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三十二
俺は今までずっと矛盾し続けていた。
矛盾を押し通せていたのは周囲の俺に対する愛情を利用していたからだ。
善意ではなく欲望の混じる愛情が鼻についていた上に不要な権利を与えて義務を背負わせようとする人間たちが嫌いで仕方がなかった。
誰にも恨まれずにいたのがおかしい、俺を嫌わない人間がいることが理解できないと心のどこかで思いながら、安全な場所にいられるように立ちまわっていた。
好かれることが信じられない癖に嫌われないように動いたのだから恨みは買っていないという自負。
水鷹から愛されていることが理解できても友愛との区別のつかなさに水鷹の発言を全部聞き流す鈍さ。
自分が背負えるもの以外は手を付けずに逃げたことを責められるのを恐れている幼さ。
俺の矛盾やそのときどきで楽なことを選んだツケは巡り巡って俺を絞め殺しに来たけれど、捨て身でいられないし、他人の感情を素直に受け入れることが出来ない。
俺が水鷹が好きな理由と水鷹以外を好きにならない理由こそがまるで目隠しをしているような俺の目の前に散らばる火種の原因だ。
俺にはずっと自分が被害者だという意識があった。
両親の愛情に犠牲になった被害者だと自分のことを思っていた。
だから水鷹を好きだと自覚した時に他人を道具のように扱ってもいうほど罪悪感を持たなかった。
転入生が俺をかわいそうだと言うように俺も心のどこかで自分を憐れんでいた。
水鷹と結ばれることのない自分に同情してどこまでも自分に甘くなっていた。
誰かが泣くことが想像できても、人を踏みつけにしても、俺は自分を守るための行動ならゆるされると言い訳を繰り返していた。
たとえば自分が生きていくために必要な緊急避難の状況だと大義名分を作り上げて非道を良しとしていた。
水鷹が間違ったことをしているとわかっているように俺は俺が間違っていることを理解している。
間違っていることを理解しながら行動できるのは良心がないとか麻痺してるわけじゃない。
かわいそうな自分を甘やかさなければならないという前提があるからだ。
そうしなければ死んでしまう。
物理的なのか精神的なことかはわからない。
でも、自分に優しくあらないと自分がどうにかなってしまいそうで怖かった。
自分に居心地のいい空間を維持するその過程において水鷹の親衛隊や俺を好きだと名乗っている人間たちの愛を犠牲にしているのはわかりきっていた。他人の愛を軽視していた。ずっと、俺は誰よりも俺を大切にして他人を踏みつけていた。
正確に言えば俺は俺を大切にする人間に対して水鷹よりも酷い立ち振る舞いだった。
片思い気分を続けながら俺は水鷹がどんな形であれ俺を好きであることを知っていた。
知っていながら受け流していたのは自分が傷つかないためだ。
俺の水鷹への愛が親愛レベルに留まるものじゃないのに水鷹から友愛しか返ってこないどころか、欲望を内包した愛情が受け入れられなかった場合の自分のダメージを恐れた。
俺が水鷹が好きな理由と水鷹以外を好きにならない理由と水鷹以外からの愛情を執着だと切り捨てていたそもそもの原因はたったひとつだ。
水鷹と転入生を比べて俺の心がすこしも動かない理由も同じだ。
頭は両方ともどこかおかしいのに俺はクズで最低だと思ったところで水鷹を選ぶ。
「いつでも、どんなときでも、フジくんがあいつのことを好きでいるのが僕たちはみんな理解できない!! くやしくてくやしくて! フジくんのために、藤高さまのために、僕たちは何だって出来るし、なんだってする。そこに嘘はないのにどうして、瑠璃川水鷹、あのひとだけを、あなたは愛しているんですか!!」
この絶叫を俺は今まで聞き流していた。
放課後の教室で、夜の街で、寝室で、風呂場で、俺の腕の中で、彼らは泣きながらあるいは淡々と俺を批難するように訴え続けていた。
言葉は違えど誰もが俺が水鷹だけを贔屓していると嘆く。
