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十三

 浴室に入ると照れもなく水鷹は俺の下半身をジッと見る。  その前に湯船にあひるのオモチャを浮かべていたのでいつもの水鷹に戻っているんだろう。   「泡って、しみる?」 「平気だけど……」    トイレで痛むことはないので俺の下半身は物理的に再生不能な状況にはたぶんなっていない。  そう思いたいだけかもしれないし、痛みに気づいていないだけかもしれない。  基本的にあまり考えたくはないのでトイレの回数だって減った。水鷹の作るものがクソマズイことを抜いても食事量は確実に減ったかもしれない。    目覚めてから事情や病状を話した医師の言葉は俺の耳を素通りしたが水鷹は聞いていた。俺の細かい状況をたずねたら教えてくれるかもしれないがそうすることはない。今の俺にはそれを聞く勇気はない。直視する必要もない気がした。少なくとも今のところはないということにしておきたい。    俺は何も変わらない、いつもの俺だと思っている。  引きずりすぎることじゃない。    今なら下ネタにも軽く乗れそうな気がするし、いつものように無視しそうな気もする。  俺に猥談を仕掛けてくるのは、ほぼ水鷹だ。そして、俺が水鷹に本当の意味で怒ったりすることはない。  だから、俺は大丈夫だとそんなことを思っていた。  水鷹に下半身を洗われるまでは。   「何してんだ」 「ご奉仕するにゃん」  泡だらけの手を顔の横に持っていって猫っぽく動かす水鷹。  腹がたつほどあざとい。ムカつくが似合う。    風呂場の椅子に座った俺の股間に水鷹が丁寧に泡をつけていく。  以前なら水鷹に触られていると思うとそれだけで勃起しただろうが今は無反応。    失ったものの大きさを感じながらも俺の意識は水鷹に向けられていた。    後ろから俺を抱きこむようにするには水鷹の手は長くなかった。  正面からではなく少し横から手を入れるようにして内ももや股間に泡ごしで触れてくる。  水鷹の気遣いの仕方はわかりにくいが俺に対してはいつでも的確だ。  正面から来られたら反射的にシャワーヘッドで叩いた気がする。  照れ臭いとか恥ずかしいとかそんな単純な感情じゃない。  何かが変わっていきそうな気配をへし折りたい。    今までずっと女越しか男越しに裸で向き合っていた。  ふたりでいる時は裸になることもなく対戦ゲームをして終わりだ。  三人なり四人なりでセックスが始まっても俺たちだけで始めることはなかった。  それが友達の距離感なんだと今まで思っていたがそれは俺が勝手に境界線を引いていただけかもしれない。    行為の前後のことは女でも男でも水鷹はノータッチだ。  だから、今のように他人の身体なんて洗うのは初めてなんじゃないだろうか。  たどたどしい水鷹がすこし微笑ましい。    水鷹が荒っぽかったり無神経な言動をとったことをフォローするなんてよくあることだ。  彼女あるいは彼の戸惑いや困った雰囲気に手を貸すことはよくある。本来は水鷹が察するべきところだがわざとか気づかないからか無視を決め込むことがる。簡単にいうと乳首を気持ちがいいから触ってほしいとか腰だけ振らないで愛撫しろみたいな訴えを口にしてもしなくても聞き流すのが水鷹だ。抱いている相手よりも自分が気持ちよくなることを考えている。    シャワーのアフターフォローは男に多い。  化粧を落とした顔を見られたくない女は多いので入浴までいっしょにするのは殆どない。  それでも脱衣所で俺が声をかけると優しいと大喜びしてくれるし時には湯船に浸かりながら今後の話なんかをする。    男と風呂に入ることが多いのはゴムを使わなかった場合の処理を浴室でするからだ。  水鷹の親衛隊で居続けられないと泣いたり、ヤリたりないと俺を誘ってきたりと風呂場は俺にとっての二回戦の試合場。  