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十
病院から学園に戻って、俺は自分の部屋ではなく水鷹の部屋にいる。
全寮制なので俺には俺の部屋があるがあの日からずっと戻っていない。
自分の部屋に戻れない理由があるわけじゃない。
俺の荷物を持って水鷹が自分の部屋に行くのでついて行った。
それ以降はずっとこのままだ。
遊んで泊ったりエロいことをしてそのまま夜を明かしたの一度や二度じゃない。
宿題が終わらない、生徒会の書類が終わらないと泣きつかれたことだって一度や二度じゃない。
水鷹の部屋で寝起きをすることはそれほど珍しいことじゃなかった。
毎日ではないだけで月に十回以上あるよくある話。
ただ真面目な顔で一緒の部屋で寝起きしてくれと言われたのは初めてのことだ。
話を聞いてみると医師から今は平気でもフラッシュバックを起こして発作的に自傷行為に走ったり、トラウマから鬱になってしまったりするという。男の股間は大切なものだ。
事が事で怪我の場所が場所なので年齢や俺の立場のこともあって安静にしていることを勧められた。
けれど、俺は枕元で泣き続けている水鷹を見続けるのが嫌だったので大丈夫だということにした。
強がりはよく考えなくても浅はかだった。
水鷹のこと以外にも病院のベッドという無防備な場所にいて元カノを名乗る痴女やセフレに襲撃されて傷をえぐられるのがイヤだという人間不信な考えが脳裏をかすめていたこともある。完全な被害妄想だ。そんなに俺の病状が世間に広まったりするわけがない。
転入生のせいで学園内では広まったかもしれないが、病院で目を覚ました時点ではそのまま病院にいたほうが安全だった。
水鷹がいなくても転入生のことだって冷静であったならもっと楽に受け流すことができたはずだ。
煙に巻いて近寄らせないようにするのは難しいことじゃない。
事実、転入生とのエンカウント率はそれほど高くなかった。
俺の知り合いを主張する転入生をいぶかしんでそれとなく遠ざけていたからだ。
だからこそ、水鷹と転入生の衝突の激しさに気づけなかったし、転入生の立場の危うさを見逃していた。
問題を後に回すともっと大きな問題として襲いかかってくるとわかっていても楽な方へ逃げてしまう。
後悔しても今更なので水鷹が気を遣ってくれているという稀な事態に全部を水に流すことにして俺は同居を受け入れた。それが一番、俺の心が楽だからということもある。生徒会長の部屋は広いので水鷹の部屋に俺の持ち物が増えても支障ない。
水鷹親衛隊の面々、表面的に俺の部下であり手駒に成りたがっている人間に転入生が騒いでいた内容を俺の耳にはいる形で噂しないように言い含めておいたのでそれほど厳しい日々にはならないだろう。
今回のことは水鷹を抜きにした夜の誘いを断る口実が出来てむしろ良かった。ポジティブに物事をとらえることは大切だ。
自分からこの話題を口にするだけの心の強さは持っていないので水鷹のくれた指輪を口実にして逃げることになる。
それを思うと水鷹にしては気のきいた最高のプレゼントだったのかもしれない。
水鷹との交際は瑠璃川の権力を使えるということとニアイコールだ。
寝る部屋が水鷹の部屋になっただけで俺の生活は変わらないはずだった。
けれど違う。なぜか水鷹の手によって朝と夜にクソマズイ料理が用意されるようになった。
四日間は耐えたがさすがに五日目の今日は言わせてもらう。
「水鷹、これはどういう嫌がらせだ」
「愛情がこもってるからどんなものでもおいしいだろ?」
「そんなわけねえだろ。おまえは泥団子を口に入れられて育った子供か?」
「さすがに食べなかったけど」
「当然だな」
さすがにという言い方が気になる。
口には入れられたことがあるんだろうか。
「今日のチヂミは口に入れられるものしか使ってない。つまり泥要素ゼロっ」
「泥が入ってないのに泥っぽいぞ。無果汁のグレープ味か?」
俺の指摘に水鷹は唇を尖らせる。
頑張って作ったから褒めてほしいと思っているのかもしれないがこの味じゃ無理だ。
