「しょうちゃん、おねがいだから何もしないで。いい子にしてて」 　わがままのわの字も口に出してはいないのに、母は、いつもこちらを少しも見ることなくそう言った。 「将平はちゃんとお勉強してるの？　このままじゃ貴方のお父さんみたいに、ロクな大人にならないわよ」 　成績表の一つも見たことがないくせに、祖父母は、そうやって勝手に将来を憂いた。 「……子どもさえおらんかったら、あんな奴死ぬ前に離婚してやったつに」 　朧気な記憶の中で、父の姿は、丸まってみすぼらしい背中しか思い出せない。 　幼いながらに悟った。人は自分のことで手一杯だということ。隅っこで縮こまるのが、正解だということ。こうやって、ヘラヘラ笑って生きるのが、正しいということ。 「……しょうちゃん、どやんした？　おいちゃんの特製ケーキ食ぶる？」 　ケーキの切れ端部分を皿の上に山のように盛って、裕二が、笑う。 「……裕二さん……っ！」 「おるよ」 　きれいにアイロンがけされたエプロンを被り、紐を結びながら、裕二は笑った。 「おはよう。……どやんした？」 「…………お、はよう」 　将平はしばらく、今まで見ていた夢の後味の悪さに呆然としていた。 「……どうもしてないよ」 「なら、よかばってん。じゃあ、俺(おい)仕事行ってくるけん」 「え、もう？」 「もうて、７時ばい」 　裕二が呆れたように笑った。将平は時計を確認して、それから寝間着を脱ぎだした。 「……俺、下でご飯食べたい」 「店でや？　よかばってん……、お前、どやんした？」 「一緒にいたい気分だから」 　珍しい様子の将平に、裕二は首を傾げた。 　「あ、将平！　待たんね！」 　将平が仕事に出ようとしたとき、厨房にいた裕二から声をかけられた。 「なに？　昼ごはんは作ってきたよ？」 「ありがとう。ばってん違うばい」 　裕二は将平の手に、大きめのプラスチック容器を持たせた。中には、ケーキの切れ端の部分が、たくさん詰められている。 「こい食べんね」 「……え？」 「覚えとらんやろ！　おいちゃんの特製ケーキ。元気出るばい」 　裕二はにかっと笑った。将平が、じっと容器を見つめた。 「将平？　具合ん悪かと？　休む？」 「……ううん、違う」 　将平は俯いて、容器をぎゅっと握りしめた。 「…………裕二さんが好きだなぁって」 　嬉しそうな、切なそうな、今までに聞いたことのない不思議な声だった。裕二は首を傾げる。 「……なんで？　ケーキそやん好いとう？　もっと持っていく？」 「いや、もういいよ。ありがとう」 　将平はパッと顔を上げて、にこりと笑った。容器を、嬉しそうにランチトートバッグに入れる。そのまま、いってきますと通りへ出ていった。 　昼頃、店に来た男性客が、不思議そうに呟いた。 「将平くんは、なんでこっち帰って来たっちゃろうか？」 「え？」 　そりゃ自分と結婚するために、と口が滑りそうになる。いや、そもそもその前提がおかしいのだけれど。裕二は誤魔化すように、少しぎこちなく尋ねた。 「なんでて、どやん意味？」 「東京てすごかやん？　なんでんあるし、夜中でも自転車で出前運んでくれるとやろ？」 「知らんばってん、そうなん？　自転車でや？」 　その男性客は、そうさぁととびきり大きな声で言った。 「普通さ、あっちの近くで就職すーやん？　お母さんたちとも連絡取りよらんて言いよったし……、裕二さんなんも知らんと？」 「……いや、知らんね……」 　そういえば、将平は、どうして身体一つでこの田舎町にやってきたのだろう。もうここには彼の父の家もなく、頼れる人だっていなかったはずだ。引っ越してくるのは十分に準備をしてからでもよかったはずなのに、彼はまるで何かから逃げるようにここへ来た。 　何故、そんな無謀なことをしたのだろう。裕二は首を傾げるばかりだった。 　「将平、お前、家帰らんと？」 「え？」 　夜、布団の上から、流し台のそばで麦茶を飲んでいた将平に尋ねる。将平はきょとんとして裕二を見つめた。 「もうすぐ正月やろうもん。東京帰らんでよかと？　