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第12話 撮影

 その日、ジョシュアが帰ってようやく一人になった俺。イチャイチャしてしまったことを隠すため、窓を全開にしてある。夏の湿った草の香りと、セミの鳴き声が窓から入ってきてカーテンを揺らしているのが心地よい。  俺はベッドに寝転びながら、スマホ片手に自然と頬が緩んでいた。開いていたのはトークアプリ「RAIN」の画面。ジョシュアと連絡先を交換してすぐにあいつから柴犬がハートを飛ばすスタンプが送られてきたのだ。顔に似合わず、こんなスタンプ使うんだな。  今後のことは、とりあえず話し合って、今すぐジョシュアの番になることはできないが、お互いのことをもっと知ろうということで、納得した。いや、してもらった。自分のバース性も受け入れてないんだから時間をくれというと渋々といった感じだが承諾してくれたんだ。  今夜はこれから、ジョシュアが出ているというドラマが放送されるらしい。見てくれと頼むので、ジョシュアを知るためにも見てみるか。部屋に備え付けてあるものの、全く機能していなかったテレビをつける。  Ωということもあり、個室があてがわれているので、ほかの人を気にすることもなく音量を上げる。ドラマのタイトルは「大三角恋愛」。……変なタイトルだな。  今日は第3話目。親切にも前回までのあらすじを紹介してくれる。主人公は新米のパイロットという設定で、最近デビューした男性アイドルがキラッキラッとした爽やかな笑顔で登場した。ヒロインはちょっとドジなキャビンアテンダントで、アイドルグループでも可愛いと目立っている子が演じている。あ、この子はこの前の撮影でちらっと見かけた、ジョシュアの腕に甘えたように触っていた子じゃ…。  その次には、主人公の親友で同じパイロットのジョシュアが映し出された。パイロットの制服が悔しいくらい似合っている。白地の爽やかな制服の上からでも引き締まった身体のシルエットは丸わかりだ。さらにこんなに足って長いのかなってくらい制服からスラリと足が伸びている。しっかりとした身体の上には、小さな頭が乗っかっている。そして並んだ美男美女たちの中でも群を抜いてキレイな顔だな。うん、確かに天下が狙えそうだ。  今回のストーリーは、キャビンアテンダントにクレームをつけまくるファーストクラスのおばあちゃんが話の中心のようだ。やっぱりというかヒロインが、サービスをけちょんけちょんにダメ出しされている。  フライトの合間に涙を拭くヒロイン。ドリンクをパイロットのジョシュアたちに持っていくとそれに目ざとく気づくジョシュア。 『どうしたの?……何かあった?』  ……このテノールの声はズルいと思うぜ。甘さも含んでいて、誰でも自分に気があると思っちまうだろーーー! 『いえ、何でもないんです……ぐすっ』 『君が泣いていたら、僕も悲しいな。話せることならいつでも相談してね』と言って、ヒロインの頭を優しく撫でている。あっまーーーーー!俺は枕をぎゅうぎゅうに抱き締めながら、ボフンボフンと叩く。  画面ごしだと、ジョシュアの印象的な瞳を見ても何ともない。直接見るのはまだ、どうなるか分からないので自信がないが、好きなだけジョシュアの顔をじっくり見られるまたとないチャンスを堪能した。  あいつの瞳は、真っ黒というより茶色なんだな。色素が薄いからか、茶色のほかにグリーンっぽい色も混じっていてキレイだ。よく吸い込まれそうな瞳とかって聞くけど、こういうことかもしれない。  その後もやたらとおばあちゃんに絡まれて、そのたびにベソベソするヒロイン。本物のキャビンアテンダントの人が見たら、腹を立てそうなほどの豆腐メンタルだが、主人公もジョシュアも放っておけないとばかりに、構いまくる。  おっ!ジョシュアがヒロインをスタッフ用のトイレに連れ込んだぞ。そして壁ドンからの『他のやつの前で泣くんじゃない。僕が守ってあげるから』と言って、彼女を抱き締めたーーー!ひぇーー仕事場でいちゃつき過ぎだろーーー!クビになっちまえ!と散々、心の中で野次を飛ばす。  