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二十一

 母は父より五歳ほど年下だった。  それはそう珍しくもない話だと思う。    有名な富裕層の集い、それこそ瑠璃川のような家が主催するパーティーで二人は出会ったという。名目はともかく良家の子息令嬢が集うので内情は婚活パーティー。誰かや何かを祝いながらもするのは結婚相手探し。  そういったパーティーが開催されることは父や母の時代だけのことじゃない。今でもよくある。俺や水鷹にも声はかかるが強制力はないので参加していない。    パーティーの中でまだ学生の母に父は一目ぼれをした。  父のことを何とも思っていなかった母はそれから一年だか半年ほどで婚約し、大学卒業と同時に結婚した。  翌年には俺が生まれた。    夢見がちで社会も何も知らない母と年齢的に結婚後に昇進することになり加速度的に忙しくなっていった父。  タイミングが良かったのか悪かったのかそれは俺には分からない。    ただ破滅は目に見えていたのに結婚した二人は幸せだ。  俺の絶望を対価にして彼ら二人はこの世界の誰よりも幸福になった。  そうじゃないなら許せない。    それだけがあの時と今と変化のない俺の本音。  誰にも言えない真実。   『フジくんはどっちについて行きたい?』      そんなこと聞いてほしくなかった。  俺に責任をなすりつけようとする裏工作にしか見えなくて心はヤスリにかけられた。  幼かったからこそか父も母も醜悪に見えた。  自分を形作る大切なものが無残に砕かれるところを俺は他人事のように感じることで逃げ出していた。  きちんと向き合うことが出来なかった。恐れていた。    子供だったとか未熟だったとかそんなことは全部いいわけだ。  人の気持ちが考えられない人間だと言われても仕方がない。  それでも俺はあのときに他の言葉を思いつかなかった。     「オレの都合を押しつけてごめん」      水鷹がふたつ分の指輪をアイスが入っていた容器に入れる。水音が聞こえて氷が解けたんだと気づく。  いくら必死に守っても心は氷じゃいられない。俺は思ったほど冷静じゃない。臆病で自分を守り続けているだけだ。   「藤高が病院で寝てる間に転入生より先にオレがお父さんとお母さんに連絡したんだ」 「それで」 「当然、怒られたし藤高のことを心配してた」 「あっそう」 「一緒に暮らしたいって言ってたんだけど藤高はいやだろうから」 「瑠璃川水鷹として責任をとるから納得しろって言い含めた?」 「知ってのとおりウチは金持ちだから変人も多くて同性婚とか男同士でくっついてるのも珍しくないんだよね。増えすぎないようになっててちょうどいいんだけど」  いつもの水鷹らしくないドライな言い回しだ。   「ウチの父親だけが例外で瑠璃川の種馬って呼ばれてる。オレは三男って言ってもあの母親から生まれた三人目ってだけ。腹違いの兄弟はいくらでもいる。それでも母親側がそれなりの資産家だったりしてお金に困ってそうな家庭はなさそうだね」    これは裸であぐらをかいて苦笑しながら話すことではない。  腹を割って話すと水鷹が決めたのは意外だったが俺がそうさせたんだろう。  こうなったのは俺が泣いたからだ。   「瑠璃川の家の人間として動く人間としても父親の息子として必要な人間も十分だって言えば十分だ」  だからこそ水鷹は遊び歩いていた。  誰よりも自由を謳歌していた。  まるで誰かに反逆するようにお金を使うこともあった。  父親からもらったお金なんだろう。    水鷹は瑠璃川の家に縛られない。  なんの期待も受けていない。    それは逆に言えば何の束縛もない状態。  何も背負わず、何も持たない身軽な姿。  俺からすれば理想の体現のような状況だがすべてを持ち合わせている人間を知っているなら何も思わないままでいられるわけがない。  俺がすべてから心理的に距離を置いているのと同じように水鷹もまた軽薄さという鎧をまとって自分を守っているのは知っている。バカであることは楽なのだ。  楽しいことだけを追求して堕落して水鷹は今のスタイルに落ち着いている。 「オレをオレとして必要とする人間はたぶんこの世界で藤高だけだと思う」    それは自分を過小評価していると言ってやりたいが水鷹が作り上げている水鷹の姿は最低最悪で相手が水鷹じゃなかったら許せないことばかりだ。   「アニキが結婚するって聞いてホント、理解できなくてさ」 「自分も同じ立場になりたくなった?」 「いい機会だから、そうしたら全部丸く収まると思った」    具体的には言わなかったが思考実験の一部のような、言うなればゲームのようなもの。  俺の反応を予想して当たったらご褒美にアイスの一つでも食べていたのかもしれない。  そのことは俺だってわかっていた。  水鷹が俺を好きだと思い込んだりしない。  恋と俺と水鷹は同じ場所には存在しない。   「でも、転入生からの話に怒らせちゃったみたいでさ」 「あっちとこっちで言っていることが違ったら不信感しかないからな」 「藤高さえ説得できればどうにでもなると思ったけど……」    俺の顔に触れてこようとする水鷹の手を払いのけて湯船の中に入ってもぐる。  泣いた俺よりも悲しそうな顔をするなんて卑怯だ。  俺が水鷹に敵わないことを知った上でこんなことをするんだから悪魔だ。    