待っとらすやろうもん」 　将平は、コップをシンクに置くと、裕二のそばに帰ってきた。 「ああ……、いいかな。裕二さんは？」 「うちはもう弟しかおらんけん、正月は一人ばい。弟は嫁さんとこに行くけんね」 「それなら、尚更いいや」 「……言うとくばってん、うちは正月忙しかとぞ」 　将平が楽しそうに笑うもんだから、裕二は苦笑いを浮かべた。 「少しくらい帰ったらよかやん。心配しとらすやろ」 「…………帰らないよ。帰りたくないから」 　将平は、少しだけ低い声で呟いた。 「………………母さんたちは、俺がどこにいるか知らないしね」 「……なんて？」 「……俺が裕二さんの家に住んでるの、母さんたちは知らない」 　将平は裕二の方を見る。裕二は驚いて目を見開いた。 「…………尚更帰らんばやろ。危なかやん」 「大丈夫だよ、就職先は知ってるし。裕二さん、俺のことまだ子どもだと思ってる？」 「子どもとか関係なか。将平のお母さんが……」 「帰りたくないって言ってるんだ」 　将平の声は低く、鋭かった。裕二が思わずたじろぐ。 「…………やっと逃げられたんだから、見つかりたくない」 　将平は膝を抱え込み、床をじっと見つめて言った。 「……もう懲り懲りなんだ、あんな首輪で繋がれたような生活は」 　だんだん、将平の語調が荒くなっていく。彼は、時々言葉を詰まらせて、苦しそうにしていた。 「…………いつもそうだった、誰も俺のこと見もせんくせに、ケチばっかりつけて……」 　将平、と裕二がつぶやく。将平は俯いて、右手で頭を抱えた。 「俺はずっと、ちゃんと真面目だったじゃないか。いい高校に行っていい大学に入って……、それで、いいとこ就職して……。……なのに、なんで、俺を……」 「将平」 　裕二が、将平の右肩に手を置いて、身体を肩に引き寄せた。将平は驚いて、裕二の顔を凝視した。 「…………よか。ここにおらんね」 　裕二は優しい顔をしていた。将平の頭が、すっと冷めていく。 「……ごめんなさい。…………裕二さんは関係ないのに……愚痴聞かせちゃって」 「よかよ」 　将平は左手と右手の指先を絡ませながら、俯いて言った。 「……俺、ずっといい子だったのにな。家族、こんなふうに言ったこと、なかったのに…………」 「そうやね」 　裕二が頷く。将平は、遊ばせていた指先を離して、小さな声で言った。 「……俺、ずっといい子だったけど、ホントはもっとわがままだったのかもしれない。……いや、まだ、わがままだと思う。でも、わがままとか、一度も聞いてもらえんかったけんさ、いつの間にか、やり方忘れちゃった」 　将平がはにかむ。裕二ははっと笑いだした。 「……やい、こねこちゃん。お前いつも俺ば良かごてしようやんね。わがままのやり方、ほんとに忘れたと？」 　裕二は笑った。思わず、将平が尋ねる。 「…………俺、わがままかな？」 「あは、お前はわがままかよ。今まで、俺がどんだけ嫌だって言ってきたと思っとると？」 　将平は微笑んだ。そうか、わがままか。将平は嬉しくなった。いつだって従順だった。誰にも逆らったりしなかった。決められたレールを、定刻通りに走ってきたのだ。 　裕二の前で、自分がどれほど素でいられているか、よく分かる。 「……ばってん、こやんかわがままなら、俺はいくらでんきいてやるよ。無理せんでよか」 　裕二が、将平の身体を再び引き寄せ、今度は腕の中に引き入れた。 「……無理せんでよか」 　裕二は将平を抱きしめて、左手でゆっくりと頭を撫でる。子供扱いのようにも感じられたが、不思議なことに嫌ではなかった。 　将平は、裕二の身体を布団に押し倒した。 「…………うぉ、どやんした？」 「……やりたい」 「泣きよるやん、せんどき」 「したい、泣いてない」 　将平の目から溢れる涙を拭いながら、裕二は苦笑をこぼした。 「…………やい、わがままこねこちゃん。俺は本気で慰めてやったとぞ？　これ以上疲れさすなさ」 「……うるさい、俺はわがままなんでしょ？」 　将平は裕二の首元にキスを落としながら続ける。 