水鷹自身も食べているんだからマズさはわかるはずなのにこのリアクションは舌が腐ってる。
「藤高は舌が肥えすぎ」
「おまえは痩せすぎ」
言われるまでチヂミだというのも理解できなかった平らな謎の板。
硬い見た目に反することなくジャリジャリとした気持ちの悪い触感と土のにおい。
ニラを十分に洗わないで使ったのか、卵か何か変な反応をしているのか。
食べられないわけじゃないけれどマズイ。
「俺の胃の丈夫さでも試してんのか」
「初日のあれを喜んでくれたから今日なんか当たりの日だろ!?」
「そうだな、初日に文句つけなかった俺が悪かったわ。皿をひっくり返してやるべきだった」
「藤高は藤高さますぎっしょ」
俺のために水鷹が何かをするということに興奮して味なんか感じちゃいなかった。
こんな機会は二度とないから口うるさいことは言わないでおこうと褒めていた。それが悪かった。
俺が言わなくても水鷹が宿題してからゲームするようになって、脱いだものを放っておかないから部屋は綺麗だ。
それだけで水鷹をよく思ってしまうぐらいに今までが今までだったこともある。
優等生が万引きをしたことを執拗に責められる逆、不良が雨の日に犬や猫を保護するノリのほう。
いつも俺に怒られるような行動を今はしないでおこうという水鷹の当たり前かもしれない気遣いに感動してしまう。
でも、マズイものはマズイ。
「アニキが結婚したって言ったじゃん?」
「初耳だ」
「結婚したんだよ! あのアニキが!! あの一人を愛するなんて無理に決まってるアニキが!!」
「おまえのお兄さんとは挨拶ぐらいしかした覚えがねえんだけど?」
興奮した水鷹に呆れているとすねたように「聞いて! 聞いてよ! ちゃんと聞けっ」とうるさい。
どうしてこんなに水鷹は元気が有り余っているんだ。
「アニキはさあ、酔った女の子を数人でヤっちゃうようなやんちゃな人だよ」
「犯罪者は出頭しろ」
「オレよりもセフレ多いし男に手を出したりはしなかったみたいだけど」
「で、結婚したアニキがなんだって」
水鷹はバカなので頭の中で考えた言葉が口からうまく出てこない。
頭の回転は悪くないが口の回転は悪い。女を口説く場合はその場の勢いで適当なので笑いもとれて雰囲気は悪くはないが真面目に付き合うと幻滅されてフラれる。甘いムードを作って肉体関係に持ち込むまでは簡単にできてもそれ以上になることができない男だ。
年上でも同年代でも最悪年下にすらそうやって見抜かれ見切りをつけられる水鷹は逆にすごいかもしれない。
普通なら瑠璃川という家の特典とバカを操ろうという打算が芽生えるはずなのにそれすら考えさせずにさよならを言われる。
「妊娠させたんだって!」
「あぁ、だから結婚するのか」
「って、思うだろ!? オレもアニキってバカだなって『失敗したねえ』って茶化したらマジなトーンで『殺すぞ』って言われた」
結婚相手が本命なら怒られるに決まっている。
それがわからないからこその瑠璃川水鷹。
水鷹の無神経さはいつだってノンストップだ。身内にすら容赦がない。
「そのお相手さんがいないと生きていけないとか言っててアニキってばキャラ変おつって感じ」
「クソマズ飯の言い訳は?」
「ちょ、藤高もっと言い方あるでしょ。愛の塊ですよ!! ……で、アニキが言うにはそのお相手の料理を食べてる時が生きてるって実感するときだって」
「で?」
「おわりだけど?」
「……中身のない話するの得意だな」
溜め息を吐く俺に慌てる水鷹。
伝わらなかったことがショックらしい。
「毎日、藤高に愛を届けて生きている実感をあげてるわけだから早く元気になるかなって思ってんだけど、なんか違う? オレ間違った?」
「マズイもの食べてて食欲が落ちてきて体重減りそうだ。放っておくと死ぬんじゃねえ?」
「それはない。藤高にはオレの愛が充填されてるし」
「さよか」
愛の部分は意識的に無視する。
水鷹は愛と称して気軽に押し売りしてくる酷いやつだ。
俺の気持ちを考えずに好き好き言っては親友だと笑う。
普通の親友同士は好きだとか言い合ったりしない。俺が言い返さないので水鷹の一方的な俺へのラブコールがあるだけだけどきつい。
