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花咲かずの呪符②

 呪符を見つけた三番弟子・皓思(ハオスー)の案内で件の呪符が埋まっている御神木の元まで最短距離で来ることができた。  森の奥深くに御神木はあり、正しい道順で行かなければ辿り着けない迷いの陣が張られている。  近くに村があるが、ここら一帯に人の気配は感じられなかった。虫や動物の声すら聞こえない。風に揺り動かされる緑のささめきくらいだ。 「君のおかげで早く来ることができました。ありがとうございます」 「い、いえっ! 未熟な僕に、できることは少ないですから……」  白い頬は赤くした皓思(ハオスー)だったが、すぐに気を取り直して、御神木のある方向を指差した。 「僕が案内できるのは此処までです。美仙様に、近寄ったらいけないと言われてしまったので」  その近寄ったらいけない場所に、今から私たちは赴くのだけど。憶測だが、美神仙は弟子たちを危険な目に合わせたくなかったのだろう。だから楼閣から五里以内――美神仙の目と力が届く範囲しか捜索をしなかった。  皓思(ハオスー)は、蓮雨(リェンユー)たちが追い出された後、こっそりと声をかけてきたのだ。案内をしてくれたのも、皓思(ハオスー)の独断だろう。頭を下げ、立ち去って行った少年が楼閣に帰った後、美神仙に怒られなければいいが。 「ふふ、禍々しい瘴気だな」 「……私には、何も感じませんが」  首を傾げて、目を凝らすが蓮雨(リェンユー)には至って普通の森にしか見えなかった。花仙の目には、別のモノが視えているのだろうか。  見えないどころか、悪い気すら感じない。本当に瘴気が漂っているのか? 花仙が私を怖がらせようとしているのでは?  疑惑の目で花仙を見るも、むしろ心配の色を乗せた瞳で顔を覗きこまれてしまう。両頬を大きなごつごつした手で挟まれて、グイッと無理やり上を向かされる。気がかりでもあるのか、鼻先が触れ合う距離で蒼い瞳を覗き込まれた。蜂蜜色と、蒼色が混ざると緑色になるのだと気づく。  もし、皓思(ハオスー)がまだここに居たら、見たらいけないものを見てしまったと顔を両手で覆っていた。 「正常だな。邪鬼が目に隠れているわけでもないし、霊力も巡っている。むしろ潤沢なくらいだ」 「あの、」 「瘴気だけ視えないのか?」 「……至って普通の森にしか私には見えません」  豊かな緑が生い茂る普通の森だ。生きているものたちの声が聞こえないからか、寂しい印象を与えている。  邪鬼や怨霊の類は、厳重な護りと浄化の結界が敷かれた後宮に入ってくることは出来ない。結界陣の穴をついて入ってきたとしても、すぐに城お抱えの道士に見つかって祓除されてしまう。  この華蝶国で最も清浄な場で生まれ育ち、目が邪気や瘴気に慣れていないのだろうとひとり納得した花仙は、蒼い瞳を目蓋の上から柔く撫でた。できることなら、こんな悍ましいものなど見ないで過ごしてほしいと思いながら。ささやかな加護をかける。 「」  かすかに、目蓋の裏が熱くなった。 「あの、何を?」 「加護を与えただけさ。瀕死の重傷くらいなら一度は救ってくれる。視えないとは言っても影響を受けないわけじゃない。下手をしたら、触れただけで皮膚や肉が溶けるものもある。……見えなくて正解だったかもしれないな」  花神仙の加護!  思わずパッと目を見開くと、思いのほか近い距離に花仙の顔があった。驚きの声を上げそうになるのを寸でのところで飲みこんで、眉頭に力を入れる。  この男、いちいち距離が近くないだろうか。神仙とはみんなこうなのだろうか。思い返せば美神仙もやたら距離が近かった気がする。人と触れ合わなさ過ぎて距離感が可笑しくなっているのだろう。人が嫌い、と言うわりには友好的だし、いまいち花神仙のことがわからなかった。  ――人と関わりを持ってこなかったのは、蓮雨(リェンユー)にも言えることだった。