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二十二

 指輪を失ってさみしいけれど身軽な気になった。  そんな俺に訪れた変化はわりと顕著だ。  勃起できるようになった。    完全な復活じゃない。  すぐに硬さは失ったりするけれど死んだわけじゃないことを知って俺の心はだいぶ楽になった。  水鷹は既定路線だとでもいうように俺の下半身を見てただうなずいていた。シュールだ。    考えないようにするために避けていた病院という選択肢も前向きに考えられる。  医師の言葉も今はきちんと聞けるだろう。  案外たいしたことはないのかもしれない。    水鷹が問題は射精機能が回復するかどうかだと言った。  完全復活までの道のりは遠く長いかもしれないが届かない場所じゃない。  水鷹はいつまでだって付き合うと笑う。親友だからだろう。    引き換えに順調に拡張を行っている尻を差し出す。  素股と挿入に大きな違いを感じていた俺だけれど水鷹は水鷹のままで何も変わらない気がしたから別にいい気がした。  何にこだわっていたのか分からない。  水鷹がほしがって、俺が用意する、それはいつものことだ。  用意するものが他人ではなく俺自身になったことをどこかで怖がっていた。  それも被害妄想の一種だったのかもしれない。    水鷹に抱かれる人間になることで以前よりも低い立場になると思い込んでいた。  好きな相手に求められて嬉しいくせに心は冷え切って虚無感でいっぱいで無味乾燥。  水鷹に抱かれたい願望があっても実現して失うものに怯えていた。  失うものなんて何もないんだと消えた指輪を見て思う。  約束なんか必要ない。  契約もいらない。    お互いにだけわかる繋がり、安心感が俺たちにはあった。  誰にも理解されなくていいと水鷹が言うように俺にも理解できない確信が水鷹の中にある。  それに従って水鷹は生きている。俺もそんな水鷹といっしょにいるんだろうと思える。    自分の身体の変化も心の変化も不安で仕方がなかったのだと解決してから分かる。  俺は自分を守るために見たくないものから目をそらす。  現実と向き合ったところで勃起するのかといわれたらきっとしない。  ただ俺が息苦しくなるだけだ。  だから考えないでいた。    気分がすっきりして振り返ってみると一カ月の間、どうやら俺は窒息していた。  精神的に首を絞められていた。  毎日、時間の流れが早くて遅くて朝も夜も常に不安だった。  俺の部屋になっている場所は水鷹の部屋だ。  いつ部屋を追い出されるのか、いつ俺は今の立場を失うのか、そればかりが頭の中を占めていた。    水鷹を好きだからこそ水鷹のそばにいると苦しい。  それは前からあったことだから気にしないでいた。  でも、今回の痛みは少しだけ種類が違った。  違っていたことにすら渦中では気づかない。    水鷹にとって俺の価値が男や女を引き寄せる都合のいい道具で、抱く人間の用意と後始末を担当するだけの人間だと思っているなら下半身の使えない俺に用はない。  学園内では転入生のせいで不能のイメージがついてしまったし、学園外の人間にだってそのうちどこからかバレることでもある。  プラトニックな恋愛を望む人間は以前と変わらずにいてくれるかもしれないがそんな相手に水鷹に抱かれろと言えるわけもない。    自分にとって利用価値の下がった俺を水鷹が気にしないでいてくれるのか分からなかった。  見捨てられると思ったわけじゃない。それでも引っ掛かりを覚えていた。  男の沽券は股間にあるというか、自身に傷をつけられることは自信にも傷がつくことだった。  元々、深く人を信用するタイプでもない。  水鷹を抜いて考えれば俺は疑い深くて慎重な人間だ。  俺にとってのすべての例外が水鷹だが、究極的に俺は水鷹も誰も信じていない。  今の俺の状態を気にしないでいいという言葉代わりに指輪をくれたんだろうが俺はそれもまた信じていなかった。  仮に入籍を済ませても書類上のものだと思ったに違いない。  そうすることで俺は水鷹がどんな行動をしても責めないし傷つかないという保険をかけようとする。  同時に自分の傷つくかもしれないという想像のことで傷つく。  現実にありえそうだと思えてしまうからこそ想像の上で先に傷をつけて痛みに耐性をつけようとする。  水鷹が浮気をしないと言ったとしても頭からそれを信じて自分が幸せになれると思い込めるほど俺は世界を甘く見ていない。  俺だけを愛してくれと叫んだところで伝わるわけがない。  期待するだけ無駄な恋だと自覚した時にわかっていた。    信頼できるのは自分だけだ。  俺は自分を守ることに命を懸けている。  どうにかして傷つかないでいようとしている。  結果として多くのことを見過ごして手遅れになったとしても自分を中心にしか考えられない。  それでも水鷹は俺のこんな自分本位な部分を責めることはない。  隠し通せてなどいない自己愛をお互い様だとでもいうように触れずにいる。  それは水鷹を喜ばせるために何でもしてやりたいと思うように水鷹もまた俺のことを考えてくれているということなんだろうか。     「山波っ」    それが自分の名字だと思い出しても痛みは薄くなっていた。  別にどうでもいいことだ。  何を怖がっていたのか分からなくなるぐらいに俺にとって些細なことだ。  いやな想像ばかりが頭の中を占めていたのが嘘のように俺は落ち着いていた。  転入生に対して何かをしなければいけない気がしていた。それは気のせいだ。  俺の身体は水鷹が責任を持って治すだろうし、水鷹がやらかしたことの責任はもう今では立証できない。  証拠の映像は何もない。転入生が自分の不名誉になることを言いふらすような捨て身になりそうもないことはわかっている。    問題は転入生を使って俺に何かをする人間が前会長の言葉通りにあらわれそうだというだけだ。  その点は何よりも気を付けなければならないだろう。   「うわっ。なんだよ、山波と話をするのを邪魔すんなよ」  俺は一人でいるように見えて常に数人がまとわりついている。  二人から十人はただの通行人だという顔で一定の距離でそばにいる。  これは転入生に対する対策などではなく以前からのことだ。  生徒会室にはそういった偽通行人はやってこないがある程度まではくっついてくる。  護衛などではなく俺の吐いた息を吸いたいという頭がおかしい奴らだ。  俺の後姿を見つめていたいとか足音を聞きたいとかシンプルに役に立ちたいという気持ちでそばにいる。  以前はそういうストーカー手前は週一ぐらいにするように活動の自粛を求めたが、転入生よりもマシなので今は規制を緩和してやりたいようにやらせている。  前会長が言う通りに何もさせずにいたらフラストレーションも溜まるだろうから適度に使用していくつもりだ。    転入生とはだいぶ離れた後のほうにセンパイである会計を見つける。  手を振って自分は傍観に入っている。  イラっとしたので書記に会計を指さしておく。  会計は膝かっくんをされて床に崩れ落ちた。  溜飲が下がって場所を移動しようと思ったら「山波聞いてるぞっ」と転入生がジャンプをしながら訴える。  自分を見ろというアピールなんだろうが間抜け臭い。   「ひとりだと大変だろ! でも、だいじょうぶだっ」    廊下で大声で下ネタを叫ぶ転入生の頭は大丈夫じゃない。  無神経野郎は水鷹だけで手いっぱいなので相手をしたくない。

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