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第8話
ほづみのデザインを元に作成された指輪は、結婚指輪として売り出されることになった。
「天木志保里さん、入ります」
撮影スタッフの声と共に拍手が鳴り、マネージャーを引き連れてウェディングドレス姿の女性がスタジオに入ってきた。
透けるような白い肌に、長い黒髪。
年若い女性の瑞々しさこそないが、天木志保里は甘く匂い立つような色香を持った女だった。
「実際に目にするのは初めてですが、とても綺麗な人ですね。不思議と、年齢を感じさせません」
撮影スタッフと軽い挨拶を交わし、早速、撮影に入る志保里を褒めちぎる遼に、ほづみは鼻を高くして上機嫌で腕を組んだ。
綺麗なのは当たり前だ。自分が惚れた女なのだから。
ほづみは、志保里の指に嵌まる新作ジュエリーの出来映えにも満足していた。デザインはもちろん、使われているダイヤモンドも素晴らしい。
「苦労して、デザインをひねり出した甲斐があったな。《Virgin》の婚約指輪。あれは、売れる」
「売れて貰わないと困りますよ。あのレベルのダイヤ、確保するのたいへんだったんですから」
ライトの光を弾くダイヤモンドの気高い輝きは、志保里の美しさをさらにランクアップさせていた。
「……まるで、女神のようですね。まあ、小学生のときは、彼女、ほづみさんの女神だった訳ですが」
「だまってろ。せっかく、労ってやろうと思ったのに」
「おやおや、残念。まあ、口での労いよりも、もっと積極的で熱いご奉仕のほうが僕は好みですけど」
「蹴るぞ」
撮影場所から少し離れた位置に立っているからか、現場の様子が手に取るように分かる。
女優、天木志保里のカリスマ性のある美しさと、年齢が見せる知性は女王のようだ。
その、志保里と、《Virgin》と言う名をつけられながら、熟した美しさと処女を感じさせる清楚さを併せ持つ指輪。二つが合わさって、男を魅了しないわけがない。
ほづみと遼が見守る中、撮影は滞りなく進んでゆく。
モニターに映し出される天木志保里の画像は、どれを採用するか迷うほど、会心の一枚ばかりが並んでいた。
徐々に熱くなってゆく現場の雰囲気に、ほづみはネクタイを少しだけ緩めた。
(天木さん……ほんとうに、綺麗だ)
感嘆の吐息は漏れど、小学校の頃に抱いた激しい感情は残念ながらない。
失恋したからというのもあるが、さすがに時間が経ちすぎている。なにせ、小学校の頃に抱いた恋心だ。色あせている。
撮影が始まってから二時間あまり、百枚を越える画像から使えるものを選び出し、監督からのOKサインが出た。
緊張漂っていた現場が一気に緩み、興奮が覚めやらない調子の声が、あちらこちらから聞こえてくる。
今後の展開を期待させる反応に、隣に立つ遼は始終、顔がにやけていた。
「新見、顔が不細工になっているぞ」
「いいですよ。ほづみさんになら、どんな姿の僕でも見せてあげますよ」
絶えない減らず口にほづみはうんざりと肩をすくめた。
「雲越さん? 雲越ほづみちゃん!」
ガウンを纏った志保里が、高いヒールを鳴らし近づいてくる。
「あぁ、やっぱりほづみちゃんね。同じクラスだった子だわ。すっかり老けちゃったけど、面影がある。私のこと、覚えている?」
ぐいぐい詰め寄ってくる志保里に、ほづみは一歩、二歩と後退りながら頷いた。
「ほづみちゃん」と、小声で呟く遼を軽く睨んでから「覚えているよ」と答える。
「この指輪、デザインしたのよね?」
細く長い指に、当然とばかりに嵌まっている結婚指輪。
ダイヤモンドの煌めきは別格で、主である志保里すら宝石の一部のように美しく飾り立てていた。
「ありがとう、私を呼んでくれて。この仕事ができたこと、とても嬉しく思っているの」
抱擁ではなく握手を促され、ほづみは差し出された右手を取った。
「私、もう四十でしょ。変わらない美貌なんて持てはやされているけれど、実際はきれい事ばかりじゃなくて。主役は若い子にもっていかれるし、ドラマだって、性格の悪い母親役ばかり回ってくる。お婆ちゃんじゃあないだけ、マシかしら? このまま、しぼんでいくものなのねって、そう思っていたの」
「まさか、天木さんは綺麗な人だ。上手く使えない業界のほうが悪い」
「ありがとう、ほづみちゃん」
テレビで見る志保里はいつも堂々としていて、品のある気の強さがとても魅力的だった。
今も昔も、業界に必要とされている人物。ほづみからすれば、志保里の人生は順風満帆のように思えていたのだが。
「ウェディングドレス、着れるなんて思ってもみなかったわ。似合っているかしら?」
「ああ、とても似合っている」
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お世辞など言える性格でもなく、ほづみの真摯な受け答えは志保里の表情を柔らかくほころばせた。
