26 / 34

麗し芳し宵闇亭:プロローグ

 目が覚めたら、ノータイムで第二の人生が始まっていた。  確かにオレは死んだはずだ。前世とか来世とかそういう宗教観があるような高度な文明じゃなかったけれど、生と死の概念くらいは存在した。  大した事ない人生だった。  死んで悲しいかと言えば普通。死んで安心したかと言えば普通。普通に痛かったし、普通に『なんだもう終わるのか』と思ったし、普通に自分の終焉に安堵した。何もかも平凡な死だった筈なのに、その先に待っていた新しい『今世』は、あからさまに高難易度だった。  真っ先に感じたのは、嗅いだことのない匂い。  知らないほこりの匂い、知らない湿った部屋の匂い、服、汗、息、そして、狼狽と困惑。  目の前に立っていたのは、灰色の服を着たやたらと明るい髪色の男。それと、眉を潜めた黒い男。  明るい髪の方が、オレに向かって語りかけた声は意味をもたずに、ただの音に成り下がる。何度か言葉を発した男はついには諦め、肩を竦めて後ろの黒い男に判断を仰いだようだった。  何を話しかけられたのか、いまだにオレは知らない。本来は翻訳されるべき召喚士の言葉は、『音としての言葉』を知らないオレには、なんの意味も持たないただの奇声にしか聞こえない。  ただ、言葉は知らずとも、オレは彼らの狼狽を、困惑を、そして憐憫を感じ取ることができた。  なるほどこれは憐みだ、哀しみだ、そして後悔だ。  明確に受け取ったそのあからさまな感情に、オレは笑った。迷惑すぎる第二の命の授与に、盛大に嘲笑をぶちまけたのだ。  思い返す度に、よくぞその場で始末されなかったもんだ、と思う。  オレの召喚主たちはひどい変わり者だったから、オレは生き延び言葉を得ることができたのだろう。  もし、初めて目にしていた色が黒ではなく白だったならば、第二の人生は颯爽と終わっていたに違いない。  あー……別に、それでもよかったんだけどよ。  こういうコト言うと、三人くらい泣きそうだなぁ、っつー顔が思い浮かぶからまぁ、言わないことにする。  悲劇のように始まった惨めな俺の今世は、そのあともまあまあな悲劇をぶちかましながらもどうにか続き、今ではそれなりに楽しむ余裕もできた――と、勝手に思っているが、負け惜しみだと思うならそれでも構わない。オレは、割と楽しい。これだけは本当だし、誰にも口出しできねーオレだけの感情だ。  ま、言わなきゃ誰も、そんなこと察しちゃくれねーんだけどさ。面倒くせー世界だよ全く。言わなきゃわからん、聞かなきゃわからん。  でも、まあ、悪くはねーよ。  今はそう思える。 「……ところでミノト、てめーそれうるっせーって思わねーの?」  ぼんやりと昔のことを考えていたものの、段々と思考にジャンジャカと煩い音が割り込みはじめ、結局オレは降参して現実に意識をシフトチェンジした。  ガタンガタン揺れる荷車。荷物運搬用のでっけー召喚獣が引く台車の上は、あんまり快適とは言い難いが歩くよか楽でいい。  ただしガタンガタンにプラスして、オレの相棒がかきならす楽器の音が非常にうるせーのなんの、って話だ。 「え? なに? 何か言ったかい、ギャリオ! 申し訳ないが、荷車の音が、ふふ、とても豪快で、きみの麗しい声が全然聞こえない!」 「いや豪快なのはてめーのその手元のジャンジャカ弦楽器だっつの。うるせーっつの」 「やー、ガタゴトという音も風流だけど、ちょっと飽きちゃったんだよなぁ……それにほら、演奏の練習もしなきゃだろ? せっかく楽器を手に入れたのに、曲の一つも演奏できないなんて恥ずかしいが過ぎる」 「別に誰も怒らねぇだろ、特に西の奴らは……白館は知らんけど、黒館は気にしねーよ」 「そうだろうか……? まあ、確かに大らかな方々だったと記憶しているけれど。ううう、緊張するなぁ……私は彼らに会うのは、まだ三度目だからなぁ……」 「……そうだっけ?」 「そうだとも!」  ジャカジャーン、と無駄に伴奏をつけながら力説してくるが普通にうぜーしうるせーので足で蹴って黙らせた。  痛い、なんて言いやがるけど、それ以外の感情の方がでっかく漏れていることがわかるオレは、一々オエッとしてしまう。  痛い、なんて笑う、その後ろに隠れもしない感情がプンプン香る。 「……ま、ここはボーナスステージみてーなもんだから。休暇気分でまったり身体を休めとけよ。あとその楽器壊すなよ。群青に渡したら玩具にされんぞ」 「それは困る。なあ、ギャリオ」 「んだよ」 「……やっぱり手を繋がないか?」  ふわり、と控えめに漂うのは、ミノトの不安だ。  過去何度か拐されそうになったことがあるオレと、そのたびに顔面蒼白で自分の管理のつたなさを謝るミノトには、まあ、うん……お互い『一応念の為』という気持ちがなくもない。  オレは誰かに近づくこと全般を拒む。体質のせいで、他人と触れ合うことが苦痛なのだ。けれどまぁ、おまえの不安はごもっともだよということくらいは承知しているわけで。 「まあ。そうだな。……一応、念のため」 「うん。一応、念のためだ」  しかたねーな、とゆがめた顔は、どうせマスクで見えやしない。しかたねーなとわざわざ言わなくても、どうせコイツには伝わらない。それでもオレは、一応、念のため、嫌そうに『しかたねーな』と舌打ちするのだ。 「…………黒館に入ったら、離すぞ、いいな」 「勿論、いいとも。黒館に入るまでは、何があっても私は、この手を離さないよ」  ふふ、と笑う声がこそばゆく、あーくそマジで……自分の鼻を、掴んでちぎって投げたくなった。  ぐらぐらと、闇の中に明かりが揺らぐ。  揺らいでいるのは明かりの方ではなく、オレの乗る荷台だけれど。あの、一際明るい渋い建物が、今日のところの目的地だ。  ……相変わらずひでー匂いだこと。甘くて痛くてむあーっとする。例年この時期はやべーけど、今年もおそらく豊作だろう。  黒館、宵闇亭。  久方ぶりのその佇まいに息を吐き、オレは呼び鈴を鳴らした。

ともだちにシェアしよう!