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第6話

 酷い夢だった。  ほづみは頭を掻きむしって、デスクに突っ伏した。モニターにはデザイン途中の指輪が映し出されたままになっている。  いつの間に寝たのか分からないが、最低最悪な夢を見たのは確かだ。普段は夢を見ても内容など覚えていないのだが、今回は、実体験したように克明に覚えている。  違和感を覚える腰をさすり、ほづみは冷めたブラックコーヒーを啜った。  十三時三十分。昼休みを返上して爆睡していたようだ。 「あれは、夢。……夢だ。たしかに、夢だよ」  苦いだけのコーヒーを机の上に置き、ほづみは勢いよく立ち上がる。キャスター付きの椅子が吹き飛ばされ、壁に激突した。 「夢だとしても! なんなんだ、あれは!」  思い出したくなくとも、忘れられない。  体の最奥に放たれた感覚が残っているようで、どうにも落ち着いて座っていられなかった。 「どうしたんですか、ほづみさん」  こもった遼の声に、ほづみは悲鳴を上げた。  集中するための個室とはいえ、鍵は掛からないようになっている。  驚きすぎて返事ができないでいると、がちゃがちゃとドアノブが回転し、紙袋を手に持った遼が個室に入ってきた。 「青い顔をして、気分でも悪いんですか? 体調不良なら、ちゃんと言ってくれないと。ほづみさんは《sparkle》になくてはならない人材ですからね」 「あ……ああ、うん」  はね飛ばした椅子をごろごろと引っ張ってきて、定位置に戻した遼は「差し入れです」とクラフト地の紙袋を置いた。  シュークリームが入っているらしい。もふもふした口ひげの老人のイラストが印字されている。 「コーヒーはどうします? サーバーのものでも大丈夫ですか? なんなら、いつものコーヒーを買ってきますよ。今日も煮詰まっているみたいですし」  いつもと何ら変わらない遼の様子にほづみは眉をしかめる。  夢とはいえ、目の前の男に女のように抱かれたのだ。さすがにまともに喋れない。  かといって、夢での不貞行為を抗議するわけにもいかない。  夢で襲われただなんて、言いがかりにも程があるだろう。言えば、鼻で笑われる二違いない。 「……今日は、もう帰る。速水にはよろしく言っておいてくれ」  体がまだ火照っているようで、仕事を続ける気分にもなれない。ほづみは遼の差し入れを掴んで、とりあえず礼を言うと個室のドアを押し開けた。 「ああ、ほづみさん。待ってください。デザインの件なのですが」 「締め切りが近いのはわかっている。必ず、期日までには仕上げるから。今日はもう、帰らせてくれ。……気分が悪いんだ」  お前のせいで。と胸中で付け加えて、遼を睨み付けた。 「ええ、かならず仕上げて貰いますし、信じていますよ。ただ、お帰りになる前にお話ししておかなければならない件がありましてね」  遼は左手に提げていた鞄をデスクにおいて、クリアファイルを取り出した。 「新作の広告の件で、予定していたモデルを変更させていただきました」 「どうして? 急だな」  クリアファイルの中身は、変更したモデルの資料だろう。手渡してくる遼を若干、警戒しながら受け取った。 「もっと、ふさわしいモデルを見つけましたので」  にこっと、人懐っこい笑みを向けられるが、どうしてか、ほづみには嫌な予感しかしなかった。 「天木志保里さんです」  ほづみの手から、クリアファイルが滑り落ちる。  どういうことだ? 声はなく、ほづみは視線だけで遼に訴えた。  天木志保里。  艶やかな熟女で、いまもなお芸能界の一線に立ち、様々な映画賞で絶賛されている大女優にて……ほづみの、初恋の女性だった。 ◇◆◇◆  自宅マンションに戻って、ほづみは脱いだ上着をソファーに投げ付けた。 「何だって言うんだ」  鞄には、職場から持ち帰ってきたタブレットパソコンが入っているので、そっとダイニングテーブルの上に置き、ほづみは冷蔵庫から炭酸水を取り出した。  動揺を隠せないでいる胸中を沈めようと一気に飲むが、途中で噎せて噴き出してしまう。 「あ、あいつは……あの夢は、何なんだ? 本当なのか?」  頭の中が混乱している。  急なモデルの変更は、嫌がらせなのか、偶然なのか。トラブルがあったと話は、聞いていない。  天木志保里の起用が偶然にしたって、納期が差し迫っている状況でのモデル変更自体が理解できない。  嫌がらせだとしても、ほづみは初恋の話など、一片も遼に語った覚えはない。 (氷室だって、知らないはずだ)  苦い失恋の思い出を知る人物は、小、中学校を共にした数少ない友人だけだ。その友人から、聞き出したとは思えない。  ほづみは床に零れた炭酸水を厚手のキッチンペーパーで拭き取りながら、まさか、まさかと目を泳がせた。 「他人の夢を、覗く能力だと? し、信じられるか!」  チープな設定を信じるなら、初恋の顛末を遼が知っているのも理解できる。  どういう意図があるか分からないが、夢を覗いた遼が、リスクを冒して天木志保里にわざわざ変更した。 「どうです?」と言わんばかりのしたり顔を、殴ってやれば良かったと今更ながら思う。  イライラと、炭酸水の入ったボトルを揉みながらほづみはオーディオプレイヤーの電源を入れてクラシックを流し、テーブルに着いた。  差し入れを素直に貰うのは癪に障るが、あいにくと、手間を掛けずに食べられるものはシュークリームしかなかった。  せめてもの抵抗と、乱暴な手付きでシュークリームを取り出す。 