湯船から顔を上げると浴室の床で水鷹は土下座していた。  全裸での土下座。  この世で一番バカの称号を捧げたい。   「オレの都合で藤高を縛り付けようとした」 「で?」 「これから先もずっと一緒にいてください」    プロポーズのようにしか聞こえない言葉を鼻で笑う。  センチメンタルな気持ちは全部、湯船の中に沈んでいった。   「藤高がいないとダメなんだ」 「知ってる」 「外堀から埋められるはずないって知ってたつもりだったんだけど……」 「あん?」 「形式も約束もオレたちにはいらなかった」    縛り付けられててもよかったんだと言ったなら水鷹はどんな顔をするんだろう。  それとも、俺の中の無意識が「結婚」という単語に拒否反応を示していて水鷹がそれを察したのか。  結婚にいいイメージはないし、ましてや男同士なんて明るい未来は見えてこない。    指輪のせいで水鷹のとなりが息苦しくなったということはない。  それでも、疑って疑って疑い続けた。  水鷹の本音を探ろうとしてこの一カ月、気分は最悪だったかもしれない。  情緒不安定さを騙し騙し隠し通していたつもりで水鷹にはきっとバレバレだった。   「なにもなくてもオレたちは愛し合える」    水鷹が湯船に入ってきた。  許可していないと言いたかったがすがるような視線に俺の身体は動かない。   「大切だって思えるその気持ちだけで良かった。他人とか周りとかオレたち以外の価値観なんかどうでもいい」    正確に言えば水鷹は水鷹以外の価値観を踏みにじることに罪悪感を覚えていないだけだ。  なぜか水鷹の考えと俺の考えをまとめているが俺は別に水鷹と同じ考えで生きていない。  自分の考えを押し通すことを当然だと思っている。  我を通すことによる弊害。  誰かの犠牲の上に自分がいることを知らない。   「誰に何を言われても関係ないよね」 「最低人間」 「いーじゃん、いーじゃん」 「それが自分だって開き直れば何をしてもいいと思って」 「いーじゃん、いーじゃん」    最低最悪な純真さでエゴを押し通す水鷹を心底憎らしく思いながらも嫌えない。俺が嫌いになれないことすら織り込み済みである水鷹にイラついて仕方がない。   「オレは気づいたのです!」 「なに」 「オレの何が悪いんだってこの一カ月すげーいっぱい考えてた」 「あっそう」 「でも、わかった。オレは何も悪くない。全部正しかったから間違ってた」    訳のわからないことを言い出す水鷹はひとりで納得するように頷く。   「で、結局?」 「オレはこの先ずっと藤高と楽しいことだけをしていきます宣言!」    指輪を窮屈だと思ったのは俺じゃなく水鷹なんだろう。  やっぱり素股じゃなくきちんと挿入したいんだ。気持ちの良さが違うから俺だけじゃ不満だったに決まってる。   「水鷹くんの息子さんは限界なので一刻も早く藤高の中に入りたいです」 「猿」 「お猿さんな息子は足りない足りないと訴えております」 「なんだ、それ」    俺でいいのかと口から飛び出そうになる言葉をギリギリで飲みこむ。  誰かを用意しないでいいのかと言わないでいるのは言葉のノリに反して水鷹が家族のことを語ったときと同じ顔をしていたからだ。    俺の中にも覚えのある感情。  否定しないで、手を離さないで、ひとりにしないで、そばにいて。  頼られることが嬉しくて俺は水鷹に何でもしてやった。  水鷹が喜んでくれることが俺にとっての喜びだった。  俺の中にいる目をそらし続けている俺の姿と水鷹はどこか重なるのかもしれない。  だから誰よりも肩入れするし、引き寄せられ魅せられる。   「オレが気持ちよくなるのには藤高が必要なんで、手を貸してよ」    前立腺を刺激されても乳首をいじられても何とも思わない。  不感症じゃないはずなのに気持ちよくない。   「手じゃなくて穴を貸して! ください!!」    最悪のクズな発言なのに水鷹らしい言い分だと思った。  今まで俺は挿入を拒んできたわけじゃない。  水鷹がしなかっただけだ。  俺からの言葉を待っていたのは知っているが何も言わなかった。  結果やっぱりこうなる。いつものように動くのは俺じゃなく水鷹からだ。  それに覚える安心感は計り知れない。    こうして俺は全部を水鷹のせいにして生きていくんだ。  水鷹もまた俺のことだけは背負うつもりで手を伸ばす。  他人を平気で犠牲にして、俺すら犠牲にして、そのくせ自分も犠牲にするバカとしか思えない生き方でも水鷹にはお似合いかもしれない。    俺の中にもある愛されたがりな部分が水鷹の行動を理解している。  自分を絶対に裏切らず、自分の味方であり続ける存在が欲しくてたまらない。  それは俺も同じだからこそ離れられない。  外側からは正反対に見えたところで同じ痛みを知っていて同じぬくもりを求めてる。  誰かにとってわかりやすい形にする必要のない俺たちだけで通じる共通認識。    水鷹はそれを恋と名付けていないらしいことが淋しいけれど指輪が消えた手を握ってくるバカがいるので気にならない。  この先もずっといっしょだと口にする水鷹に俺は返事をしない。  いつものことだ。      けれど、俺たちはふたりとも分かっている。  繋いだ手は離れない。

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