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第四話「Care Killed the Cat」

 「ちょっと、裕ちゃん?」 「うぉ! びっくいしたぁ」  突然名前を呼ばれ、ひっくり返りそうになる。慌てて前を見ると、小さな老婦人がこちらを見上げていた。40歳を超えた男を“裕ちゃん”と呼ぶ、昔からの常連客だ。 「ぼーっとせんよ! まだ朝とに……」 「ごめんさ。いらっしゃい。何買いに来たと?」 「こん子に、誕生日ケーキば予約しに来たっさい」  こ()子、と言われて、裕二は老婦人の更に下を見る。少女は、老婦人の足にしがみついたまま、こちらを怯えるような目で見上げた。 「お孫さん?」 「そうよぅ、かわぁいかやろ」  裕二はショーケースの上から少女と目を合わせ、柔らかい声で尋ねた。 「やい、お嬢ちゃん。どやんかケーキがいい?」  少女は、老婦人の足にしがみついたまま、ためらいながら教えてくれた。 「……あんね、みかね、クマさんのケーキば食べたいっちゃん」 「クマさん? どやんかクマさんがよかと?」 「おっきなクマさん!」  少女は腕を横に大きく広げてみせた。裕二はカウンターの横からメモ用紙を取り出すと、再び少女と向かい合った。 「……みかちゃん、何色のクマさんが好いとう?」 「みか、ピンクのクマさんがいい!」 「ピンクのクマさん? じゃあおいちゃんがおおっきかピンクのクマさんば作ってあげるけんね」  裕二はにこりと笑った。先ほどまで怯えていた少女の目が、少しだけ輝いている。 「みかちゃん、いちご好いとう?」 「好き!」 「みかんは? 好いとう?」 「あんまい好かん」 「好かんと? そしたらいちごだけにしよか」  裕二はケラケラ笑って、少女と向かい合ったまま、手元を見ずにメモに走り書きした。メモなど、あとからいくらでも書き直せる。けれど、彼女との会話は、この一回しかない。 「……みかちゃん、何歳になると?」 「五歳!」 「おぉ、じゃあろうそくば五本入れんばね」  裕二がそう言うと、少女はふるふると首を振った。 「もっといっぱいがいい!」  横で、老婦人が困ったような笑みをこぼした。 「みかちゃん、ろうそくは数が決まっとるとよ」 「……でもね……」  俯き、落ち込んだ様子の少女を見て、裕二が店の棚から何か取り出してきた。 「みかちゃん、普通のろうそくが良かと? おいちゃん、この可愛かクマさんのろうそくば、入れてあげようと思っとったっちゃけどなぁ」 「みか、クマさんがいい!」  茶色いクマのろうそくを見て、少女はぴょんぴょん飛び跳ねた。裕二はふっと微笑む。メモをしまうと、老婦人に日付の確認をとった。 「じゃあ、みかちゃんお誕生日までいい子にしとかんばよ! おいちゃんどこからでん見とるけんねぇ」 「見れんやろ! おいちゃんいつもケーキ作りようやん!」  少女はケタケタ笑う。子どもたちの屈託のない笑顔が、裕二は昔から好きだった。 「おばあちゃん、おいちゃんこわくなかったね」  少女は祖母に話しかけた。老婦人は、にこにこと笑いながら少女と目線を合わせる。 「おばあちゃんの言った通りやったやろ?」 「うん」  裕二が苦笑をこぼす。 「ありゃ、おいちゃん怖かった?」 「うん。でも、今はみか、ぜんぜん怖くないよ」 「よかったぁ。みかちゃんに怖がられとったら、おいちゃん悲しくてクマさん作れんところやったぁ」  少女はまたケラケラ笑った。腹を抱えて、楽しそうに祖母の腕を引っ張りながら、少女は店を出ていく。 「おいちゃんばいばい」 「はーい、バイバーイ」  裕二は手を振る。祖母に手を引かれて帰っていく少女を見て、裕二は、在りし日の将平少年のことを思い出していた。 「嫌だ! しょうケーキ好かん!」 「おねがいしょうちゃん。もうお母さんケーキ買ったの」 「しょうケーキ好かん! しょう、四歳になったら猫さんになるの! 猫さんはケーキ食べんやん!」 「おねがいだから、しょうちゃん、いい子にして。いつもはそんなふうにわがまま言わないでしょ」 「……やい、こねこちゃん」  裕二は、ショーケースの上から声をかける。“しょうちゃん”は涙を溜めた瞳でこちらを見た。珍しい金色の瞳だ。 