「まるで、指輪の魔法ね」
細い指で眩く、ダイヤの指輪。茨を編み込んだような華奢だが、鋭利な強さを合わせもつデザインは、女王のようでもある。
志保里は花を摘むように指輪をそっと抓んで、引き抜いた。
「指輪をつけて鏡を見たら、とても綺麗な女が目の前にいたわ。あなたは、現役の女優。あなたは、誰よりも美しい。そう、私に囁いたの」
指輪を差し出してくる志保里に促され、ほづみは右手を差し出した。
温かい体温が残る銀が掌に落ち、絹のように滑らかな肌がほづみの手をそっと包む。
「ありがとう、ほづみちゃん。わたし、また女になれたわ」
口紅で彩られた唇で綺麗な弧を描き、志保里は、ほづみの手の甲に口づけを落とした。
ちゅっと、可愛らしいリップ音。肌に残るキスマークに、ほづみは呆然としていた。
「おやおや、隅に置けませんね。ほづみさん」
「……う、煩いんだよ!」
指輪を握りしめたまま、ほづみは口から飛びでそうなほどに高鳴る心臓に、冷や汗を浮かべていた。
「天木さん、聞きたいことがある」
なあに? と小首を傾げる仕草は子供っぽくてとても可愛らしい。
ほづみは、焦って声が裏返らないよう咳払いをしてから続けた。
「斉藤君は?」
小学校の頃、志保里と付き合っていた男子だ。
「斉藤君? あぁ、今はパリで、奥さんと事業をしているそうよ」
「……付き合っていたんじゃあ?」
淑女らしからぬ大口を開けて、志保里は笑った。
「いつの話をしているのよ。中学校で、早々に別れちゃったわ。じゃあ、そろそろ行かないと。また、ゆっくり食事でもしましょうね、ほづみちゃん」
マネージャーに呼ばれ、去って行く志保里を見送りながら、ほづみはから笑いを浮かべる。浮かべるしかなかった。
「なぁに、ショックを受けているんですか」
「……煩い」
ショックと言うよりは、情けないといった心情だ。小学校の頃に負った傷を四十になるまで一人で抱えていたのは、さすがに、自分でも滑稽としか思えない。
「まあ……どんなに頑固で一途なほづみさんでも、一区切りつけられたんじゃあないですか?」
志保里のキスマークが残るほづみの右手をとり、「おつかれさまです」と囁く遼。複雑な心境は相変わらずだが、区切りが付いたと言えば、付いたのだろう。
感謝など、一ミリもする気はないが。
「ほづみさんは、本当にかわいいなぁ」
ちゅく。
と、志保里が残したキスマークをかき消すように、遼の唇がほづみの手の甲を強く吸い上げる。
「な、何やってんだよ!」
撮影は終わったとはいえ、まだ、多くのスタッフが残っている。
「騒ぐと、気付かれてしまいますよ」
「嫌でしょ?」と、意地悪く微笑む遼を振り払うほどの腕力がほづみにあるわけもなく、積み重なった機材の影へと追い込まれ、壁に押しつけられる。
「指輪、小指だったらほづみさんにも嵌まりますかね」
ぎゅっと握った拳を難なくわり開かれ、指輪が奪われる。
「離れろよ、いますぐ離れろ。何する気だよ、お前!」
「ほづみさん次第ですよ。大人しくしてくれたら、想像しているようなことはしませんし。うっかり、興奮してしまったら、僕自身なにするかわかりません」
冗談めいた口調だが、向けられる視線は夢でほづみを抱いたときのようにぎらぎらと光っていた。
「……なにをしろって言うんだ」
「身構える必要はありませんよ。指輪を嵌めて、僕とキスしてください」
「馬鹿だろ、お前」
「高校生みたいなお願いですよ? 可愛いって言って欲しいなぁ」
やるのか、やらないのか。
視線で促してくる遼に、ほづみは渋々小指を差し出した。
キスで穏便にすむのなら……と考えて、ほづみは「待て!」と首を振った。穏便に済むわけがない。はじめから、舌を入れてきた相手だ。
「待ちませんよ」
にやっと笑う遼に、ほづみは顎を捉えられ、為す術もなく受け入れるしかなかった。
「あっ、……ふぅ」
ぴったりと体を密着させてくる遼を引き剥がそうと背中に回した手は、苦しさから、縋るように質の良いスーツをキツく掴んでいた。
「んっ、ん――」
ほづみの反応を楽しんでいるのか、遼の目が笑っていた。
「すごいな、キスだけでいっちゃうんじゃあないですか?」
「ひ、ひかな……ひっ」
「我慢してくださいよ、ほづみさん。じゃないと、替えの下着を買ってこなくちゃいけなくなりますからね」
うるさい。
馬鹿野郎。
吐き出したい罵声の全てを奪われ、ほづみは遼にしがみついた。
果汁が滴る桃に食いつくよう間断なく攻め立てる遼に、ほづみは「あとで覚えていろよ!」と腹の中で罵声を飛ばし、抗えない快感に目蓋をとじた。
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