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第3話 異臭
────俺の母親の故郷だというから、わざわざ来たのに全く冗談じゃない。ジョシュアは、先ほどからうんざりするほど続く、親戚との食事会という名の拷問にほとほと嫌気が差していた。
祖父だと名乗った男は、確かにαとしても、実業家としても他者を圧倒するオーラを放っていた。それ自体は問題はなく、むしろ尊敬さえ感じるのだが、俺の番である康へのあからさまな無視は、さすがに看過できない。この国のΩに対する意識の低さも腹立たしい。運命の番よりも優先すべきものなどないのが、なぜαなのにわからないのかと怒りで叫びだしそうになるほどだ。
とは言え、来たばかりで怒りをあらわにしだしたら、あのじいさんの不興を買って母親のことなんか一生教えてもらうことはできないだろう。それでなるべく大人しくしていることにした。そして康にも話を理解してほしいので、俺も英語ができないと伝えて日本語で話してもらうようにした。それは本当に良かった。日本で駆け足だがデリウィグ語を学んできたおかけで、親戚連中と語る人たちが好き勝手いうのもじっくり耳を傾けることができる。
親戚連中は俺が言葉がわからないと思っているから、口が軽く、ペラペラとよくしゃべる。おかげで俺の母親の名前はロアーナであることや、日本にローズが来た時に俺の私物か何かを持ち帰って、すでにDNA鑑定がなされていて、あのじいさんと確かに血縁関係にあると判定されたことがわかった。
もちろん、そんなことを聞いているとは気取られないように、俳優として培ったビジネススマイルを顔の表面に貼り付けたまま。隣に座ったローズがときおり日本語に通訳してくれるのをなるほどと頷いておくのも忘れない。母さんが手紙で託した約束、俺が叶えてやりたいから、うまく立ち回らなければ。
それよりも、先ほどの執務室に置いてくることになってしまった康のことが心配だ。今、一人でどこで何をしているのだろうか。
初めての海外で、飛行機や車の窓からの景色を楽しそうに眺めている姿は、本当に可愛らしかった。あの可愛らしい康をもっと近くで見たい、味わいたい………。それなのに、俺はこんなところで何をしているんだ……。
「ロアーナもせっかくαに生まれたのに、どうしてΩなんかと駆け落ちしちゃったのかしらね、信じられないわ」
「本当だよ。しかもこんな立派なαの息子を産んだのに。私ならすぐさまこの国に帰るけどな」
じいさんから一番離れた末席で、ふくよかな男女が、なにやらコソコソと面白い話をしているのが聞こえてきた。それぞれの参加者の話し声で騒騒しいから、多少のゴシップは許されると思ったのだろう。俺はそちらに目線を向けることなく、耳に全神経を集中させた。
「ここの資産を思えば、誰だって普通はそう考えるわよ。でもロアーナと日本人は、ある日突然、いなくなったんじゃなかった?」
「前日夜まで普通にいたのに、朝にはもういなくなっていたらしいな。そんなに逃げ出さなきゃいけないヤバい事情でもあったのか?」
「知らないけど、あの方なら何をしてもおかしくないでしょう」
それきり二人は黙りこくってしまった。最後に触れた"あの方"のことを口に出した途端、その危うさに気がついて青ざめたってところか。このじいさん、本当にどんな法外なことすら、簡単にやってしまいそうだ。それが権力、ひいてはαという存在なのだと一切疑っていないように。
「ぶっ!」
危ない……。あやうくワインを吹き出すかと思った。料理の給仕に交じって、先ほどまで一緒にいた康が、ワインの空瓶を回収しに来ているのはなぜだ。ほかの給仕と同じように、黒い蝶ネクタイまでつけている。黒縁の眼鏡をして、一応変装してみたってことか?俺は一瞬で見つけられたが、じいさんも一瞬しか会っていない康を見分けられるとは思わない。
俺があんまり康を凝視していたからか、一瞬、康が俺のほうを向いて、パチンとウインクを飛ばしてきた。……ったくもう、結局、俺は康には、かなわないよ。そう思って口の端だけで笑った。
早いところ、この拷問から抜け出して、康を攫いに行かなければ。
────
「康、ありがとう。まさかこんなに手伝ってもらえるなんて思わなかった」
食事会で出た料理やドリンクを、キッチンで片付けていると、後ろからリサが声をかけてきた。
「いや、部屋にいてもやることなかったし。食事会をちょっと覗けて楽しかったよ」
振り返って、そう言うと
「お客さまなのに、康って変だね」と言われた。
さっきキッチンに飲み物を取りに行った時に、ちょうど人手が足りなくててんやわんやしていて。制服みたいな服装だった俺を新入りだと思い込んだ人たちが、手伝ってもらおうぜと言い始めたんだった。リサが慌てて、この人はお客様だからと訂正しそうになったが、俺がそれを止めた。あの部屋に一人きりで戻っても、やることはない。恐らくジョシュアもあの部屋には来ないだろうし、それなら体を動かしていたほうがマシだと思ったんだ。
「ねぇ、さっきの食事会の部屋、焦げ臭くなかった?」
「えっ??どうして?そんな匂いしなかったわよ」
空いたワインの瓶を回収してくれと言われ、食事会の会場に一歩、足を踏み入れた時から、異様な焦げ臭さを感じたんだ。それもボヤって感じではなく、そこらじゅうから着火寸前のような匂いがしたんだけれど。この匂いは、何なんだろう……。
少しボーっと考え込んでいると、急に後ろから抱き締められた。
「うわっ、どうしたんだよ、リサ?」
振り返ると、すごーく不機嫌そうなジョシュアがいた。
「…あ、ジョシュアか…」
「なんだよ、それ。俺じゃ嫌だったわけ?てかリサって誰?」
「さっき俺たちに紅茶を入れてくれたメイドさんだよ。色々と教えてくれたんだよ」
「…ふーん」
すごく面白くないという顔をしているね、ジョシュアは。
「てか、ジョシュアが置いてったんだろ、俺のこと。暇すぎて手伝ってただけだから。それより、おじいさんからもう解放されたの?」
「なんとかな……あぁ〜疲れたよ」
「ふふ、お疲れ様」
「なぁ、早く部屋に行こう」
「ジョシュアの部屋ってどこなんだ?」
「え……康はまだ部屋に行ってないのか?」
「ジョシュア様、すみません。康様は別の部屋と言われまして……」
横にいたリサが、おずおずと言うと、ジョシュアの片眉がピクリと上がった。
「ふーん、まぁいいや、じゃあ俺たちの部屋に案内してくれる?」
────
そうしてリサに案内されたジョシュアの部屋は、なんと言うか……うん、貴賓室?って感じの所だった。当たり前だけど、俺の使用人部屋とは対極にあって笑ってしまう。
「なーに、笑ってんの」
「いや、何でもないよ」
俺がそう答えると、ジョシュアがゆっくりと俺に口づけてきた。ちゅっちゅっと角度を変えながらついばまれる。
「…ん……っ……んぁっ……」
どんどん激しくなるので、思わず両手をジョシュアの首の後ろに回した。
「……はぁっ、αの奴らばっかりの所に一人で康を残してしまったのが、本当に嫌だった。しっっかり消毒するからな」
謎の宣言をすると、ジョシュアは俺を抱き締める力をより一層込めた。
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