友達だからこその言葉だとしても喜ぶ自分が痛くてつらい。
「オレって好きな相手に尽くすタイプだろ?」
「初めて聞いた」
「うそ! 藤高はいつもオレのこと一途だって言ってくれてただろ?」
「快楽の奴隷だなとは言った覚えがある」
気持ちのいいことに対して水鷹は貪欲だ。
そして、手軽であればあるだけいいと思っている。手抜き男だ。
「なんか噛み合ってねえけど、メシどうっすかなぁ」
俺のセリフだと思ったが困ったといった顔をする水鷹を恨めない。
しょげた顔の水鷹は撫でくり回したくなる。犬を撫でたくなる気持ちになるのかもしれない。
「前みたいに食堂や親衛隊の誰かに作らせればいいだろ」
「自立心がないなぁ」
「おい、おまえにそんなことを言われる俺の身にもなれよ。ショック死するだろ。こんな屈辱なことない」
「死なないで藤高! 藤高はいつでも格好いいよ!!」
「バカにしすぎだ。ちょっとこれ全部食べとけ」
皿の上のチヂミということになっている物体を水鷹に押しつける。
立ちあがると水鷹が俺を引き留めようとするが無視して食堂に向かった。
自分が作った料理を消費しているんだろう。水鷹はあれで俺が言いつけたことをやらないことはなかった。後回しにして謝ってきてもやらないことはない。
適当でその場の気持ちよさだけを求めているようであって俺にだけは筋を通そうとするような顔を見せるから水鷹を見捨てられない。
食堂に近づくにつれて人が増え、同時にせせら笑う人と心配そうな視線が目立つ。
水鷹はこの空間から俺を切り離したかったんだろう。
いくら親衛隊に指示を出したところで消えないものはある。
こちらを気遣ったり憐れんだりする顔に不快感を覚えるとなればオレのほうが悪いことになる。
水鷹の気遣いはいつでも俺に対してとてもピンポイントだ。
俺が本当に嫌いなものから遠ざけて水鷹が肩代わりをする。
水鷹自身が苦手でも出来ないことでもやろうとする。
そうすることが友情だと思っている節がある。
親衛隊なんか呼ぼうものなら俺のことを心配しまくってわずらわすに決まっている。
水鷹のことだから自分たちの愛の巣に近づくなとでもいえばそれで済む。得な性格とキャラクターをしている。
俺が苛立って親衛隊を怒鳴ろうものなら転校したくなると水鷹はちゃんと知っている。
演技をしているわけではないけれど親衛隊の人間にはただの水鷹の友人の顔をしていたい。
弱っているところを見せたくはないし、頼ってほしいと言われたくもない。
俺は水鷹に抱かれるための道具である彼らをある意味これ以上になく見下している。その相手から心配されたりされるのは想像だけでも虫唾が走る。
自分よりも下だとわかっているからこそ俺は他人に対して優しさを持てるのかもしれない。
水鷹に体や心を傷つけられたと泣く相手のフォローが出来るのは相手を低く見ているからだ。
俺は水鷹から絶対にこんな扱いは受けないと嫌だと思っているはずの親友の地位に安心している。
親友であるからこそ水鷹と俺の関係は今のもので気晴らしの道具として刹那で消費される人間たちとは違う。
常日頃、低く見ている人間が心から自分を心配することに対する罪悪感とそれを上回る屈辱感。
自覚はなかったがプライドが高かったんだろう。
だからこそ、転入生が悪いやつじゃないと弁護していた気持ちが病院から戻って以降、消えた。
侮辱してくる相手のことをプラスに見ることができるわけがない。
転入生の顔を見たら殴るかもしれないと思っていたら居るのが当然という顔で「山波っ」と言いながら手を振ってくる。
俺と転入生が接触したことで周りのざわつきが別のものに変わった。
どうしてあの別れの後で笑顔を俺に向けられるのかがわからない。
海外は精神的な鍛錬場があるんだろうか。精神の強度がありすぎる。
たとえ土の味がしても水鷹の愛でも食べていればよかった。
今の俺は砂を噛むような心境になっている。物理的なほうがマシだ。
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