狭い毒花の箱庭で、母と、母の側付きと、自身の専属の侍従だけ。とてもとても狭くて、小さな世界だった。ちっぽけな箱庭で蓮雨(リェンユー)は満足していたのに。急に外に放り出されたってどうしたらいいかわからない。母の元へ帰るために、蓮雨(リェンユー)は花仙に縋るしかできないんだ。  仙道や仙術に関してだって、母が教えてくれたこと以外は全て独学で、基礎は分からないし、邪気というのもわからない。あの、楼閣で襲ってきた邪鬼憑きの獣くらいわかりやすかったら見分けがつくのに、それ以外は生者なのか死者なのかすらわからなかった。 「さて、そろそろ呪符の浄化に行こうか」 「村のほうは?」 「そちらは美仙(アイツ)がなんとかするだろ。自分の管轄なんだから、それくらいするさ。それに、他所の縄張りであまり目立つ行動も良くない」  華蝶国は紫州王都皇陽(こうよう)を中心に、五つの州に分かれている。  黒州、黄州、紅州、白州、藍州は、それぞれの州と同じ色の名を冠する貴族が治めており、彼らを五大彩家と呼んだ。――というのも数十年前で、現在は白州・白家と黒州・黒家は衰退の一途をたどっており、三大彩家となってしまっている。  白家と黒家の変わりに州を治めているのが、五大彩家と同等の権力を持つ、五大仙家のうちの金仙家と華仙家である。  朝廷を悩ませるのは、いつだって貴族と仙家の小競り合いだった。仙家は力がありながら救済をしない貴族たちを厭うており、逆に貴族たちはまるで力を誇示して見せびらかす大道芸人のようだと仙家を見下していた。つまるところ、貴族と仙家の仲は非常に悪い。  年に一度行われる有力権者たちで行われるは、大体いつも殴り合いの喧嘩になってお開きだ。お食事会に皇帝はもちろん、その妻と子供たちも参加する。しかし、たったの一度しか、母と蓮雨(リェンユー)は参加をしたことがなかった。否、正妃と他の妃たちによって、参加させてもらえなかったのだ。  成人する年に参加をしたが、とても言葉で表せないほど酷い有様だったのを今でも覚えている。盆が飛んで、料理が飛んで、酒は宙を舞い頭からかぶり、見目麗しい貴人たちが髪を衣を引っ張り合って罵り殴り合っているのだ。人とはこうも無様な醜態をさらせるのかとドン引きした。  仲の良い一族同士は穏やかに話をしているのだが、一歩席順を間違えると大惨事だ。どうして毎年毎年ああして喧嘩をするのに開催するんだろうか。  御神木は、ここら一帯の護樹であったようで、周囲の木々よりも頭一つ分、それ以上に大きな背だった。一年中花を咲かす、狂い咲きの花木だったが、いつの頃からか花を減らし、今では葉が数枚しか残っていない。四方八方へ伸びた枝は表面がひび割れて潤いがない。まるで死を待つ老人のようだった。 「――可哀想に。随分と蝕まれているな」 「呪符に、ですか?」 「嗚呼。どれだけの呪詛を詰め込んだのか、これだけ大きな霊樹をここまで追い込むなんて並大抵の術氏じゃあできないことだぜ」  花仙の目には、きっと違う景色が映っている。痛ましい表情で朽ち枯れる直前の大樹を見上げていた。 「どうにかできるんですか?」 「あたりまえだろう。この俺を誰だと思ってる?」 「…………花咲かせの花神仙様」 「その通り。ま、こんだけ大きな霊樹だと、しばらくは回復するための時間を置かなくちゃいけないけど、また満開の花を咲かせられるようになるさ。自然な老いじゃなく、病を患ったってんなら、それを治してやればいいんだから」  大樹の周りをぐるりと一周した花仙は、そこらへんに落ちていた木の棒を拾うと蓮雨(リェンユー)に手渡してきた。「ここを掘れ」と出された指示に大人しく従う。至極当たり前に手渡されたそれで石ころをどかして地面を掘り起こしながら、目当ての物が出てきた頃に「なんで私が掘らなきゃいけないんだ?」と首を傾げた。 

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