13 / 54

第13話 魅了

──私には今、目の前で繰り広げられている光景が信じられなかった。いつもどこでも誰に対してもぶっきらぼう、または興味なしを貫いているアダムが、だいぶ年下の島本康に、ニコニコして話しかけて、ベタベタとくっついているのだから。あ、紹介が遅れました。私はアダムのマネージャーをしている小川と申します。高校1年だったアダムと出会い、それはもうしつこく付きまとって口説き落として芸能界に引きずり込んだのも私です。   最初に見かけたのは駅の改札だった。人より頭一つ抜きん出ていたし、何よりその容姿が極めて目立っていた。曲がりなりにも芸能事務所で働く者として、たくさんの芸能人を見てきた。それでも詰め襟姿の彼は、群を抜いて美しかった。異国の血が入っているのか、黒い髪はうねうねと自由に伸びていたが、その瞳はアンバー、いわゆる琥珀色で、小さな顔に比べて大きく、それがまた人目を引いた。顔立ちはまだ幼さが抜けていないにも関わらず、気だるげな色気を漂わせていて、これは将来、化けるぞと確信に近い震えを感じた。  気がついたら、彼の腕を掴んで「あの、芸能界に興味はありませんか? 私は、芸能事務所で働いていて、怪しいものじゃありません。ほら」 名刺を差し出したのに、彼はじっと見るだけで手を出そうとはしてこない。  訝しがる顔を見て、自分の手元に目線を落とすと、なんと自分が彼に差し出していたのは、街で配っていたピンクの広告が入ったポケットティッシュだった。 「…あっ!……すみません、名刺じゃなかった」  あたふたと名刺入れを探していると、ブフォっと笑い声が聞こえて見上げると、顔をくしゃくしゃにしたあいつが笑っていた。その笑顔は反則だ、だめだ、だめだ。女も男もすべてを魅了しつくしても足りないほどの破壊力だった。  あれから、もう10年近く経つが、いつもは表情筋が死んでいるのが常のアダムが、他人に対してこんな柔らかい雰囲気をまとっているのを見るのは初めてだった。  あいつが言っていた"大事な人"というのは本当だったんだな。ただ、いつものアダムじゃないものだから、すごい注目を浴びているぞ。そろそろ離したほうがよいか……と思って二人のところに歩いていこうとすると、誰かに腕を引っ張られた。 「ねぇ〜小川さん、あのお弁当屋さんの子ってアダムの何なんですかぁ?」  今回のドラマで、ヒロイン役を務めているアイドルグループの南彩良みなみさらだった。可愛いけれど、自分が可愛いということを充分、認識していますという彼女独特の話し方で、質問攻めにしてくる。 「アダムも、いつも無表情なくせに、すっごいニコニコしてるしぃ」 「……あの方は、アダムの幼なじみなんだそうですよ。久しぶりに再会して嬉しいんじゃないでしょうか」  あまり納得がいかないという表情で、二人を見つめる彼女。「ねぇ、もしかしてあの子Ω? シャツで首元隠れてるけど、なんかそんな感じがする」 「……さぁ? 同じΩだとそんなことが、分かるんですか?」  南彩良も同じくΩだ。庇護欲をかきたてる幼い顔立ちと、それに似つかわしくないほど成長した身体。そのアンバランスさが一部のファンから熱狂的に支持されている所以ではないだろうか。そしてこの芸能界では珍しく自分のバース性を公表していた。なんでもヒート期になったら、仕事に影響をきたすし、バース性にもっと寛容な世の中になってほしいとの気持ちをこめて公表することにしたとインタビューで語っていた。  しかし、私からすれば、希少なΩであることを公表することでグループ内での自らの存在感を高めたり、あわよくばよいαと番たいのではないかと勘ぐらせるほどには、彼女はしたたかだった。例に漏れず、αのアダムも候補になっているのだろう、共演が決まると早々に挨拶したいと事務所を通して連絡が来た。残念ながら忙しいため、時間を取れませんとお断りしておいたけれど。  彼女はこちらの質問には答えず、別の所へ行ってしまった。もうすぐ撮影が再開されるのだから当然か。私も二人の所へ行かねば。 ──────  撮影行ってくるから、見ててなと言って、俺の頭をポンポンと撫でたジョシュアはセットの方に行ってしまった。ジョシュアの腕にぶら下がるように歩いているのは、ヒロイン役のアイドルだ。ちらっと俺の方を見たような気がするけれど、どうしてだろうか。一般人が珍しかったのか。  しばらくボケーッと収録を眺める。リハーサルで動きやセリフを確認して、さらに撮ったものをモニターでもチェックしてといくつも工程があるんだな。