみくらいしか用事はなかったのだ。
頻繁にこの建物を訪れるようになった要因は、考えずともわかる。そう、ハルイの存在だ。
別にハルイが特別好きで顔を見に来ているというわけではないいや特別好きですけれど。弟なもので。そう、何しろハルイはわたしの弟なもので。
けれど個人的な感情とは別に、必要だったから仕方なくわたしは宵闇亭の従業員入口の戸を叩くことが増えたのだ。
ハルイは宵闇亭の料理人。そしてわたしはその料理人が求める食材を作る『お手伝い』を申し渡されたのだから、仕方がない。
軽々しく手伝えなどと言われたものの、実際は『あれ? わたし本来は召喚士だったっけ?』と時折思い出すような生活だった。
もはや住居は食材工房にあると言っても過言ではない。あの場所での出会い、別れ、苦悩、新しい食材の研究と失敗と成功、友情と裏切り……は、またの機会に語るとして、とにかくわたしの生活環境はがらりと変わった。
外来塔では本当にネタではなく、一切の言葉を話さなかった。
同僚と挨拶も許されない。命令は耳で聞くのみで、応否の言葉すらわたしは口にできない。それはわたしが外来塔で唯一、灰の種族だったからだ。
黒と白と灰。特に、黒白と灰の間には、あまりにも深い隔たりがある。黒は特に個人を貴び、白は特に種を貴ぶ。どちらも結局、灰など喋る動物くらいにしか思っていない、というところは同じだろう。
ゼノ様とばかり接しているとうっかり忘れがちなのだが、外来塔に戻ると嫌でも実感する。わたしは灰で、彼らは白。灰は、白の中では声を上げることすら不敬なのだ。
というわけでほとんど自我など忘れていくような生活だった。
前途の通り選んだのは自身なので別段、人生や世界を呪うようなこともないのだけれど。……最近のわたしは、特別賑やかな世界に触発されてしまったのかもしれない。
嬉しいとにこにこしてしまう、楽しいと笑ってしまう。悲しいと誰かと話して紛らわせたくなるし、辛いと叫びたくなる。
なるほどこれが感情か。すっかり忘れていたなぁ、と思い直したわけだった。
まあ、わたしが個人的にゼノ様に馴れ馴れしいという事実は、その感情の高ぶりとはまた別の話だけれど。
前途のすべてをお話すると、またゼノ様が表情を曇らせせっかくのデートが台無しになりかねない、と思ったのでさらりと隠し、別の本音を垂れ流す。
「わたしがゼノ様に厚かましくも気安く話しかけてしまうのは、まーその、ハルイのせいですね~」
「え。おれ? なんで? なんできゅうにおれのせいにされたの!?」
「え~~~ハルイのせいですよ~~~。あなたがね、わたしに言ったんですよ。イエリヒさんってゼノさまと仲がいいですよねーって」
「…………言った? っけ?」
「言いましたとも! わたしねーハッとしたんです。わたし、ゼノ様と仲が良いのかしら、そうなのかな、ああでもそういえば、わたしはあの方がとても好きだなぁ、と再度実感しさらにゼノ様の気安い態度を鑑みるに成程わたしも割合好かれているぞ、と認識を改めるに至り――」
「待て。いや、違う、とは言わんが、唐突に自惚れすぎじゃないか……?」
「えーーーーいいじゃないですかハルイばかりではなくわたしにも少しくらいは愛情をおすそ分けしてください! 敬愛しております故に!」
「どうも嘘くさいんだが。……まあ、気安い関係である、という事実は容認しよう。なんだかんだ、俺の無茶な要求をいち早くさばいてくれるのはおまえとユサザキくらいのものだからな」
「ユサザキさんか~ユサザキさんには勝てませんね~でもいいですねーライバル現るって感じですね? 新しいドラマが始まりそうです。打倒、ユサザキ氏、ありです」
「なんの勝負をするか知らんが、あいつは手先も器用だぞ。いつもはユサザキに結ってもらうんだが、昨日からユツナキが体調を崩していてそっちに掛かり切りだからな……」
「うっ。まさかのわたし、代打だった……これは全力で麗しい作品を作り上げてわたしの株を爆上げするしかない……」
「ほどほどにしてくれよ。おまえの作品の材料は俺の髪だからな。ほどけなくなっては困――待て待て待て何をするちょ、やめろ! 装飾品を編み込むな!」
「最近お流行りらしいですよ~編み込み金属~。ほら綺麗でしょ? 先日レルド様も同じ装飾をしてらっしゃいましたよ~本日はレルド様のところに行かれるんでしょう? ……もしかして、ユツナキの体調不良の件ですか?」
