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二十三
生きていく上で大切なものは思ったほど多くない。
自分以外の誰かがいるので妥協も覚えていく。
すべてを手に入れることはできないと誰もが生きていて生活の中で知っていく。
その中でも諦めきれないものが出来てしまうからこそ人は苦悩するんだと思う。
不毛で無駄で捨てるべきだと何度と思ったところで俺が水鷹への気持ちを未だに持ち続けるように誰にでもいくつかはゆずれないものがある。
けれど、それはそんなに多くはないはずだ。
欲張ったところで何もかもをつかんだままではいられない。
そんな風に思うからか転入生が俺に向けてくる執着心の理由がわからない。
他の誰にも目をくれずに俺に突撃してくるあの精神が理解できない。
いわゆる俺を神聖視して俺の役に立ちたがる盲目な崇拝者と転入生は違う。
仮に転入生がそういった目で俺を見ていたなら水鷹親衛隊の中にいる俺派のような言動になりその層とも馴染むだろう。
ある種のファン心理のように同じ人間を好きでいる者同士に精神的な繋がりが生まれる。共通意識はそのまま共同体でいる理由にもなる。
盲目であればあるだけお互いの気持ちに共感して認め合うよりも自分の方が俺を理解して好きだと訴えたがりが多くはなるけれど誰でもどこかで折り合いをつける。人とぶつかり続ける状態はそれほど楽じゃない。
俺があからさまにして圧倒的に瑠璃川水鷹とそれ以外を分けて付き合っているから尚更だ。
割り切れなければつらいだろう。
誰かが水鷹を恨んだところで俺が水鷹から離れることはないし、水鷹への攻撃は俺への攻撃になる。
水鷹を嫌っているのに水鷹の親衛隊に所属するのや水鷹に抱かれるのはつらいだろう。
俺の水鷹を中心にした言動によって彼らは俺を好きでいることしかできない。
水鷹に手を出せない。陰口や小言はあっても水鷹への敵対行動を俺が望んでいないことぐらい誰でもわかっているのでいきすぎている思想の人間は親衛隊内でも弾かれる。
彼らは水鷹を批難して文句を言うが俺に対しては水鷹さえいなければ完璧だという夢を見ている。
そしてどうやらその理想を周囲と共有することが幸福であるらしい。
水鷹を理由に人を遠ざけているつもりだが、前会長いわくそれは逆効果になっているようだ。
自分なら俺の目を覚まさせてやるとか、水鷹とは違う部分での特別を手に入れたいという気持ちを誘発してしまうらしい。
瑠璃川水鷹という前例があるからこそ自分が取って代わるという妄想もまた盛んらしい。
簡単に手に入らない、逃げるものを捕まえたくなる心理。それ自体は分からなくもない。
転入生も俺が全く取り合わないからこそ勝手に頭の中で盛り上がっているんだろうか。
敵に回す人間の巨大さをわかっているから俺を好きだと思っても動かずに今の距離で妥協している人間たちがいるのに無知は人をチャレンジャーにする。
水鷹と戦うということが瑠璃川を敵に回すことだと理解してとしても瑠璃川を敵に回すことの意味が分からないなら危機感もないかもしれない。
車が通っていない場所で信号の説明をしても交通ルールを守ろうという意識を育てるのは難しいかもしれない。車にはねられることの衝撃は車が走っているところを見ないと想像もできない。危ないと言われたところで何が危ないのかもわからないだろう。
「この距離で会うの、ひさしぶりだなっ」
両手を振る転入生は悪人には見えないが「体調平気か? 朝勃ちするか?」と聞いてくるのをやめてほしい。
ここは普通の校舎の廊下だ。
生徒会室に向かう道なので人は少なめではあるが数メートル離れている俺に届くように大声を出す内容じゃない。
お前はセクハラおやじか何かかといってやりたい。
ユーモアを勘違いしている。
普通の人の神経や常識はどこかにおいてきた転入生。
どこにいってもこの調子なら失敗するだろう。
「オレは山波のちんこを確認するまであきらめないって決めたんだ」
勝手なことを口にする転入生に頭を抱えたいが動くこともなく無言を通す。
このまま勝手にべらべらと話すか相手も無言になるかで精神的な力量が分かる。
ちなみに水鷹は無言の俺に五時間は余裕で話しかけられる強者だ。
失言やどうでもいい話も多いが滑ってもめげないというのが水鷹のもっとも尊敬できるところだ。
数撃てば当たると思っているので大量の言葉を並べていく。
「山波っ、ちゃんと答えろよ!!」
無言の俺にしびれを切らしたように叫ぶ転入生はこらえ性がない。
水鷹は勝手に俺の答えを想定して話しはじめたりする。
それが周囲からすると妄想だったり一人芝居だったり空回りだと水鷹が言われる理由になっている。
俺は水鷹の言葉を否定も肯定もしないがその意味を理解できないほど読解力や感性が鈍い奴はさすがにこの学園にはいない。
「諦めろ―、諦めるとき―、諦めろ―」
親衛隊から連絡でも受けたのか水鷹がやってきて転入生に訴えた。
普通に見えるが水鷹のこめかみあたりが汗に濡れている。
ハンカチでふいていてやると「うちの嫁はん、よう利いきくわ」と言われたので「へぇ、旦那さんが不甲斐ないんで」と返しておく。
指輪の有り無しなんか関係ないただの会話だ。