「美味そうだなんて、思っちゃいないからな!」  生地からはみ出てきそうな程にぱんぱんにクリームが詰め込まれたシューを囓り、ほづみは鞄からタブレットパソコンを取り出した。 「俺の夢を覗いて、天木志保里を起用したって言うなら。夢でのアレをあいつは……」  暗転したままのディスプレイに、形容しがたい顔が映り込んでいた。  執拗なまでにキスをされ、体をまさぐられ、あまつさえ挿入を許し射精までされてしまった。 「知って、いるのか?」  両手で顔を覆い、ほづみは項垂れた。  昨晩の、キャバクラのトイレでキスをされた記憶が甦ってくる。満員電車で触れた体温さえ感じるようで、ほづみはどうしたら良いか分からず呻いていた。  腹立たしく、恥ずかしく、情けなくて、いったいどう処理して良いか分からない感情が渦を巻いている。  ほづみはタブレットパソコンに電源を入れず、椅子から立ち上がって浴室へと向かった。  温かいお湯を浴びれば、いささか気持ちも落ち着くだろう。そう、願って。 ◇◆◇◆  甘い息遣いを感じて、ほづみは目蓋を持ち上げる。 「……っ、あ」  ずくん、と体の奥を穿たれ、感じ入った声が零れる。  自分の声とは思えない、思いたくない爛れた喘ぎ声だった。 「ま、また? ふぁ……っ、う」 「ほづみさん、とっても美味しいから……我慢できなくて」  ぐちゅ、ぐちゅっと絡み合う最奥と先端。  大きく開いた足の間で腰を緩く振っている遼を睨む力もなく、ほづみは夢うつつのまま穿たれていた。 「これは、夢……なのか?」 「ええ、夢ですよ。ほづみさんの夢に、お邪魔させて貰っています。安心してください。現実のほづみさんは、すやすや眠っていますし、もちろん処女で童貞ですよ。ここではとってもいやらしいけれど、真っ新の、綺麗な体ですから」  安心などできるものではないし、馬鹿にされている気分でもある。 「うるさい」と唸るも、良い場所を擦り上げられ、快感に理性が曇ってゆく。二度目だからか、夢だからか。気持ちが良いと感じてしまっていた。 「本音を言えば、現実のほうも、穢したいけど……ほづみさんに嫌われたくないですし。こっちで我慢しておきます。痛いの嫌いそうだし、疲れるのも嫌でしょ?」  ふてぶてしい奴だ。ほづみはぐっと拳を握った。 「気持ちいいのも、嫌だ」 「そんな、つれないこと言わないで。わからないんですか? ほづみさんのなか、僕をぎゅっと締め付けてきてますよ。可愛いですね。いいんでしょ、僕のこれ」  がつん、と深く穿たれ、ほづみはびくびくと太股を引きつらせた。  とろっと腹を濡らす感覚に、頬が爛れるほど熱くなる。 「ふ、ふざけるな。俺は、男だぞ」 「ふざけていませんよ、本気です。もちろん、からかっているわけでもないし、虐めているわけでもないです」 「嘘つき!」  叫んだ拍子に、眦から涙がほろりと零れた。 「泣かないで、ほづみさん。もっと、酷くしたくなる」 「おまえは、悪魔だ! 消え去れよ!」 「十字を切っても、退散しませんよ。悪魔と言うよりは、僕は夢魔ですし。ほづみさんが感じれば感じてくれるほど、元気になっちゃうんですよね。なにせ、僕の活力源は精子なわけですし」   絶頂したばかりの内部を荒々しく掻き回し、遼は満面の笑みを浮かべた。  満足そうな表情は腹立たしい限りだが、快感に支配された四肢は完全に弛緩していて、まともに動かせない。  夢とはいえ、男を受けれて間もないほづみとって、容赦のない遼の攻に許容量はすでに大きく越えていた。 「僕ね、不能なのかと思って心配していたんですよ。だって、貴方の作品はとても綺麗だけれど、無垢すぎたから。純真な子供そのものだった。それはそれで、魅力的だったんですけどね」  快感に喉を押しつぶされ、言葉を紡げないほづみは首を振った。  必死に否定するほづみの手を取って、遼は恭しく口づけを落とした。  思うがままに蹂躙してくる下肢と打って変わり、とても優しく労る仕草だった。 「でも、違った。貴方は子供の振りをしているだけだ。誰にも触れられないように、傷つかないように、傷ついた子供をずっと演じていたんです。触れたら壊れそうだから、誰も貴方に触れられなかった」  だんだんと熱がこもる声音に、ほづきは大きく喉を鳴らした。 「もう、忘れましょうよ。怖がらなくったって、貴方には僕がいます。僕で足りないって言うなら、同僚がいるでしょう? 貴方のアクセサリーが大好きだってファンもいる。優しい人たちの存在に気付いてください。もう、大人なんだから」  腹の中でどくどくと蠢く熱い高ぶりを感じて、どうしてか、切なさを覚える。 「ちなみに、僕はほづみさんが大好きで、同僚で、ファンです。とっても有望株ですよ」 「……ぁ、に、みぃ」 「ねえ、ほづみさん。遼って、呼んでください。夢の中だけでもいいから。ここ、気持ちが良いなら、僕のこと名前で呼んで」  深く繋がった場所をさらに抉りながら、ゆっくりと覆い被さってきた遼に唇を奪われる。  僅かに残った理性を食い尽くすような激しいキス。再び勃起したペニスの先端を、遼の腹筋が緩く擦り上げた。  もはや、羞恥心など何処にもない。  ただ、ひたすら心地が良かった。  違和感もなく、嫌悪感すらない。常識的ではない行為。 「好きです、ほづみさん。分かってくれるまで、僕は何度でも囁きますよ」 「りょ……ぅ……」  体の奥で弾ける熱を感じながら、ほづみは目蓋を閉じた。

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