「瑠璃川の家の人間だからとか、会長だからとか、ノリがいい軽い人間だからとか、いつでも笑っている明るい人だからとか、せめて納得のいく理由の一つでもあれば僕たちはここまで行き場のない感情に縛られたりしなかった」
俺はずっと誤魔化しと本音を交えて「友達だから」と答えていた。
水鷹は間違いなく親友であり同時にそれ以上だった。
だから、当たり前のように水鷹はこの話に割り込んできて水を差してくる。
「愛してるとか言ってぜんぜん足りない嘘つきどもが! 藤高に対する愛が足りない自己中が愛されるわけねえんだよ。わかれよ。バカじゃねえの」
ベッドにナイフを突き立てたままレイは乱入してきた水鷹を見る。
俺のとなりに並ぶ水鷹は転入生が俺の不能を暴露した日と同じだ。
何もかもをわかっていると言うように盾になり同時に剣になろうとする。
俺の心を勝手に解釈して守ろうとする。その行為自体は親衛隊やレイや前会長と同じかもしれないのにやっぱり違う。
「黙っててくださいよ。フジくんから愛されてるくせに僕たちを抱くことができるようなあなたに何も言われたくない」
「藤高が絶対に言わないし言いたくないし言えないだろうからオレが言う」
「これが請け負ったってことですか? 勝手な言葉を投げつけているだけで一方的すぎる」
「それは藤川のほうだろ。藤高にあれしてくれこれしてくれってどんだけわがままなんだよ!!」
水鷹が俺の手を握った。
あたたかくて驚くが俺の指先が冷えていたんだろう。
「反論は聞かないっ。できないんだからな! オレが藤高に甘えてわがままなのはいいんだよ」
「自分を棚に上げ星人、水鷹」
「でも、藤高だってべつに気にしてないだろ」
「そうだな」
俺と水鷹のやりとりを憎しみのこもった瞳で見るレイは怖すぎる。
だが、元友人をこんな風にしたのは俺だ。
「これはオレたちが共通の認識で繋がっているからだ」
水鷹が俺と繋がった手をレイに見せつける。
ベッドに置き去りにされたことでナイフから手は離れているが間違いがあったら困るので煽るのはやめてほしい。
「シンプルな話だ。誰だって、子供だって理解できるような簡単なことだ」
「水鷹、回りくどい」
「好きじゃない相手の扱いは雑になるし、好きな相手は特別だ。依怙贔屓なんて教師だってするし、オレだってメチャクチャしてる!! 藤高を現在進行形で贔屓して庇うし引かねえよ」
俺のことを好きだと主張する彼らは誰もが水鷹が自分たちと違う土俵にいることが許せないでいた。
レイはとくに普通に教室内で話すことも出来なくなってしまったことで鬱憤を溜めこみすぎた。
行動を起こさなければどうにかなってしまうほどに感情が行き場をなくなっていた。
「半端な愛情を掲げて自慢げな奴らはイライラする。藤川もただ転入生の後始末でもしてればそれなりだけど、全然だ。愛が足りな過ぎてムカつく。藤高を困らせる言動をとんなよ」
「棚上げマン」
「藤高、茶化さないで! 真面目な話してる!! 結構オレにしてはマジでやってる!」
肩を落とす水鷹に笑う。俺の肩の力も抜けてきた。
何よりも大切なものが今、たぶんここにある。
「僕たちが、僕が嫌われているって言うんですか……」
「なんで嫌われないと思えるのかが不思議なんですけど? 隣の部屋であることを利用して壁に穴をあけて覗き見してるだろ? だから、転入生と藤高がスプラッタしてて駆けつけたんだろうし。オレは鍵を閉めたのに入ってきたってことは合鍵を勝手に持ってるっぽいし」
一呼吸を置いて水鷹が「なんでそんなことして嫌われないと思ってんだよ」と言い放つ。
今まで俺は全部を仕方がないことだと思っていた。
自分が招いた似非八方美人の弊害だ。
クラスの中で浮かないように誰にでも親切な顔でいた。
私物がなくなろうが盗撮されようが多少だったら実害はゼロの扱いでいい。
でも、前会長や水鷹やたぶん会計なんかは俺を守るように周囲に働きかけただろう。
結果がある程度の目立つ人間以外との俺の過度な交流の規制につながる。