そう考えると風呂場は性的なものを連想する場所でもあったのかもしれない。    ここ五日間、朝にシャワーを浴びるぐらいしかしていなかった。  夜に風呂に入るのをなんとなく避けていた。  その自分の反応からも意識的に考えること自体、逃げていた。    自分の弱さを見ないで強がるのは俺の得意分野だ。  水鷹はベッドのシーツを初等部かと思うようなアニメのキャラクターがプリントされているものに変えていた。  思い出すといつも薄暗く設定して間接照明をメインにしている寝室の照明も明るいものに変更されている。    思い至ると水鷹が俺に合わせて変えたことはひとつふたつじゃないかもしれない。  俺の変わってしまっている部分もまたひとつふたつじゃないだろう。  目につく日常とは違うところがクソマズイ料理だっただけで他にもいっぱい探せばあるんだろう。  俺が見ないふりをしている全部のことを水鷹は突きつけてきたりはしない。   そこに気づいてしまうと胸がいっぱいになる。  弱っているからこそか染みていく。    愛が深まるたびに水鷹がただのバカで考えなしの無神経クズだったら良かったと何度となく思う。    バカでクズで無神経な下半身がだらしないのは間違いないがそれだけの男じゃない。  最低で最悪なだけだったなら嫌いになれたし離れるのは簡単だった。  明るく軽く自分本位で人のことなんか考えないでいるようでいてきちんと見ているらしい水鷹のことを切り捨てることができない。自分が被害にあってすら俺は過去を後悔できない。水鷹と出会えてよかったと思っているし、水鷹のそばにいたいと思ってる。    勃起しないからこそ友情は壊れず、水鷹が風呂場で近くにいるんだと思うと得した気分にすらなる。  感謝したいとまでは言わないが損ばかりではないことが俺の気分を向上させた。  自分の下半身を見つめたら情緒不安定になるかと思ったがそうでもない。 「藤高の息子は、なでなでしても大きくはならんねぇ」  しみじみといった様子で余計なコメントをする水鷹の頭にシャンプーをぶちまける。  目に入れないように泡だてて髪の毛を変な形にしてやる。  鏡で自分の姿を確認して水鷹が「オレ、どんな髪型でもイケてる」と笑う。バカだ。 「念入りだな。使ってないから汚れてねえぞ」 「藤高の息子はオレの息子みたいなもんだから、いいこいいこ」 「それ、リアル息子にも言いそうでキモいな」  生まれるはずのない子供の話ほど空しいこともない。  それでも普通の友人同士ならこんなものだろう。 「藤高のこどもは女の子のイメージがあるなぁ。『馬になりなさい』って言ってくるから四つん這いになると『ホントにしないでよ、バカ』って蹴られるのよ。オレが大袈裟なリアクションとると焦って藤高呼んだりしてさぁ」 「理不尽なバカじゃねえか」 「めちゃくちゃかわいくねえ? ズボンもミニスカは絶対履かないでロングスカートを両手でちょっとあげたりして蹴ってくんの」 「足癖悪い女とかかわいくねえよ」    水鷹のツボはさっぱりわからない。  扱いやすい女がタイプとはいえ俺の娘に自分の好みを押しつけたりしないらしい。  親友の娘は自分の娘と同じようなものだから恋愛対象として見ていないのかもしれない。   「藤高のことは『お父様』なのにオレのことは『水鷹』とか機嫌が悪いと『スリー』とか言ってくるのよ。どっちかって言うとウォーターだってのに、ははっ。うける」    自分で言って、自分で受けて笑いだす水鷹。寒い奴だ。  水鷹は最初に三男という知識と駅名や地名などのイメージがあるから三鷹と脳内で変換してしまう。   「覚えてないだろうけど藤高はオレへの第一声」 「三じゃなくて水なのか、良い男だからか?」    昔の記憶を引っ張り出して口にする。  水も滴るいい男なんて言葉を思い浮かんで茶化したのだ。  目を丸くした後に水鷹はすぐに「そっちのが色男でしょうがっ」と返してきた。   「オレは藤高よりも格好良くなりたかったんだ」 「なに? 