でもあいつの声、やっぱいいな。なんか低いんだけど、艶があって甘さもあって。さっきまですぐ隣で話していた時は、もっと低い声で囁かれていたと脳内で再生していたら……。うっ……さっき口でされたことまで思い出してきた。あれっなんで俺のここ、元気になってるんだ。  初めてフェラされたが、あんなに気持ちがいいものとは思わなかった。柔らかくて温かい舌に包まれて、裏すじをちろちろとされたこと、カリ首をくりくりと舐め上げられたこと。思い出しながら、パジャマのズボンに手を入れると、すでにまぁまぁな固さになっている。  うわぁぁぁ〜~~何こんなにしちゃってんだよっ!と羞恥心のあまり、顔が赤くなるのを感じた。  そんな時、ピコンと通知音。ジョシュアから「ドラマ見てる?」と一言のメッセージ。俺は見られていたわけでもないのに飛び上がるほど驚いた。あたふたと一生懸命、煩悩を窓の外へ逃しながら、すぐに手を洗って「見てた。カッコいいじゃん」と返信した。思い出しオナニーするところでしたなんて微塵も感じさせないように。すると、すぐにバンザイしている黒犬のスタンプが送られてきた。思わずフフフと笑ってしまう。  ジョシュアから退院したらまた撮影見に来ないかって。おばさんの所でのバイトがあるから難しいかもしれないと伝えると、じゃあ弁当、また大量に注文して配達してもらうからな。そしたらちゃんと撮影も見てくれよ、と言い出した。それならいいんじゃないって適当に返しておく。  テレビでは、家族とのいざこざのストレスからキャビンアテンダントに当たり散らしていたおばあちゃんが、ヒロインの手伝いもあっていつの間にやら仲直りしていた。そしてヒロインと主人公、親友役のジョシュアとの三角関係も動き始めていた。きっとこのドラマは女子に人気なんだろうなぁとどこか遠い世界のことのように思っていた。 ────  今日は、待ちに待った退院の日だ。2週間の間にみっちりとΩについて勉強したし、カラーもつけた。抑制剤、安定剤も処方してもらったし、緊急時の時のためのアフターピルも。これは使わないでいたいけれど……。  とにかく自分は新しく生まれ変わってしまった。もちろんまだ混乱している部分も、納得していない部分もある。「なんで俺が」って、頭をかすめない日はない。でも、なっちまったもんは、しょうがない。  全てを拒んで、家にずっと籠もっていようかとも考えたが、性に合わなすぎて止めた。外に出かけるのが好きだし、友達とも遊びたい。学校の勉強はあんまり興味がわかないけれど……。  こんな脳天気な考えは、きっとこの人の影響だろうなぁとぼんやりと、荷造りを手伝ってくれている母さんの横顔を見つめた。  母さんは出版社で働いていて、時間の都合はつけやすいからと、ちょこちょこお見舞いに来てくれていた。今日も退院に合わせて、出社の時間をずらしたんだそう。ただその分、夜遅くなることも多いし、校了前にはゾンビみたいな顔してることもあるから、なかなか大変そうな仕事だと思う。それでも合間を縫って洗濯物の交換やらお菓子の差し入れやらに来てくれたのは、ありがたかった  そんな母さんの口ぐせは「なんとかなる」。「なんともなんなくても、なんとかなっちゃうから大丈夫よ〜」って言われると、俺もそんなもんなんかなって。小さい頃から、そう育てられてきたから、こんな脳天気な人間になったのではなかろうか。  ちなみに父は普通の会社員。とは言っても医薬品メーカーで開発を担当しているらしく、朝早くから夜遅くまで働いている。昔、あんなに働いてばっかりで過労死しないのかって心配して母さんに聞いたことがあったけど、本人が好きでやってるんだから、いいのよって母さんはケラケラ笑って言ってた。  二人は大学時代に知り合って結婚した。全然、学科も違うし、共通点がなかったのに、たまたま同じ授業で、隣同士になって話してみたら、この人、自分かしらって思うくらい考え方とか似ててねって母さん言っていた。父さんも恥ずかしそうに笑ってたっけ。  俺はこの両親を見て、本能じゃなくてちゃんと恋愛したいって思ったんだよな。ジョシュアに好き好き言われて有り難いけれど、すぐに番になれない理由は、こういうことだった。 