「おまえは相変わらず察しだけは良いな……その察しの良さ、性格のオブラートに変換できないのか……」
「できませんね~面倒ですからね~。わたしはわたしのことが好きだという確固たる自信があるお方にしか、こんなにお話しませんので」
「面倒くさい男だな本当に……。まあいい、ちょうどいいからおまえもこれから同行しろどうせ暇だろう召喚士など」
「…………んッ!?」
さらり、と言われた言葉に思わず手を止める。
動揺を隠さないわたしのド真ん前で、ゼノ様の爪をきれいに塗り終えたハルイは無邪気な声を上げた。
「よっしゃ、できた! どうよ!? おれの初マニュキアどうよ!?」
「若干はみ出しているが俺が塗るよりはマシだな。本当に流行っているのか……? まあ、確かにレルドは施していたな」
「ゼノさま指なげーしきれーだから似合うじゃんー」
「おまえの指も麗しいだろ。塗ってやろうか?」
「いやいい。遠慮します。お揃いとかちょっと流石にすげーにやにやされそうだから。今日の行き先がガラクタ塔じゃなかったから塗ってもいいけど」
「……あああああの、いや、わたしはご遠慮……ッ!」
「いや一緒に来い。そういえばレルドは白の上の者に顔が効く。あいつは自称中立だ。自分からは首を突っ込まないが、こちらが求めればある程度は『仕方がない』という顔を立て前に動くこともある。……外来塔の白の私物化については、他の黒にも思うところがあるような話を聞いた。知らぬところでドンパチやられても困る。俺個人は召喚ができればどうでもいいが、おまえがあの場に所属している限り他人事ではない」
「た、他人事でしょう……」
「おまえと俺は気安い関係だ、と自分で言ったばかりだろう。そういうものをどう表現するか知っているか? 友人と言うんだ」
「ゆ」
……絶句してしまい、言葉が最後まで出ない。
代わりにふわーっとして息が出てしまい、ハルイにげらげらと笑われてしまった。
…………ああ、いやだ、顔が熱い。わたしは本当に、感情なんてものと無縁で生きてきたのだ、お手柔らかにしてほしい!
「ゼノさま容赦ねーな。イケメンはドヤってもイケメンだからほんと嫌っすわ。どう? イエリヒさん、どう? 毎日イケメンのかっゆい台詞を浴びてるおれになにか言うことは!?」
「あなたの鋼の心臓に拍手を送りたい……」
「……おまえら、褒めているのか? 貶しているのか……?」
「照れているんですよぅ! もう、黙ってくださいイケメン!」
「そのスラング、宵闇亭で流行りそうだからやめてくれ」
げんなりしたゼノ様は、結い上げた髪をかるく確認して『多少派手だがまあいいか』と及第点を出し、さっさと右手に手袋を嵌める。
「さっさと行くぞ。歩いていこうかと思ったが、大所帯だと面倒だな。荷車を呼ぶか」
「えええ……本当にわたしも行くんです? 外来異物塔に? いまから? 正気です?」
「嫌なのか」
「嫌でない者などいるんですか」
「……いないな。ハルイくらいのものだろう。まあ、レルドはなんというか……特殊だからな。おまえ、割と気に入られているだろう」
「だからです~いえありがたい事ですが圧が強いんですよぅあのお方……わたしあんまりぐいぐい来られるとちょっと、その、どうしていいかわからず……ハッ! そうだ! リットンも呼びましょう!」
「…………おまえ、何かとリットンを巻き込みたがるな」
「ええそりゃもう! 何と言ってもわたしと彼はハルイの兄の座を奪い合う好敵手ですからね!」
「ただの仲のいい友人に見えるがな」
……そんな本当のことを言われると些か照れてしまうのでやめてほしい。何度も言うが、わたしは感情という奴にまだ慣れていないのだ。
はー……行きたくない。白館の次に行きたくない場所だ。でも、ゼノ様は良かれと思ってわたしの手を引くのだから、行きたくないと言うわけにもいかない。
我ながら真面目だなぁ~でもリットンも巻き込もう。そう思い、今日も厨房に顔を出している友人を回収するためにわたしは執務室を出た。わたしも彼も、確かに宵闇亭に顔を出しすぎだ。
「……でも、好きだから、仕方ないですよねー」
群青が黒館様を好くように。鉄紺がハルイを好くように。わたしもまた、友人が好きなのだから、仕方ないと思って温く許していただきたいものだ。
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