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第11話

 固い床に座り込んだまま秀明は、煙草の火がフィルターを焼きそうになっているのに気づいて灰皿を引き寄せた。  終わらせてしまった。自分で。  石田のことを好きなのだと、口に出して認めずにいれば、進展はなくともずるずると、いつまでも石田と接点を持っていられるような気がしていた。けれど、もう認めてしまった。この手で終わらせてしまった。  沈んでいく気分を拾い上げられない。仕方ない、それも自分のせいだ。手に入れられないとわかっていて、憧れてしまった。とうの昔に諦めたこと。ぬくもりは、いつも自分から遠いところにある。  身の程をわきまえてさえいれば、この世に悲しむことなど何もない。  振り切るように、秀明はバスルームへ行き、シャワーを浴びた。どれだけ身ぎれいにしたところで別の自分になれないことはわかっているが、気分を切り替えるためにシャワーを浴びるのが、秀明は昔から好きだった。  そしてバスルームを出てタオルで髪を乾かしながら煙草に手を伸ばそうとしたところで、ドアベルが鳴った。その後ろで、玄関側の路地を排気量の大きな車が発進する音が聞こえた。 「はーい、どちらさん…」  言いながら内鍵をあけてドアを開け、言葉が喉に消えた。  白い頬をした石田がそこに立っていた。 「あ…の」  上着の裾を握り締めて、石田は視線を俯ける。 「さっきまで俺、柴崎さんちにおってん。で、一臣が…車でここまで送ってくれて…柴崎さんがどうしても行けて言うたから……」  語尾に向かって声が小さくなってゆく。あの二人に謀られたことを確信して、秀明は所在無く髪をかき上げた。 「…き、聞いてた、さっきの電話?」  俯いた頭が小さく頷くのを見て、秀明は小さく息をついた。この、どこまでも気遣いが細やかで律儀な男は、一体どんな慰めを言いに来たのか。 「えーと…あの、とりあえず上がるか? せっかく来たんだし」  石田を部屋の中に招き入れてドアを閉め、部屋の奥に入ろうと踵を返したところで、その背中に石田の指が触れた。 「なに…」 「そのままで聞いてくれ」  そう言われ、石田に背を向けたまま秀明は固まった。 「あのな。二つ言うとくな。…まず柴崎さんの推測は当たっとるし…さっきお前が言うたみたいに、俺はお前じゃあかんなんて思ってへんから」 「…え、俺の声まで聞こえてた?」 「え、ああ…さっき柴崎さん、ハンズフリー通話してはったで。それでお前の声も聞かせてくれとってん。会話は俺も一臣も聞いてたで」 「…~っ、あいつらっ…」  完璧にはめられたことへ拳を震わせた秀明に、背後で石田がくすっと笑みを漏らす。 「ほんま、あの人らには勝たれへんで。あてられてばっかりやしな」  クスクスと笑っている石田の声に落ち着きを取り戻し、秀明は石田がついさっき口にした言葉を思い出した。 「なあ……亜弓の推測が当たってるって」 「ん?」 「それ、俺のことが、好き…ってこと?」 「……」  探るような声に、石田の眉が歪む。また拒絶されたのだと判断し、背中に触れたままだった指を離す。 「迷惑やったらべつにええねん。お前から見たら俺なんか全然お子様やろし。そんなんにつき合うとれんのやったら……俺のこと好き言うてくれただけで、もうええねん。忘れてほしいんやったら忘れるから」  指先に続いて、気配までが秀明から離れていこうとする。  そのままで聞けと言われたが、石田がドアノブに手をかけたとき、堪えきれず秀明は振り返って石田を後ろから抱き締めた。長めの黒髪に鼻先を埋めると、石田はひくりと息を詰めた。  触れられないなどと、もう言えない。こんなに近くに来てくれた石田に、もう触れずにいることなんかできない。 「つき合おう。俺たち、ちゃんと」 「佐野…」  抱き締めた腕の中で、石田が肩を縮める。その分の隙間を作りたくなくて、秀明は更に腕に力をこめた。 「俺たちは違いすぎるから、幸せにしてやれるか自信はないけど。でも傍にいたい」  答えない石田に、繰り返す。 「つき合おう。…いやか?」 「……」  頼りなく訊いた秀明への返事の代わりに、石田は強張っていた体を脱力させ、秀明の腕に委ねた。  少し目を潤ませて、肩越しにそっと振り返る。その顎を親指で押し上げて仰向かせると、石田が目を閉じる。引き寄せられるように、口づけた。最初は優しく触れるだけ。しかしすぐに抑えられなくなって、深く舌を差し入れる。 「…んん」  息苦しさに石田が声をもらし、体を反転させる。向かい合わせになったところで、秀明の背に腕を回してきた。肩口に爪を立てる。  くちびるを離し、秀明は数歩で辿り着けるベッドへ、力を失った石田の体を導いた。横たえ、のしかかり、首筋に口づける。石田のシャツのボタンに秀明の手がかかった時、俄かに石田が身じろいだ。 「さ、佐野っ」 「ん?」  顔を上げると、紅潮して当惑の表情を浮かべた石田に出会った。 「お、俺な、こんな…初めてやねん。されてもええかなて、思うんは。…あの、お前は何も初めてなことないんやろし、ごめんな、俺なにも知らんから…その……」 「大丈夫だよ」  秀明は微笑んで、石田の耳元に顔を伏せ、耳朶を軽く噛んだ。 「アッ」  弾かれたように石田が声を上げる。感覚はひどく鋭敏だ。 「俺も、初めてなことあるよ」 「え……?」 「自分からつき合おうなんて言ったの、初めてだ」 「佐野…」  何を言っていいかわからず、石田は情けない顔になる。眉を歪めたまま目を閉じ、シャツの前を開いてゆく秀明の指を感じる。  …と、四つ目のボタンを外しかけたところで、不意に秀明の動きが止まった。 「佐野…?」  目を開けると、秀明は何かに囚われたように苦しげな顔で石田を見つめていた。すぐに石田の胸に顔を伏せて、表情を隠してしまう。 「本当に……俺がしてもいいのかな」  惑うように、秀明は呟いた。半分はだけた石田の胸に頬を押し当て、縋りつくように胴を抱き締める。その重みを感じながら、石田は秀明の髪に触れた。 「…何がそんなに不安なん?」  言葉は胸から直接鼓膜に響く。きっと、知っておいてもらわなければ抱けないのだろう、と思う。 「俺は…亜弓と同じなんだ」  石田はすぐに、秀明が自分には言いたくないと拒絶したことを話そうとしていることに気づいた。 「実の父親に、犯されてたんだ」  本当は、思い出すのもつらい。笑い飛ばせる状況の中でしか、口にしたことはない。そうでないと、昏い過去に囚われて、どこまでも引きずり込まれていってしまいそうで。 「聞いてくれる…?」  小さく問うた秀明に、石田は黙ったまま頷いた。

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