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第12話
秀明の父親は、どうしようもない人間だった。酔えば母親にも暴力を振るい、仕事も転々と変えた。
最初に秀明に手を出したのも、酔った勢いの気まぐれだった。夜遅くまで働いていた母親は、幼い体を引き裂かれて血まみれで気絶していた秀明を、慌てて病院へ連れて行った。
施された屈辱的な治療。直腸に塗りこまれた薬は、父親の精液と同じぬるみを持っていた。
そして、傷の癒えぬ間に行為は繰り返される。傷口は最後には膿んだ。
『こんなになってまで、きみは性交渉を好むのか』
下卑た笑いを浮かべた医師は、催淫剤を用いて強引に秀明と関係を持った。父親の暴力に耐え、必死で働いている母に、病院でのことは言い出せなかった。
やがて母親は離婚を決意した。秀明に何度も謝った。秀明も、それで全てから解放されると思っていた。
けれど、慣らされた体は言うことを聞かなかった。身の内から否応なくわき上がる欲望。誰かと触れ合っていなければ爆発しそうな不安と恐怖。制御不能な惑乱は、秀明を愛情の伴わない性関係へ駆り立てた。
「…それで、売りやっとったん?」
感情のない声が秀明の胸を抉る。
「やれたら誰でもよかったんや」
「…そうだよ」
それ以外に返す言葉がなかった。
「やっぱりいやになっただろ、俺に抱かれるなんて」
「……」
沈黙が一番こたえる。
「やめようか、こんなこと。もうここには来ない方がいい」
「阿呆」
石田の上から退こうとした時、そんな罵言とともに胸の上に頭を押さえつけられた。
「なんでお前ばっかりそんなつらい思いして、誰にも頼らんと我慢せなあかんねん。お前は柴崎さんのことも俺のことも慰めてくれたけど、誰がお前を慰めんねん」
「淳…」
石田の手を外させて、真意を問うように秀明は石田を見つめた。
「俺やと足りひんか、お前を慰めるには」
何があっても、石田は穢されないのだと、目を逸らさない彼の態度に、知る。
「やりたい時に俺のことやればええで。お前が他の奴とやるくらいやったら、俺はその方がええ」
浮かべた石田の微笑みも、伸ばしてきた指も、初めて抱いたあの夜と同じで。あの時も石田は、同時に秀明を慰めようともしてくれていたのだと、ようやく気づく。
だからあんなに夢中になって、溺れてしまったのだと。
「……ええで、楽になり」
遠いところにあるはずの指先が、涙の伝った秀明の頬に触れた。
「あーあ。でもほんとに淳が佐野くんを好きだったなんてなー」
亜弓の部屋のソファに寝そべりながら、中村が少し口を尖らす。
「なんで中村さん、そんな面白くなさそうに言うんですか。元恋人を秀明に取られたのがそんなに悔しい?」
そんなわけがないとわかっていて言う亜弓が憎たらしくて、横目で睨む。最近この恋人は少々生意気になってきたようだ。
「そうだって言ったらどうするの、亜弓は」
「言ったら? そうですねぇ。とりあえずここを引き払うのは取りやめですね」
「えー。それはダメ。亜弓は僕と暮らすのがいいんだから」
「…誰が決めたんですか」
「僕」
「はっは。中村さんって冗談がうまいから好きですよ、俺」
「…ねぇ。最近亜弓、かわいくない」
「だから俺にかわいさなんか求めないでくださいってば。三十一のおっさんに」
「あーあ~、かわいかった僕の亜弓はどこに行っちゃったんだろう…」
「もー。何拗ねてんですか。ほんとに秀明に取られたのが悔しいんですか?」
衣類をダンボールに詰める手を止めて、眉を寄せて振り返る。
「違うよバーカ。意地悪」
「意地悪って……」
三十歳にもなった大人がここまで幼児返りできれば立派なものだと思う。
ここのところずっとこんな調子で中村がわがままになっていくのは、やはり亜弓の甘やかしが過ぎるせいなのだろうか。こういう時必ず亜弓は、下手に出て中村を甘やかす。
「ごめんなさい、そんなんじゃないってわかってますから」
だから機嫌を直せと、自分から口づける。しかしそれだけで素直に機嫌を直してしまうのだから、実際は中村が亜弓の掌の上にいるのかもしれない。
「あのさ。淳には幸せになってもらいたいと思ってるんだよ、僕は。僕にはできなかったから」
中村が時々石田のことに執着するのはそういうことなのだろうと、亜弓は薄々感づいていた。中村の責任感も、時に呆れるほどだ。
「佐野くんは、淳を幸せにしてやってくれるかな」
「そうですねぇ。秀明もあれでいい加減な奴じゃないから、たぶん大丈夫だとは思いますけど」
言いながら亜弓は、中村の胸に頭を乗せた。
「…ね。とりあえずくっついた奴らはほっとくとして。中村さんは俺のこと、もっと幸せにしてくださいね」
にっこりと笑ってそんなことを囁くものだから、中村は亜弓のことがどうにもかわいくなって、抱き締めることしかできなくなってしまった。
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