「ケーキ好かん? おいちゃん頑張って作ったっちゃけどなぁ」 「すみません、あの、すぐ帰りますから」  母親はしょうちゃんを見ることなく、ぐっと腕だけを引っ張った。しょうちゃんは、何か悲しそうな顔をして、それからびいびい泣き出した。 「嫌だぁ! しょう、ケーキいらない! 返してぇ!」 「すみません、うるさくて」 「いや、よかですよ。……そしたら、こねこちゃん。猫さんはケーキじゃなくてなんば食べると? おいちゃんよう知らんけん、教えてさ」  しょうちゃんは、しゃくりあげながら答えた。 「……お魚食べる」 「よし、じゃあおいちゃんが特別にお魚さんばケーキに乗せちゃっけん。待っとかんね」  裕二は店の奥から何やら引っ張り出して来て、ケーキの上に載せた。 「お魚さん乗っとる! 見てん、お母さん、お魚さん!」  ケーキの上に、大きな魚のクッキーが鎮座していた。しょうちゃんが、嬉しそうに飛び跳ねた。母親は、慌てた様子で財布を取り出した。 「すみません、いくらですか」 「いや、お金よかですよ。……それより、お魚さんば見てあげてください」  母親は、店に来てはじめてしょうちゃんを見た。彼女は、その泣きはらした顔を見て、静かに言った。 「……ホントだしょうちゃん。お魚さん乗ってるね」 「お母さん、お魚さんはしょうのよ!」 「うん、分かった」  裕二は頬杖をついてケーキのケースの上からしょうちゃんを見下ろし、笑った。 「こんお魚さんはね、おいちゃんが今海からとってきたとばい! もしかしたらまだ生きとうかもしれん」 「嘘やん! おいちゃん今ずっとここおったやん! しょう見とったもん」  将平は、泣きはらした赤い目でニコニコ笑った。  「……将平、お前猫さんになりたいって暴れ回りよったと覚えとる?」 「は? なにそれ、知らない」 「初めてケーキ屋さんに来たとき、お前猫さんになるけんケーキ食べんって怒っとったやん」 「……覚えてない」  将平はやけに冷たく裕二をあしらった。 「…………初めて来た子どもて、皆(おい)んこと怖がるっちゃけど、お前いっちょん気にしとらんやったやん? あれは不思議やった。猫さんになるぅ、ケーキ嫌だぁって泣き叫びよったけど、おいちゃん怖いぃとかは言わんかったやん」 「……俺が裕二さんを怖がる? 冗談でしょ」  将平は嘲るように笑って、ゆらりと立ち上がった。 「俺はこねこちゃんのときから裕二さん大好きだから」  淡々とした調子で言ってから、将平はカゴから洗濯済みの服を手に取る。裕二がにやりと笑った。 「…………お前覚えとるやろ」 「俺風呂入るから」 「あー、将平が逃げよ」  覚えとうやろ? と、いつまでもニヤニヤうるさい裕二を、猫のようにじとっと見てから、将平はふいと顔を逸らした。 「……あ、裕二さん知らないかもしれないけど、そのこねこちゃんに毎夜毎夜鳴かされてるかわいいネコさんがいて」 「…………はよ入れさ」  裕二は机の上にあったマグカップを手に取って、少し口に含んだ。将平がクスクス笑った。 「裕二さんて口喧嘩弱いでしょ」 「口喧嘩弱くても喧嘩は強かけん」 「喧嘩ね……。そういえば、裕二さん、昔この辺でちょっと有名なヤンキーだったってきいた」 「……(だい)かい? おい、将平、誰かい聞いた?」  将平はクスクス笑って風呂場へ向かっていった。本当に猫のように自由奔放な奴だ。  布団に座ってテレビを眺めていた裕二の側に、将平が座りこむ。ずいと顔を寄せてくる将平を、裕二は手で押して拒否した。 「……今日はいかん」 「なんで」 「昼間体力もたんて。俺40ばい」 「…………でも、裕二さん身体鍛えてるし大丈夫でしょ?」  将平は、こちらの都合など関係ないという顔で、裕二の側にすり寄ってくる。裕二が苦い顔をした。 「……お前も40になってみたら分かる」 「…………おねがい裕二さん……」  将平は裕二の股間を撫でる。なんだか、自分に頼んでいるのか、それとも股間に頼んでいるのか分からない。裕二は身体ごとそっぽを向いた。 「溜めたら駄目だし……」 「おかげさまで溜まっとらん! よかけん早よ寝ろさ……」  裕二は迷惑そうに眉をひそめた。  将平が、少し不満げな顔をして引き下がる。裕二は少しほっとした。 