昔は周りもいちいち戸惑ったり注視していたが今は何も聞こえないように振る舞っている。寒いってことなんだろう。
「関係ない奴が出てくんな」
「それはこっちのセリフですぅ。おこだよ。水鷹くんはおこだよぉ」
「キモイ」
「それはオレに対してのセリフじゃないよね、マイフレンド?」
「自分の兄が同じ台詞を口にしたと仮定したら?」
「キモイかな……キモイかも。……藤高が正しいっすね。藤高が正しくなかったことはないね、うん」
水鷹とその兄たちの見た目はかなり似ている。
髪の毛や服装を水鷹自身が真似しているところもあるんだろう。
口を開くと雰囲気は違うが写真だとそっくりだと感じる。
性格は好戦的で暴力的で危ないと聞いたりもするが第一印象のセクシーな年上の男という感想しか覚えがない。
少なくとも「おこだよ」なんて絶対に口にしないだろう。
「まあ、それはそれとしてっすね。オレがたとえキモくてもいいや、キモイからこそ言わせてもらう! オレ以上の関係者はいないってぐらいに関係者だから!! 藤高に何か話があるならオレを通してもらわないと」
「マネージャーか」
「むしろ、藤高がオレのマネージャーみたいなものだけど気持ちの上ではタレントを必死で警護する警備員さん」
「俺と腕相撲したら負ける癖に」
「指相撲だと圧勝ですから!!」
水鷹は人の集中力を切らせたり、その隙を見つけて攻撃するのが上手い。
指相撲で緊張状態が長く続いてふと気が緩んだ瞬間に押さえこまれて負けている。
主導権を一度でも握ってしまえば水鷹はそこからひっくり返されることがない。
今もどこか突進しようとする転入生とそれを押さえていた俺の役に立ちたい同盟所属の人間のあいだにあったピリピリとした空気を消している。
緊張感のない声と軽く明るい水鷹のノリは人を脱力させる効果がある。
この場を支配しているのは瑠璃川水鷹だったがそれを正しく理解している人間はたぶん少ない。
「言いたくないってか、かわいそうだから言わないでおいたけどさー」
「かわいそうってなんだ!! 馬鹿にすんな」
「藤高はキライ以前の問題だから」
「はあ? なにが?」
「わかってるでしょ。わからないはずがない。……藤高に嫌われてすらいない自分の存在感のなさに気づかないほど幸せな生き方してないんじゃない?」
水鷹は時折こうして本質っぽいことを言うから普段の適当さとのギャップで人を惹きつけたりする。
人によっては触れてほしくない部分を突かれて苦手意識を育てたりするようだが、それもまた織り込み済みだろう。
「好悪を抱くほどの興味も感情も割り振られてないって自分でも知ってるんじゃない?」
水鷹からはそう見えるらしいが俺はハッキリと転入生が嫌いだ。
下半身の件を抜いても面倒しかなかったし、顔が水鷹好みだというだけでも俺が嫌う理由がある。
性格が適度にまじめで恥じらいを持ちながら肉体の快感に流されがちだったら水鷹と付き合った可能性だってある。一度でもお遊びでも水鷹に口説かれた相手に俺が好意的になるわけがない。
反論したいらしいが言葉に詰まった転入生は後ろにいる会計と書記のもとに行き二人を殴りつけた。友情とはなんであるのか考えさせられる瞬間だ。
「好かれるのも嫌われるのも藤高相手には無理なもんは無理なのさー」
転入生の後姿に声をかけてやる水鷹は優しい気がする。
わざわざ言ってやるのもある意味で優しさだ。
俺にこれ以上、構わないでいろという内容だが通じるかは微妙だ。
この言い方でわかるようならすでに諦めているだろう。
何が転入生を突き動かしているのか俺が知らない限りは今の状態のままかもしれない。
不穏な行動というよりも不毛な言動が多いので転入生も転入生でストレスを溜めているので現状維持はありえない。ゆるやかにけれど確実に変わっていく。
どういう形で爆発するのか想像できないのではなくしたくない。
怖いとは思わないが面倒だと感じている。
今も無数の目が俺を見ている。それがわかるからこそ平穏は遠いとわかる。
俺の号令ひとつで転入生を追いつめることが出来ると語っているような無機質な瞳は怖い。
待てをしている犬のかわいらしさなどない。
転入生よりも俺の味方をしているつもりの集団の方が恐ろしい。彼らが何かをしたら俺の責任になってしまう。
うんざりとした気持ちを抱えていた俺を水鷹は手を引いていく。
そのぐらいのことで俺の気持ちは簡単に上向く。自分でも手軽だと思う。
「今日のアイスはバナナチョコ」
「チョコだけ食べる」
「藤高さまってば藤高さまっ! いいよ!! 残った部分はオレが食べるから」
あっさりと水鷹についていく俺を周りがどう思うかとか今後の転入生のことも全部がどうでもよくなる。
水鷹の言う通りに他人に積極的な興味を持っていないのかもしれない。
トラブルを避けて安全な場所にいるために情報を得ようと思っても、その情報提供者や俺を面倒事に巻き込むだろう人間たちに強い感情は持っていない。
感謝も好悪もあまりない。
後々にその選択を後悔したとしても俺はどうしても問題を先送りしてしまう。
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