「藤高は仏像でも神像でも聖母マリア様でもなんでもないから気持ち悪い奴は気持ち悪いと思うし、好きじゃない奴は普通だし、嫌いな奴は嫌いだ。そう思うのことの何がいけない」
「少なくとも僕は、さいしょは、こんなことをしようと思っていたわけじゃないっ」
俺の言動でレイが歪んでしまったのはわかっている。
だから、覗き見の件も含めて責める気はなかったが水鷹は怒っている。
「藤高のせいだとでも言いたいのか? ホント最悪だ。ゴミみたいな愛だな」
ベッドに突き刺さったナイフに手を伸ばしたレイを水鷹が蹴った。
美人でもかわいくても水鷹は美醜関係なく男女平等だと言って必要なら殴ったり蹴ったりは余裕でする。
しかも、水鷹の手や足が出るのは自分ではなく俺に敵意や悪意が向けられたときになるので何も言えないことが多い。
レイはきっと水鷹の侮蔑に発作的に自殺しようとした。
自分にナイフを突き立てて俺に見せつけようとした。
そういった行動をとろうとする人間は初めてじゃない。数人は見てきた。
転入生も似たような傾向があった。
「傷を見せびらかして、自分の感情をさらけだして、藤高にイイコイイコされんのは気持ちいいだろうけどな。愛が足りな過ぎるだろ」
歯を食いしばりながらレイは水鷹をにらみつける。
「フジくんから愛されて必要とされてるから傲慢になれるんだ。何をしてもフジくんから見捨てられないって思ってるから好き勝手なことが出来てる」
俺の愛にあぐらをかいているとレイは言う。それは間違っていない。
水鷹は俺が水鷹に甘いことをわかっている。
けれど、俺からの愛情をあてにしたり、俺の言動ありきで考えていない。
「愛情に見返りを求めようとするなよ。好きなら好きなだけで十分だろ? オレはたとえ藤高がオレを嫌っても藤高のためになる行動をしたいし、オレを嫌う藤高のことだってオレは愛し尽くせる」
ちいさく「嫌われたら悲しいけど」と唇を尖らせるあたりが水鷹だ。
以前に親衛隊にも水鷹は言っていた。けれど、打算のない愛を水鷹が語っていることを理解できる人間は少なかったのかもしれない。俺が水鷹のためにレイを初めとした親衛隊たちを抱かせるために用意していた。
この行動は水鷹が望んだから俺が動いたと受け取っていたんだろう。
誰かを手軽に抱きたいと水鷹が考えたのは本当だとしても、手軽に抱く人間を男女ともに用意したのは俺だ。
ある程度したらねだられることだってあったけれど、最初は間違いなく俺が水鷹を喜ばせたくて始めた。
好きな相手に喜んでほしくて、ただそのためだけに他人を犠牲にすることを選んだ。
水鷹以外が俺にとってそこまでの意味を持たなかったからだ。特別な相手のために特別なことをしたかった。
「レイは幼稚で馬鹿げていると思うかもしれないが、俺はずっと水鷹のこういうところに安心していた」
逃げ続けて本当の自分がなんであるのか分からなくなる時がある。
情けなくて恥ずかしくて自分が嫌になる日がある。
『フジくんはどっちについて行きたい?』
それに対して俺は「どっちがいいなんて聞いてくる二人ともお断りだ」と口にした。
あのころの俺は不安定すぎた。子供で親の気持ちを考えることが出来なかった。
母も父も悩んでいたのかもしれないが俺は自分の気持ちでいっぱいいっぱいだった。
山波の姓である父の血を一滴も受け継いでいないことがショックで自分が誰なのか、どうなるのか分からなくて不安だった。
転入生のことは言われれば該当するような人間は思い浮かばなくもない。
神社の階段から落ちて口の中を切る怪我をした。
その際に血液型の話になって父と血のつながりがないことを教えられた。
父は俺と血のつながりがないことを初めから知っていたわけじゃないらしいが俺が父を選んだら俺を育てたいと言ってくれた。
けれど、それは母のことが好きだからに違いない。母とのつながりを終わらせたくなかった悪あがきだ。俺のことを思っての言動じゃない。透けて見えていた。
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