「……つか、溜めとるとは将平やろ」 「……俺?」  将平は首を傾げた。 「……お前、そういえばいつも勃てとうくせに、処理しようとこ見たことなかばってん」 「…………裕二さんは別に見たくないと思って」 「いや、見たかわけじゃなかばってんさ……。なんか将平に申し訳なくなってくるやん」 「……いや……」  将平は呆れたような顔をした。  「……裕二さんってさ……」 「…………うん?」 「……なんでもない」  将平は言葉を飲み込んだ。お人好しでチョロくて付け込まれやすい人だね、などと本心を言えば、二度と流されてくれないかもしれない。 「じゃあ、裕二さん、俺の処理手伝ってくれる?」 「……は?」 「申し訳ないんでしょ?」  将平は裕二の背中に乗っかるようにして笑う。 「な、なんばするかによるばってん……」  裕二が恐る恐るといった様子で答えた。将平は、一度驚いた顔をして、それからにやりと笑った。 「そこにいてくれるだけでいい」 「それ、なら……」  将平はゆっくりと裕二を布団に押し倒した。付け入る隙があるのなら、とことん付け込んでやろうじゃないか。  肌と肌のぶつかる音。ぐちゃぐちゃと頭に響く水音と、甘い吐息。 「……は、っ、は……。裕二さん……っ」 「しょ、将平……」  裕二が、枕を押し掴んで、くぐもった声で将平を呼んだ。 「うん? ……嫌だった?」 「……嫌、じゃなかばってん……、これ……」  将平は抜き差しをやめない。たまらず、裕二がたじろいだ。 「擦れ、る……」 「素股なんだから擦れるでしょ」  将平が淡々と述べた。将平の提案により、裕二はうつ伏せに寝かされ、尻を高く上げた不恰好な状態にさせられていた。素股なら本当にただそこにいるだけでいいと思っていた頃が懐かしい。 「ちが、俺の……、俺のちんこと……」 「……あぁ」  将平はくすっと笑ってから、裕二の耳元にキスを落とす。肩がぴくぴくはねて、手はぎゅっと枕を掴んだ。 「…………裕二さんさ、俺がわざとやってるとは思わないの?」 「お前……っ、そこにおるだけでいいって……!」  将平はわざとらしく、押し上げるように腰を振った。将平に、腹側に押し付けるように性器を動かされると、自分の性器と擦れて力が抜ける。 「や、め……っ」 「手は触れてないし、裕二さんはそこにいるだけ。俺は嘘ついてない」  たん、たんと将平が律動を繰り返すたび、どんどん裕二の耳と首が赤くなっていく。 「……あ、でも裕二さんのちんこ勃たせちゃったから、アウトかな」  将平はクスクス笑った。 「…………は、は……っ」 「……ふ。……ねぇ、あれ、鏡見える?」 「か、がみ……?」  将平に言われたとおりに鏡を見る。そこに映っていたのは、卑猥な自分たちの姿だった。将平が、裕二の頬を掴んで前を向かせて、耳元に顔を寄せる。 「ほら、セックスしてるみたいに見えない?」 「お、まえ……!」  裕二が大きく顔を振る。将平の手を振り払うと、枕に完全に顔を埋めてしまった。 「恥ずかしかった?」 「せか、らし……」 「かわいいなぁ、見ればいいのに。裕二さんがどれだけエッチな顔してるか知りたくない?」  裕二が小さく首を振る。 「……そう? まあ、ちんここんなにしてたら、見なくても自分がどんなスケベな顔してるかくらい分かるよね」 「ぁ、あ゙……だめ、……将平、……それ、それ、駄目て……」  将平が、裕二の性器に自分の性器を擦り付けつづける。背中をなぞると、裕二の身体が面白いように跳ねた。 「音だけきいたらホントにセックスしてるみたい……。は、やば……気持ちよくなってきた」 「将平、しょう……っ、だめって……、擦るな……っ!」  快感から逃げようと、思わず腰が逃げる。その腰を、将平が両手で掴んで引き寄せた。 「逃げたら駄目。俺を気持ちよくさせてくれるんでしょ?」  最悪だ。裕二は心の中で悪態をついた。状況が悪化した。  腰を掴まれて、何度も何度も打ちつけられる。逃げ場がなくなり、足の先くらいでしかもがくことができない。水音と切れる息。熱を叩きつける音。強烈な快感が押し寄せて、裕二はさらに深く枕を抱き込んだ。 「いかんて、あたま……回らんくなる……」 「んっ、……裕二さん、足しっかり締めて」 「あ゙、……はぁ……、は……」 「うん、上手だね」  将平が、裕二の頭を撫でる。