「康ちゃん、これどうしたの?」  母さんは、ベッドの上に出しっぱなしだったジョシュアからのカードを手に取っていた。しまった。情熱的なメッセージが書いてあるものばかりで恥ずかしいから早めにカバンに入れようと思っていたのに、思いの外、早く母さんが来たから忘れていた。 「……なんか、俺のこと"運命の番"って言うんだ。変な奴で、俺がまだ赤ちゃんだった時に会って運命だと分かったって」 「……この人は、康ちゃんと、どこで出会ったって?」 「それは、ジョシュアが俺の両親が話していないなら言えないって……あれってどういう意味なんだろ」  母さんは、急に遠くを見るような表情をして無言になった。その後も、話しかけても心ここにあらずって感じになってしまった。 ──────  退院した翌日には、もうおばさんのとこのバイトにかり出された。またジョシュアの撮影所から大量に注文が入ったそうで、必ず俺も連れてこいという物騒な注文が添えられていたそうだ。むちゃくちゃだ。  それでもおじさんも、おばさんからも「康ちゃんのおかけで、お店も大助かりだよ~ありがとうねぇ」なんて感謝されてしまうと、まぁしょうがないなって気持ちになった。  いつものようにスタジオまで弁当を運んで、一息ついた。今までの注文の2倍の500個は、なかなか作るのも運んでくるのも大変だった。急きょパートのおばさんたちにもお願いして、ほんとに総出で準備した。  今日のメインは、ハンバーグ、鮭の西京焼き、ホイコーロー、シュウマイ……といつものように紙に書いて貼り付けていると、後ろからいきなり腕が伸びてきた。「うわっ」。しゃがんでいたから、自分を支えきれずに後ろ向きに倒れてしまうが、大きな腕でしっかりと抱きとめられる。  後ろを振り返ると、そこにはいつものサングラスをかけたジョシュアがいた。 「へへへ。来てくれたんだ、ありがと」 「いや、必ず連れてこいって脅迫めいた注文だったって聞いたけど…」 「……へへへ」  まったくという感じで軽く睨むと、ハッと我に返る。周囲の人たちが、みんな一斉にこちらを見ていたからだ。しまった。出演者と親しげにしてる弁当屋がいたら、そりゃ注目されちゃうよな。  急いでジョシュアから離れて、おじさんの方へ向かう。するとジョシュアもトコトコとついてきた。おじさんは、作り物みたいに、キレイなジョシュアを見てちょっとびっくりしているみたいだ。俺に引っ付いてきたジョシュアを紹介せざるを得なくなってしまった。 「おじさん、こちらジョシュア……。あ、芸能人としてはアダムって名前らしいよ。んで、こっちが弁当を作ってる滋おじさん」 「初めまして。いつも注文してくれて、ありがとうございます。いやいや、康ちゃんにこんなすてきな芸能人の知り合いがいたなんて知らなかったよ」 「いやいや、知り合いなんてものじゃないんです。実は俺、康のうん……」  こらっ!おじさんにまで言うな!てか、スタッフさんたちもみんなこっち見てるから!止めろーー!とジョシュアの口を手を塞ぐ。 「ジョシュアは、……幼なじみ!そう、幼なじみみたいなもんなんだ」 「みたいって何だ。まぁ、康がそう言うなら、それでいいよ」  弁当がいつも美味しいので撮影も乗り切れますと愛想よく話すジョシュアに、最初はびっくりしていたおじさんも嬉しそうに話してる。 「康は、撮影に興味があるようなんです。俺が責任を持って送り届けますので、もうしばらく見学させてもいいでしょうか?」  ………?!いつそんなこと言ったよ、と小声でジョシュアに聞くと「RAINでたくさん注文したら、見学していってもいいって言っただろ」と返される。いや、そんなの冗談かと……と言いかけたところで、恨めしそうにこちらを見てるジョシュアと目が合う。俺は約束を守ったのに、康は守らないわけ?と顔に書いてある……。まったくしょうがないな。 「安全に送り届けてくれるって。だから先に帰ってよ。おばさんにもよろしくね」  今が夏休みで良かったよ、本当に。

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