「…………俺が泣いたんだ、裕二さんを泣かすまでやる」 「……関係なかやん」 「じゃあ、俺がやりたいからやる。おねがい」 　将平のヘーゼルの瞳に見据えられ、裕二はため息をついた。 「……はぁ、嫌て言うたでちゃ意味なかやろ」 「裕二さんって、ホントにえっちなことには目がないよね……」 　将平を足で軽く蹴ってから、裕二は、暗闇の中でにやりと笑った。 　「……はー、は、……ッあﾞ、イく……っ、あﾞ、あﾞぁあ……あﾞ……ッ！！！」 　精液が勢い良く吹き出す。裕二は布団の上に仰向けに倒れ込んだ。今日はやたら将平がしつこい。本気で、自分が泣くまでやるつもりなのだろうか。裕二は既にビクビクと足を震わせていた。 「……まだ二回しかイってないから、裕二さん余裕でしょ」 「は、余裕が、は……、あるように見ゆ……っ？」 　将平が、何やら布のようなものを、ローションに浸し始めた。 「……は、お前、なんば、しよ？」 「気持ちよくする準備？」 　将平はクスクス笑った。何をしているのかわからないが、裕二は期待で腰がゾクゾクした。 「……えっち。まだ何するかも言ってないのに」 　将平は、裕二の既に緩く芯を持った性器をそっと撫ぜた。ローションで滑った指が、異様に気持ちがいい。 「あﾞ……ッ、ぁ……ああ……」 「……これ気持ちいい？」 「ぁ、将平……っ、だ、め……っ」 　将平は楽しそうに微笑んで、指を退けると、ローションに浸された布を裕二の性器の先に被せて擦った。 「………あﾞッ！？　あﾞ……っかは、……！」 「うわ、えっぐ」 「あﾞぁ、あﾞ、しょう、へい……ッ！？　あﾞ、あﾞあﾞぁぁ、なにﾞ、何、そいﾞ……っ！！！」 「……ストッキングをローションに浸してるんだよ」 　将平がシュルシュルと布を滑らせる度、裕二の口から声が漏れる。ゾクゾクと、緩いような、強いような、不思議な快感が頭を支配する。 「いﾞかんて、イﾞ……ッ、イぐ、イく、イくイくぅﾞうﾞ……ッ！！！」 　裕二は目を白黒させて、ガタガタと壊れたように震えながら射精した。 「はーッ、はー、っ、はぁ……ッ！」 「きもちいい？」 　将平が、手を止めて尋ねる。裕二は力なく将平の手を押さえつけた。 「それ、いかん……っ、しょうちゃん……、せんで……っ！」 　裕二の目からぽろぽろと涙がこぼれ落ちた。将平が、ニヤリと笑った。 「……は、あﾞ……っ、あﾞ、あﾞぁあぁ、っ、やめて、しょうちゃん……っ、やﾞ、め、ぇﾞ……！」 「かわいい。どうしよう、大好き……。俺、裕二さんが気持ちよくて泣いてるの見るの、好きになっちゃった」 「あﾞぁあ、いﾞや、いぐ、いﾞぐの、いや、けんがぁ……ッ！！！」 　泣き叫ぶ裕二の亀頭を、ストッキングでズリズリと擦る。裕二が将平の背を引っ掻いた。 「あﾞぁああ、いぐ、いﾞぐ、しぬ、しんじゃ……っ！！」 　怖くなり、裕二は将平にしっかとしがみついた。ぼろぼろと、涙と声が止まらない。 　シュル、と再び将平の手が滑ったとき、裕二の頭をぱつんとはじけ飛ばすかのように、強い快感が襲った。 「あﾞ……ッ、あﾞ、あﾞぁあああッ！！　あﾞあぁ、ああ！　あﾞッ！　あﾞ……ッ！」 　ガクガク震えながら、裕二が叫び声を上げた。性器が、透明な液体を撒き散らす。もう将平は手を離しているのに、まるで馬鹿になってしまったかのように、しばらく身体が勝手に短い痙攣を繰り返した。 「……は、あﾞ……、ぁ……」 　びくびくと身体を跳ねさせながら、裕二はちらと将平を見た。将平は、触ってもいないはずの性器から、精液を垂らしていた。 「……は、ふ、ふふ、変態やな、お前……っ」 「……裕二さんには言われたくない」 　将平はティッシュで自分の精液をふきとりながら、不満げな顔をした。裕二が、息を切らしながら笑う。将平は、その不満げな顔のまま、裕二の鎖骨にキスをした。 「…………ありがとう」 　将平が裕二の胸に顔を埋めたまま、小さな声で呟いた。裕二はその頭を、大きな手のひらで、わしわしと優しくなでた。