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宇佐見 -3
いつもと変わらない風景、いつもと同じ仕事。多少の変動はあるものの、基本、オレの作業は変わらない。
そんな毎日の中で、ひとつだけ変わったことがある。宇佐見さんだ。この頃よく宇佐見さんを見かけるようになった気がする。気がするだけで実際は、すれ違ったり、同じフロアにいたことはあったと思うんだ。
でも、あの日を境にオレは宇佐見さんを意識するようになっていた。
昼休み、社食からの帰りに、前を歩いている宇佐見さんを見かけた。そしてふと思う。
宇佐見さんてゲイなんだろうか?
スグルママの店の常連だって言ってたけど……。
でもあの店の客全員がゲイってワケじゃないとも言ってたし。
気にしないようにしてるけど、なんか気になる……。
そんなカンジでオレは、ここ数日を過ごしていた。
終業間際に急ぎの仕事をお願いされ、久しぶりに残業することになった。
オレの部署は、月末月初は忙しいものの、月半ばはほとんど定時で帰るのが通常だ。
実はオレ、残業は大好きだったりする。仕事が好きってワケじゃなくて、残業代目当てなんだけど……。もちろん不要な残業はしないよ。バレた時の部長が怖すぎるし、実際それで怒られてる先輩を見かけたこともあるし。そしてオレはまだ死にたくない。だって、あのとき笑いながら怒る部長の背中から、たしかにどす黒いオーラが見えたもの。くわばらくわばら。
マジメに残業を終え、会社を出て歩いていると、後ろから声をかけられた。
「間宮! 珍しいな、こんな時間まで残業か!」
「宇佐見さん、お疲れ様です!」
「お疲れ~。おしっ、折角だからメシ付き合え!」
あっさりと軽いノリで、居酒屋に連れていかれたオレ。どうやら宇佐見さんの中では、『メシ=飲み』なんだと、脳内変換しておく。
きっと時間的に見て偶然なんだろうけど、宇佐見さんに誘われて、オレの心はちょっとはしゃいでいたと思う。
居酒屋ではお互いの趣味の話をした。宇佐見さんはボクシングをやっているそうだ。
「ボクシングって、かなりハードなんじゃないんですか?」
「マジメにやったら超ハード。でも最近はランニングくらいでジムにも行ってない。その状態で趣味って言えるかって話だけどな」
それから宇佐見さんはニヤリとして、こんな話をしてくれた。
「総務部長の瀬川さん、俺と同じジムだよ。
最近じゃ、ダイエット目的でボクシングを始める女性は多いけど、あの人の場合『気に食わないヤツをぶっとばす』為に始めたんだってさ。今でもマジメに通ってるみたいだし、女性にしてはパンチ力強いんだよな―。間宮も何かヘマしたら、瀬川さんにぶっとばされるかもな」
そう言って屈託なく笑う宇佐見さんの笑顔に、おれはまたドキドキしてしまった。
その後もちょくちょく宇佐見さんと食事に行くことが増えた。
社内メールで、『メシ付き合え』ってのが飛んでくる。向こうは深い意味もなく誘ってくれてるんだと思うけど、誘われたその日は、気持ちがウキウキしてしまう。
行くのはほとんど定食屋だ。酒は無し。一度だけ瓶ビールを二人で飲んだことがあったくらいだ。注文したメニューが出てくるのを待つ間、宇佐見さんとくだらない話をする。たったそれだけ。でも、何か楽しいんだ。
「最近、企画課の宇佐見と、よくつるんでるようだな」
ある日、瀬川部長が話しかけてきた。
そんな話題が出るってことは、何回か見かけたってことなのかな。
そしてその言葉に、フロアにいた女子社員が食いついてきた。
「宇佐見さんて、背高いし、かっこいいよねー。彼女いるのかしら?」
「いるってウワサは聞かないわよー」
「え―、じゃあ、アタックしたらチャンスあるかも?」
「ムリムリッ。かっこ良すぎて、一緒に並んだら悲しくなっちゃうワよ」
「間宮クーン、今度宇佐見さんに会ったら、好きな女性のタイプ聞いておいてよ!」
えっ、オレ?
隣の席の和田さん。表情はにこやかだけど、目が笑ってない……。その笑ってない目が、絶対に聞いておけって伝えてきてるような気がする……。
そんなこんなで、オレは3週間ぶりに、宇佐見さんと晩メシに来ていた。
ここんところ、かなり仕事が忙しかったらしい。別に待っていたわけではないが、宇佐見さんからの『メシ付き合え』メールがこない日が続いて、少しだけ寂しかったような気がする。
久しぶりに見たそのメールは、かなり嬉しかった。
今日来たのは洋食屋だ。オレの方からリクエストしてみた。
「しかし食うねぇ。いくら運動してるからって、さすがにそれは食いすぎじゃねぇの?」
大盛りナポリタンと、ダブルハンバーグを注文したオレ。それを見て、宇佐見さんが呆れていた。そんな宇佐見さんは、チキンのトマト煮込みセットだ。そっちも旨そうだな。
「明日は自転車で峠を上ろうと思ってるんで、今のうちにエネルギーを蓄えておこうと思って」
「へぇ~、前の日に食うのと食わないのとじゃ、かなり違うんか?」
「違うと思います。って、実際のところは分からないんですけど、自分で勝手にそう思ってるって言うか……」
「あはは、何だそりゃ」
その後オレは、明日の目的地を宇佐見さんに話した。
明日オレが行くのは、自宅から100kmちょいの山の中腹にある場所だ。そこは駐車場になっていて、登山目的の人は、そこに車を止めて山に入って行くらしい。
「そんなに走るんか? マジで? それって車の距離じゃん」
「もちろん走るんです。マジです。マジメに自転車乗ってる人は、ちょくちょくこれくらいの距離走ってますよ。……じゃあ、証拠として写真撮ってきます。そこからの景色が証拠ですから」
「おう、楽しみにしてる。つか、嘘かどうかリアルタイムで確認してやる。着いたら即行メールで送れや」
そしてオレたちは、スマホの番号と、メールアドレスの交換をした。
今までよりも少しだけ、宇佐見さんと親しくなれたような気がして、嬉しかった。
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