ワンシーンを撮るにも、色々な角度から撮るので時間がかかるんだ。ジョシュアも含めみんな真剣で、見ているこっちも気がついたら見入ってしまっていた。 「あの……すみません。お弁当屋さんの方ですか?いくつか別の部屋に持ってきてほしいと言われたのですが……」後ろから声をかけられ、振り向くと帽子を目深にかぶった男性スタッフだった。 「はいっ、もちろんです。いくつ持っていきますか?」 「10個もあれば……」 「分かりました!」  俺はトレーに弁当を載せて、スタッフの後をついていく。スタジオの中のまた色々な扉を通り、廊下に出る。そして、こちらですと言われて部屋に入った途端、ドアがバタンっと閉められてしまった。……えっ?急いでドアを開けようとするが、鍵がかかっているのか開かない。 「すみませーん!鍵、かかってますーーー!!」  叫んでみるも、何の返答もない。どうしたんだ……?まさか閉じ込められた……?なんで? 暗闇の中、手探りで照明スイッチを探してつける。  明るくなった部屋の中をみてみると、窓もない3畳ほどしかない物置のような場所だった。天井までの金属ラックが2つ並び、トイレットペーパーや手洗い液といった備品がたくさん置かれている。  「あーあ…」せっかくの弁当が、閉じ込められた時に散らばったり、弁当箱の中で一方に寄ってしまったりと、残念な状態になってしまった。ジョシュアに助けを求めようにも、ジーンズのポケットに入れていたスマホは残念ながら圏外……。  なすすべもなく、入口近くの壁にもたれながら座り込んだ。ドアの向こう側はとても静かだ。人があまり通らない所なんだろう。さらに窓もない。こんな所に閉じ込めるなんて、よくここの建物を知っているやつじゃないか。  脱出するには、どうしたらよいか……。俺は再び室内をぐるりと見渡した。 ────── 「おい、ここか。痛めつけてほしいΩがいるって言ってたのは」 「はい、今、鍵を開けます」 「Ωだから、食っちまってもいいんだろ。発情させる興奮剤も持ってきたぜ」  ひと気のない廊下に二人の男の影が。そして鍵を開ける音が響く。 「ヘッヘッヘ、お邪魔しま〜す」 下卑た笑い声を上げた派手な格好の男が、部屋に入る。その途端、「うわぁぁぁ〜!!」と情けない叫び声が響き渡った。  急いで駆けつけると、暗い部屋の入口で尻もちをついた男が、頭をおさえて痛い痛いと喚いている。床には、……なんだ? 緑色の液体がぶちまけられている。 「島本さん?! 大丈夫ですか?」 私が、声をかけると、島本康が「あれ、小川さん」なんて言いながら、のっそりと出てきた。鍵を開けた男は、驚いて走り去ったけれど、もう遅い。全て記録されているだろう。誰がやったのかすぐに炙り出されるはずだ。 「……これは?」 「へへへ……手の洗浄液です。廊下に液漏れさせて、誰かに気づいてもらおうと思って」  なるほど。閉じ込められてもただ、いたわけじゃないんですね。部屋を暗くしたのも、下品な会話が聞こえてきたから時間稼ぎになるかと思って、と。 「小川さんこそ、よくここが分かりましたね」 「アダムからきつく言われていましたから。あなたから目を離すなって」 「なら、もっと早く助けて下さいよ。俺、すげービビりましたよ」 「そうですよね、申し訳ありません。でも首謀者までたどり着けないと意味がないので……」 「黒幕ってこと? まだ、関わってるやつがいんのかー」  島本康は、ハーーっと溜め息をつくと、首の後ろをガリガリとかいた。  そこに「康っ!」大きな叫び声とこちらへ走ってくる足音が聞こえてきた。そして、島本康を目にするや、彼をひしとかき抱いた。まるで誰の目にも触れさせないといった様子で。威圧に近いオーラがアダムから発せられて、βである自分でも少し息苦しさを感じる。こんな時はαの一面が全面に出てくるんだな。と言っても私にとって、アダムがαの力を見せつけてくることはなかったから、実際に目にしたのは初めてだ。 「大丈夫かっ?……どうしたんだ?」 「いや〜びっくりしたよ。弁当運んでって言われたからついてきたのに、閉じ込められちゃったんだよ」 「アダム、だいたい首謀者は目星がついたぞ。そいつはそこの転がってるα崩れに島本さんを襲わせようとしていた」  また周囲の空気が一段と重くなった。派手な格好の男は、完全にアダムの威圧に腰を抜かしてるようだ。 「小川、俺は絶対許さない」 「……そうでしょうね」

ともだちにシェアしよう!