突然、ふっとスイッチが切り替わったかのように、身体がぞくぞくと震えた。 「……っ、イく、ぁ゙、イく、将平、あ゙ぁ、あ、将平、しょう、へ……、っあ゙、あ゙ぁあ…………ッ……!!」 「……ッ。…………は……っ、イくとき足に力入って締まるの、本気のやつみたい」  将平は髪をかきあげて、裕二の首にキスをする。それからゆっくりと肩甲骨まで舌を下ろし、弱い力で噛み付いた。 「………あ、出と……っ、布団、汚れ……っ」 「布団で済めばいいね」  将平は律動をやめない。裕二の性器が、将平に揺すられて白い液体を撒き散らす。 「あと少し頑張って」 「……っ、将平! 擦らんで……っ!」 「無理」 「……今、イった、んッ、だめ、将平……っ、は、ぁ、あ゙……ッ!」  敏感になっている性器を強く擦られ、裕二は逃げるように背を逸した。射精で得られている快感の余韻と、新しく与えられる快感が混ざり合い、頭を溶かしていく。 「あ゙、ッイく、またイく……ッ! イく、イ゙く、イ゙く……っ、やめろ、しょうへぇ……!」  裕二の声は切実だった。しかし、将平は腰を止められなかった。 「……あ゙、あ゙ぁああ……ッ! あ゙、ぁ……イっだ、イっ……た……、イッたけんがぁ……ッ!」  半分泣いているような声で、裕二が叫ぶ。枕で隠れて見えないが、おそらく、本当に泣いている。将平はゾクゾクと腰が重くなるのを感じた。 「裕二さんがイかなくていいようにこうしたのに……、こんなにイッちゃうなら意味なかったね」 「あ゙、だって、擦れ……ッ! もうやだ、もう出らん、だしたぐない……ッ、やめて、やめでしょうへぇ……!」 「かわいい、かわいい……」 「あ゙ぁ……ッ、あぁ、あ゙ぁあぁ……」  ゾクゾクする。自分は今、裕二をいいようにしている。ずっと欲しかったものが、今、自分の動き一つで簡単に情けない声を上げる。 「……しょうへい、無理……ッ、やめて……や゙め……ッ! 早く、はやぐ、ぅ……ッ」 「あと少しだけ頑張って……っ」 「ぁ、あ゙ぁ、また、またでる、でる!」  裕二がガクガクと震える。将平はそれを無理やり押さえつけて腰を振った。押さえつけられた裕二は、逃げ場が完全になくなり、ほとんど身動きもとれないまま暴力的な快感を浴び続ける。 「ぅ゙く、でる……っ、で、……いぐ……ッ!!」 「……は、俺もイきそう……、裕二さん、かわいい、裕二さん……」 「ゔ、っ、しょうへい、も……っ、イ゙ぐ、出ちゃ、でる、将平、イ゙ぁ、あ゙あぁ……ッ!!」 「は、あ゙……ッ、ぁ……」  裕二がびくびくと跳ねて精液を出すのとほぼ同時に、将平が射精した。どろっとした、濃く量の多い精液が、布団にぼたぼたと落ち、裕二の腹にも飛び散った。 「……ぁ……、あ……」  将平が性器を足から抜くと、裕二はふらふら布団に倒れ込んだ。将平がぎょっとして裕二の肩に触れる。 「裕二さん大丈夫? 裕二さん?」  裕二は肩で呼吸しながら、将平を睨みつけた。 「お前俺ば殺すつもりやろ……! 荒かっちゃん……っ、動物じゃなかとぞ……!」 「……し、仕方ないだろ! ……裕二さん見てたら、加減、できなかったんだから…………」  将平は前髪ををぐしゃっと握り込み、頬を真っ赤に染めて目を逸らした。余裕のなさそうな、珍しい顔だ。 「…………ごめんなさい……」  なんだか泣きそうな顔をして、将平が謝った。まるで、度の過ぎたいたずらを叱られた猫のように、不服そうにしょげている。裕二は驚いて、その顔を凝視した。 「…………っ、だからやらなかったのに。裕二さんが誘うから……」 「誘……っ」  将平は粗相を片す子供のような顔で、精液で汚れた裕二の腹を、濡れたタオルで拭いた。 「布団洗うからどいて。おやすみ」 「……将平」  裕二は布団に寝転がったままゆっくりと肘をつき、優しい目で笑った。 「かわいかな、お前」 「うるさいな、裕二さんには敵わないよ」  ちょっとがっついただけで馬鹿にしやがって。将平は、そんなことを心の奥底で思いながら、ツンとした態度で布団を攫っていった。

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