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花咲かずの呪符③
掘った穴は、手首まで埋まってしまうくらいの深さになった。大樹と蓮雨 の影で穴の中は不思議と真っ暗だった。
じっと穴の中を覗いて、なんとなしにそっと穴の中に手を差し伸べた。触れただけで皮膚や肉が溶けてしまう、と言った花仙の言葉を忘れたわけじゃない。ただなんとなく、手を入れたくなったのだ。
「小花 ? 呪符はあったか?」
その瞬間。全身を冷たい何かに包まれる。
「――っ!!」
絶望。悲鳴。悲哀。懺悔。後悔。恐怖――悪意溢れる感情が全身を通り抜け、ざぁっと、血の気が下がり、ふらりと体が傾げた。
「小花 !?」
「ぁ――いえ、なんでも、ありません。呪符……ありました。これですよね」
大樹に手をついて体を支え、慌てた様子で駆け寄ってくる花仙に気づかれる前に穴から手を抜いた。土埃で汚れた手を払い、立ち上がる。場所を譲れば、小さな穴を覗く花仙。
茶色に変色した札が半分ほど土に埋まった状態で姿を見せていた。書かれている文字は到底理解できない。蓮雨 には子供の落書きにしか見えなかったが、花仙はしっかりと書かれている呪文の意味を理解した。
元々は真っ白だっただろうお札は劣化と土埃で汚れており、呪文は朱墨で書かれている。――否、ドス黒く変色した文字からは禍々しい瘴気が放たれており、それは朱墨などではなく人の血で描かれていた。
気軽に手を伸ばし、汚いモノに触れるかのように爪先で呪符を抓み上げた。触れると危ないと言ったのは自分なのに、触って大丈夫なのか!?
ギョッとして手を伸ばしかけたが、札を持ち上げる爪先からシュウシュウと煙が上がっていた。目を凝らして見るが、怪我をしている様子はない。花仙の指先ではなく、清廉な仙気に触れた呪符が邪気を浄化されているのだ。
「……純粋な悪意だな」
「なんと書いてあるのですか?」
「枯れろ」
「え、たった、それだけ?」
「至極単純明快だろう。複雑な術よりもずっと強力で凶悪だ」
なんとなくわかる気がした。端的な話、「バレないように暗殺をして、全てを隠蔽しろ」よりも「殺せ」と言った方がずっとわかりやすい。
言霊とは、短ければ短いほど、そして目的がはっきりしているほど呪 としての効果を発揮する。
呪符の製作者はよほど強い恨みを抱いているのだろう。それは花に対してなのか、国に対してなのかは今の段階では謎だった。
「この呪符をきちんと処分して、場を清め浄化すればまた花は咲くようになる」
花が咲く、と聞いて安堵の息を漏らす。
たった一枚の呪符を破ったところで、国全体の花が咲くとは思えなかった。
「さっさと済ませてしまおう。小花 、浄化の術はやったことはある?」
「いえ」
「では、できる?」
首を横に振り、できないと答える。浄化をするには、対象物の邪気や瘴気を上回る仙気や霊力がなければならない。蓮雨 は仙術を使えるが、基礎を学び、修士や道士たちのように修行をしたわけではないので霊力はそれほど高くないと自負していた。ただ術を使えることだけでも十分に凄いことなのに、蓮雨 は決して自身の力を驕らなかった。
母はとても優しかったが、他の皇子たちに負けることを決して許さなかった。力で敵わないのならば、その美しさで他を圧倒し、その賢さで言い包めてやりなさい。
八面玲瓏とし、十善十美であることを求められた。戦うための剣ではなく、舞うための剣。雉を狩るための弓ではなく、扇を射るための弓。花を愛で歌を詠み、楽を奏でる。皇子と言うよりも皇女のようだったが、母が嬉しそうに笑うから全部どうでもよかった。
霊力が高まり、仙人へと近づくと、人は体の老いを止め、美しさにいっそう磨きがかかる。体からあふれ出る仙気が、全てを磨いてくれるからだ。蓮雨 は母譲りの美貌であるのだろうが、自身で気づいていないがその霊力によって容姿に磨きがかかっている。
手順や知識をきちんと学べば、この呪符だって簡単に浄化できるだろう。呪符どころか、この瘴気に侵食された土地だって浄化できる、というのが花仙の見立てだった。
ただ手元に置いておくだけではもったいない宝石の原石だ。研磨し、整え学びを授けてやる。弟子は取らない主義だったが、手ほどきくらいならしてやってもいい。
「しっかり見ていること。仙気の流れを目で見て覚えろ」
しっとりと浮かべられた花の笑みにドキリ、と心臓が嫌な音を立てる。
見て、覚えて、それでどうしろと。
「――リェンユー」
ぐ、と喉奥で息が詰まった。今の今まで「小花 」とかふざけたあだ名でしか呼んで来なかったのに、今になってどうして名前を呼ぶんだ。目を反らすことを咎めるように、目の前に一振りの剣が翳される。
「恋雨 は、この剣の名前だ。いい名だろう?」
細やかな装飾の施された美しい剣。鞘から抜かれた剣の刀身は穢れを知らない純白で、とても細身で華奢、まるで鍼のようにも見える。柄の先からは赤い飾り紐がひらひらと風とともに流れ、唯一の鮮明な色につい目で追ってしまう。
繊細な美術品のような剣で邪気が斬れるとは思えない。むしろ、舞などのほうが映えそうな剣だった。
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