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第9話
定刻に出勤し、大あくびをしながら白衣を着ているところへ亜弓が来た。
「朝っぱらから眠そうだな。大丈夫か?」
「はあ、おはようございます」
夜中に話し込んでいたので寝不足だ。根性で朝起きたとき、床に敷いた布団で秀明はまだ眠っていた。起こさないよう、物音を立てずに部屋を出てきたのだが。
「柴崎さん。俺昨日、佐野と会ってきました」
亜弓もロッカーを開けて白衣を取り出す。
「あ、ほんと。会えた? …ってお前、」
「はい?」
「昨日と服同じじゃねえの、それ」
「え。ああ、遅なったんで、そのままあいつの部屋に泊めてもらったんです」
「え!? それって」
やっちゃったってこと? とまではさすがに訊けない。
「つき合うことになったの、秀明と」
「は? なんでですの」
意気込んだ亜弓に間の抜けた顔で石田が問い返す。
「あれ。まだそーゆー話にはなってないのか」
「まだて。いつそーゆー話になるて言わはるんですか」
「俺としてはもうその予定だったんだけどなぁ。昨日会って何話してきたの」
もどかしげに訊かれて、言葉に詰まる。柴崎さんへの失恋話をしてました、とも言えない。
それに、肝心な話はできなかった。石田が気になって仕方なかった、秀明の売りの訳。そして、あの夜に自分が秀明に何を言ったのか。
…しかし考えてもみれば、そんな話をして一体自分はどうしようとしていたのだろう。秀明の過去を気にして、済んだ夜を蒸し返して。
あの夜をなかったことにしたいのなら、とっとと忘れて秀明のことも気にしなければいいようなものを、まるで今自分がしていることは、秀明とのことを忘れまいと記憶に刷り込む作業のようだ。
……そう。本当はわかっている。石田は忘れたくないのだ。自分を慰めるために抱いたのだと言った秀明を、そしてひどく悲しげだった彼の微笑を。
だがそれを記憶に留めて何がしたいのかという話になると、石田は惑う。秀明のことを許しているのかどうかも、今はわからない。
ただ――昨日はとても悲しかった。
「…柴崎さん」
「ん?」
二人とも白衣は着終わっているのに、なんとなく立ち去れないでいる。
「たぶん俺、佐野に嫌われとるんですわ」
「なんで」
全く意外だ、という顔で亜弓が目を瞠る。
「俺ね。昨日佐野に、なんで売りやっとったんか訊いたんです。でも、俺には言いたくないって言われたんです」
「うそ。だってあいつ、誰にでもけっこう臆面もなくヘラヘラ喋るぞ。今のバイト先の店長にも、面接でばらしてそのあけすけさが気に入られたんだとか言ってたし」
「せやからなおさらですよ。他の誰にでも話せて、俺には話したないなんて、相当俺のこと嫌いやていうことでしょ。…当たり前やんな、俺、一方的にひどいこと言いまくったんやもん」
「何かあったのか、お前ら」
「…べつに」
「あれか。飲み会の後か。翌日欠勤した時からおかしいとは思ってたけど、やっぱりあいつ何か」
「何もあれしませんってば!」
俯いたまま遮った石田が、ふと目元をこすった。その様子に亜弓は目を眇めた。似たような状況を思い出し、思わず笑い出しそうになる。
「…なぁ、石田」
「あ、はい」
「今日俺、秀明に電話していいか」
「いいかて…俺に許可とるようなことやないでしょう」
「んー、まあな。じゃあとりあえず、俺が話してみるから待ってろな」
「え?」
「な」
「は…はい」
念を押されて思わず頷いてしまったが、何を待てと言われたのか、石田にはさっぱりわからなかった。
そしてなぜだかその日は、亜弓にメチャクチャこき使われた。
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