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第9話

 後宮の一番奥に新たに建築された小さな宮殿。  そのすぐ前にある畑の真ん中に鍬を持って鳥が立っておった。本宮にいた時の優雅な姿からは想像も出来ぬ農夫のようないでたちで泥に塗れておる。しかし不思議にこのように日が照っておるのに全く日に焼けておらぬ。健やかになったのか薄桃色の頬を高揚させてこちらも見遣った。 「このような姿で大変ご無礼を」  我に気づくと足早に近くにより頭を下げた。 「よい。だいぶ慣れたようだの」 「はい。日々王の深いご慈悲に感謝いたしております」  あれより鳥に何か欲しいものはないのかと問うと貧しい者への奉仕がしたいと答えおうた。殊勝な心がけであれど、外に出せばひとときと持たず拐かされてしまうのは目に見えておる。さすがにそれは出来ぬと王宮の一番奥に新しい屋敷と庭を与え住まわせることにした。童にかぎりであるが、ここへの出入りを許すと頼うて来た者に粥を作ったり、学を教えたりして暮らしておるらしい。  鳥は大層贅沢であると恐縮し喜びおったが、この程度のこと鳥の国より奪った財を思えば全く取るに足りぬ。  いきいきとした表情をしておる。  あのような薄暗い部屋にいるよりよほど晴れやかなのであろう……。  ふと下を見ると童たちが我を見上げて睨んでおった。 「我が怖いのか?」 「……こ……怖くなどあるものか! 先生に無体をしたら許さないからな!」  生意気な口を聞くと震える手で鍬を持ち、突きつけてきおる。 「これ! なんという無礼を!」  慌てて鳥が童の頭を抑えて鍬を取り上げた。 「先生逃げて!」  今度は我の膝に縋りつき、ゆく手を童たちが遮った。 「何をしておる! 良いの。おまえたち。いつも教えておるであろう。このお方はこの国の偉大な王である。おまえたちがここで温かい粥を食せるのも、歴史を学ぶことができるのも皆、王の寛大なお心があるからなのであるぞ。礼を申し上げよ」 「王様! 王様なの?」  今度は興味深々な顔をしてたづねてきおった。  みな貧しい童達なのであろう、黒い髪の者も多い。 「これ! 話を聞いておらぬのか」 「王様なら父様を助けてよ! 髪が黒いからって大工の仕事をもらえないんだ! 王様だって黒い髪ではないか! 辛い仕事ばっかり押し付けられてなのに祿だってまともに貰えなくて文句を言ったら石を投げられたんだよ!」  必死に訴えてくる童の髪も黒であった。悔し涙を流す瞳はしかし緑である。 「……そんな目におうたのか? 父君の名を教えよ」  西ニ方の李信。父ちゃんはでっかくて、すっごく力があって隣の家のひょろひょろした親父なんかよりずうっと働けるんだ! 隠してるけど読み書きや計算も得意だから家だって作れるんだぞ! 「そうか。それは頼もしい。ならば我の屋敷でも作うてもらおうかの」 「作ってやるよ! すっごいでっかいの!」 「……こ、これいい加減に!」  鳥が慌てて話しに入ってきよる。 「かまわぬ。これは王より正式な仕事の依頼ぞ」 「父ちゃんの腕に腰抜かすなよーー」 「楽しみにしておる」  夕刻になると跳ねるように童達は帰っていった。早急にあの者の父の境遇を調べさせねばならぬな。迷信めいた色による差別をなくすよう命を下しておるが民の気持ちはなかなか変わらぬ。昔より根強く植え付けられた差別意識はあの娘のように容易くは消えぬのだ。    + ++ + ++ + 「随分、慕われたものだの」 「大変なご無礼を。まだまだ理のわからない童達です。罰するならわたくしを……」  屋敷に上がると簡素で清潔な暮らしぶり。  門前には兵を置き、守らせてはいるが鳥の望みで屋敷の中には誰も置いておらぬ。身の回りのことも自分でしておるのだろうな。 「童の戯言にいちいち怒ってなどおられぬ……」 「寛大なお心に感謝いたします。粗末な物しかございませぬが……」  運ばれた膳には酢漬けの野菜や干した果物などが並んでいた。 「餐も作っておるのか……」 「昔の記憶の頼りと宮中でいただいていたものの見よう見まねでお恥ずかしゅうございます」 「これはなんだ?」  香草の上に並んでいる見たことのない饅頭のような白い塊を箸で掴んだ。柔らかく弾力がある。 「牛の乳に柑橘の汁を入れて固め漉して丸めたものでございます」  口にすると思いのほか甘くはなく麹が発酵したような、ほのかな香りがして牛の乳をそのまま飲むより濃厚な味になっておる。 「酒に合うの」 「よろしゅうございました。塩を少し付けるとまた味が違うて楽しゅうございます」  言いながら砕いた岩塩と茶の粉を混ぜたものを差し出してきた。確かに濃厚さが増し更に酒を進ませる。 「鳥の国の餐か?」 「はい。我が国では山羊の乳で作うておりました。好物で母様にねだりよくお作りいただいたものです」  穏やかに思い出を語るが、王妃は王と共に首を落とされた……と禁書に記されていた。鳥と同じで争いを好まず民を守るため、自ら刃の下に身を捧げたのであろう……全ての民が金の姿だと記されておった。さぞかし眩いばかりに美しい母君だったのであろうな……。  鳥のそばには、もはや誰もおらぬ。  思えば我によう似ておる。母も誰もおらぬ身である。 「久しぶりに箏の音が聴きたい」 「承知いたしました」  命じると鄙の宮殿に箏の音が美しく響く。鳥の奏でる音は何ゆえこのように懐かしく、深く心に染み入るのであろうか……。 「……なにかお心を乱すことがおありですか……?」  しばし音に酔い酒に酔い気分ようしておったが箏の音が止むと鳥が小さな声で尋ねてきおった。 「聡い鳥だの……」  先日北の国境が破られ兵が死傷した。膠着中との伝を受けておるが我が国に侵攻する意志を持ってのことであれば応戦せねばならぬ。 「……しばし国を後にするやも知れぬ」 「戦にございますか?」 「あるいはそうなるやも知れぬ」 「ご無事をお祈りいたしております」  なぜ我の無事を祈る。鳥の真意は誠分からぬ。父王への想いゆえなのか、しかしその父王を裂いたのも我であると言うのに……。 「差し出がましいことを申しますが、ご出立の日がお決まりになりましたらお教えいただけますか?」 「……何故だ」 「ご武運を祈祷させていただきたいのです」 「そなたの国では殺生を禁じているのであろう。我が無事に還るということは多くの殺生を望むのと同じである」  なぜこのようなことを申してしまうのか……鳥と向かうと我は我の手綱をひくことが出来ぬ。まるで駄々を捏ねるあの童たちのようである。 「わたくしはとうに戒律を破っております。醜い我欲で王様がご無事でいらして欲しいのでございます」  鳥は我の心を見透かしたように心地よい言葉を紡ぐ。 「……せんなきことを申した。決まり次第伝えるゆえ出立の日、北の城門にて我が軍のための祈祷を申し付ける」 「心得ました」  箏の音がまた低く高く聴こえ睡魔を誘う。鳥の箏の音を聴く時だけは王であることの重責も脅威も消え無心となりただ心地よく眠ることができた。

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