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第7話
問題の一夜から一ヶ月が経ち、とうとう石田の挙動不審はピークに達した。心配した橋本が亜弓に相談してくるくらいなのだから、その様子はもう相当なものだった。
「昨日も落ち込んだ様子でため息ついてて。何か心配事でもあるのかしら」
「はあ…」
「別にあの年頃だもの、悩むなとは言わないけど、心配なのは誤調なのよぅ」
「そうですねぇ」
「だから調剤関係はなるべく柴崎さんに頼むようにしてるんだけど」
「なるほど、最近俺妙に忙しいです」
「我慢してくださいよ、患者さんのためなんですから」
「はあ」
覇気のない返事をした亜弓が、少し離れたところで処方箋の整理をしている石田を見やる。お世辞にも元気があるとは言えない。時折その手が止まり、肩が深く落ちる。
推察できる事情を橋本に説明するわけにはいかないのだが、見かねて亜弓は石田の背中を叩いた。
「あ…柴崎さん」
「お前、大丈夫か?」
「え。何がですか」
ため息をつきたいのはこっちの方だ、と亜弓は思った。
どうしてもしらを切りたいというならそれでもいいが、とりあえず自分の仕事がこれ以上増えるのはかなわない。疲れて帰ったら帰ったで、中村の相手をしなければならないのだ。体力負けする。
「あのさ。俺が言うべきことでもないとは思うんだけどさ。お前、もう一回秀明とちゃんと会ってきた方がいいんじゃないか?」
「え……」
言うと、石田の目がうろうろと彷徨う。
「勝手な推察に過ぎないんだけど、なんとなく、お前が悩んでることもわかるような気がするし。飲み会やった後何があったかも、この前秀明が病院の前で待ってた理由もよくは分からないけど、あれからお前、明らかに元気ないよ」
石田は視線を落としてくちびるを噛んだ。
「…すいません、心配かけて」
心配よりは迷惑なのだが、落ち込んでいる相手にそこまでは言わない。
「お前、秀明の連絡先知ってる?」
「あ、知ってますけど……」
この間携帯のメモリに彼の携帯の番号が入っていることに気づいた。けれど、かけたことはない。かけられるはずもない。
「でも、俺が仕事終わった頃には向こうが仕事中やないですか。会う時間ないですよ」
本気で会う気さえあれば理由にならないことを言い訳にした石田に呆れて、亜弓はデスクの上のメモ帳とボールペンを取った。さらさらと書き付けてゆく。
「これ、秀明の仕事場。客として行けば会えるから」
「でも柴崎さん」
「いいから行ってこい」
「…はい」
滅多に命令口調では喋らない亜弓に押し付けるように言われ、おとなしく石田はメモを受け取った。
「考えて答えが出るなら一生考えてろよ」
「……」
「一人で答えが出せないなら、相手と話すより他にないだろ」
それを亜弓に教えたのは秀明だった。その秀明と石田が以前の自分と同じようなことをしているのが、亜弓にはもどかしい。
「んで、秀明に言っとけ。人のことなら大口叩けて、自分のことは避けて通るのかってな」
「何ですか、それ?」
「言えばわかる」
鼻から息を噴きながら、亜弓は白衣の襟を正した。さぁてお前の分の仕事まで頑張りますかね、などと憎まれ口を叩きながら調剤室へ消えてゆく。
石田は渡されたメモをポケットにしまった。
それ以上亜弓を怒らせたくはなかったので、その日のうちに石田は秀明の仕事場へ行くことにした。
石田が来たとき、秀明はちょうど休憩中で、店の裏で一服していた。そこへ店長から声がかかる。
「秀ー、お前に客」
「はい? 誰っすか」
「知らね。なんかかーわいらしい男の子だよ。またお前どっかで引っ掛けたのか」
「かわいらしい男の子ぉ? やめてくださいよ、俺最近なんもしてないですよ」
煙草を消して店に戻ると、まずそこにあった石田の姿に驚いた。
「…淳」
石田ははにかんだように笑っている。
「びっくりしたわ。店に入ったとたん、ご予約のないお客様はお断りしておりますーとか言われんねんもん。取り次いでもらえてよかった」
「どうして」
「ごめん、俺は店まで来る気はなかったんやけど。…似合てるな、それ」
勤務中の秀明は、ヘロヘロに伸びっぱなした髪を後ろに流してセットし、いかにもバーテン、という制服を着ている。それを似合っていると言われ、秀明は少し気恥ずかしくなった。
「…あのな。俺お前とちゃんと話したいんやけど、今忙しいか」
あー、と口を開いて、秀明はそわそわと頭を掻いた。
「今は休憩中だけど、もう終わるし、これから忙しくなる時間帯なんだよな」
「そか。ならええわ。帰る」
「あああああ、待って待って」
ちょっとここで待っていろと合図して、秀明は店の奥に走っていった。すぐまた戻ってきて、石田に鍵を渡す。
「俺の部屋、覚えてる?」
「あ、うん」
「すごい、悪いんだけど。部屋で待っててくんない?」
「え…」
石田はてのひらに乗った金属片を握りこむことをためらった。秀明は目を伏せる。
「ずっと、俺も会いたかった。声聞きたかったし――ちゃんと話したくて。せっかく来てくれたんだもん、今日話したい」
「…うん」
「遅くなるから、ほんとに悪いんだけど。どれだけ急いでも、二時過ぎくらいになると」
「ん、わかった。待ってる」
石田は微笑んで伸ばしていた指を握りこんだ。それを見た秀明も、安心したように笑みを浮かべた。
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