自信なくしてんの?」    暗い声を出す水鷹に焦って俺はシャワーを最大限まで出してしまう。ひねりすぎた。  飛び散る水しぶきに鏡がくもっていく。  となりを、少し下をむけば水鷹の顔は見えるはずだったが俺の顔は正面に固定されている。  空気の異変に対応できない。   「ごめん。でもちゃんと言わないといけないと思った」    心臓が止まりそうな気持ちに反して鼓動が早鐘を打つ。  水鷹が俺の手を握る。  何かと思ったらシャワーを下半身に当てただけだった。  俺の手をつかんだというよりもお湯が出ているシャワーを操っている。  泡を流そうとしただけだ。それだけのことだ。  肩の力が抜けそうになったが「聞こえないふりをしないでくれ、マジだから」と水鷹は言う。   「楽しい話をした後だけどさ、藤高には子供を諦めてほしい」    一瞬たりとも想像していなかった言葉を聞かされた。  何を言われるのかと構えていたのに肩すかしに終わる。  緊張感は泡といっしょに流れて行った。    加害者である水鷹からすれば大問題かもしれないが俺からしたら別に最初から女との結婚なんて予定にない。  水鷹のフォローで生涯を終えていい。    竿がダメになっても睾丸が精子を作っているから子供自体は作れると聞いた気がするが俺の場合はそれも無理なんだろうか。  シャワーの水圧にも無反応な俺の股間を水鷹は悲しそうな顔で見つめる。  水鷹の頭に俺が泡だてたシャンプーの泡が落ちてこようとするので「流してやるから目をつぶれよ」と声をかける。   「子供を諦めて、なに? 水鷹が俺の老後の面倒見てくれるって?」 「うん、まあそういう話をしてんだけど」    俺にシャワーを流されながらという状況が不服なのか水鷹が「真面目に聞いてくれないと泣いちゃうぞ」と唇を尖らせる。  軽くシャワーヘッドで頭を叩いて「かわいこぶってんじゃねーよ」と笑うと「格好いい系ですから」と自分で言い出した。さすがは自称他称でクソナルシスト。    整髪剤を洗い流してぺしゃんこになった頭の水鷹はチャラチャラとした軽薄な雰囲気からは離れて意外に幼く見える。  俺がむかしに渡した安物の青い石のピアスを指でいじりながら「藤高はオレを好きってことでいいんだよね」と自信のなさそうな声を出す。  いつもは自信満々に両思いの親友同士とアピールする水鷹とは思えない言い分だ。   「藤高の親御さんが学校辞めさせたいって」    転校ですらなく辞めさせるときか。  言いそうなことではある。  風紀委員長から聞いたときの気分の悪さはない。  気持ちは安定している。   「オレは、勝手だけど……藤高と離れたくない。離れたくないよっ。……だから」    シャワーを止めて泣きそうな水鷹の頭をなでてやる。  嗚咽をこぼす水鷹を抱きしめてやると浴室の濡れた床に押し倒された。   「いいよね、藤高」    安心したことによって完全に勃起したのか真面目モードから発情した雄に水鷹は顔を変えていた。  この段階になっても「おまえ、本当に俺を抱く気か?」と問いただしたい気持ちがある。  言ったら悩んで萎えられるかもしれないので言えない。    ちいさく頷けばキスをされる。荒々しくなりそうなところをなんとか踏みとどまろうとする意思を感じたので気にするなと舌を絡ませて水鷹の頭を引き寄せるようにする。  お互いに呼吸がわかっているので前歯をぶつけるような初歩的なミスはしない。    水鷹に抱かれるなんてありえないことだと思っていた。  いくら近くに居ても水鷹から声をかけられたらついてくる人間はいくらでもいる。  性処理の相手なんて俺じゃなくてもいい。    飢えていても俺に手を出すほど困る日なんか来ない、そのはずだった。  じゃあ、今日は例外の日なんだろうか。どうなんだろう。

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