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四、

10月の第2月曜日。いわゆるスポーツの日。 S市の三曲協会では、大きな演奏会が行われる。 箏、三絃、尺八の師匠もしくは、ある程度の実力持った弟子たちが参加する大きな演奏会だ。 当然、家元である詩乃も演奏するが、美弦も弟子として出演する。 今日がまさしくその日で、桔梗屋も、家元の御抱え楽器店として手伝いに来ている。 演奏会での楽器店の役割は、楽器の搬出入だけでなく、舞台のセッティングまで行わなければいけない。 つまり、着物を着ていて動きにくい先生方に代わって、楽器や譜見台等の付属品を舞台に並べて、スムーズに会を進めることが重要な仕事なのだ。 涼雅も、父親とこの日のために雇った大学生のバイトと共に、会場に来ていた。 そんな時、事件が起こった。 涼雅が舞台の帰りに、先生方の楽屋がある廊下を通りがかった時だった。 美弦の楽屋の前に、人集りが出来ていたのだ。 嫌な予感がして、そのうちの一人に訊いてみた。 「何か、あったんですか?」 「ぁ、桔梗屋さん。実は、美弦先生、一回目の演奏直後に、箏の糸が切れてしまいまして、代わりの箏をお出ししたんですが、鍵を掛けられて籠もってしまわれて……。様子を伺いたいのですが、心配で……」 「……解りました」 涼雅は、ジーンズの後ろポケットに挿していた進行表を抜き取って確認した。 美弦の次の演奏は、20分後だ。 「美弦? オレだ、涼雅だ。開けてくれ」 少し強めにノックしてみると、ゆっくり扉が開いた。 伏し目がちの美弦が、遠慮がちに涼雅を見上げた。 「……っ!! 美弦? 入っても良いか?」 美弦は、返事代わりに涼雅の手首を掴み、引き入れた。 「……糸が切れたことは聞いた。大丈夫か?」 美弦は、扉の鍵をかけると涼雅の方を見た。 その顔色は真っ青だ。 「代わりの箏、借りられたんだろ?」 楽屋には畳の小上がりがあって、そこに代わりの箏が置かれていた。 「何か問題あんのか?」 「……大あり」と、美弦は、小さな声で呟いた。 「実は、ボク……」と、吐露した内容は、おおよそ想像もつかないたことだった。 「ボク……、箏が変わると弾けないんだ」 「……は?」 「先生なんて、呼ばれてるけど、本当のボクはダメダメで、箏が変わっただけで弾けなくなるダメな人間なんだ」 涼雅の反応を見るのが怖い美弦は、早口でまくし立てた。 「美弦? 解ったから、まず落ち着け。 訊くが、自分の箏と代わりの箏の違いは何だ?」 「……木目だよ。ボク、木目で糸の位置覚えているから、変わっちゃうとダメなんだ。さっきから代替えの箏で覚えようとしてるけどダメなんだ。焦れば焦るほど……」 糸が切れた箏は、壁に立てかけてあった。 箏の糸は、三絃と違って、切れたからといって直ぐにかけ直すことは不可能だ。 箏は、13弦だが、13本ある訳ではなく、1本の糸なのだ。 涼雅は、「わかった」と、言うと、立てかけてある美弦の箏を見ながら、電話を1本かけた。 「オレは店に一旦戻るが、美弦は、気持ち作ってろ」 「え?」 「んな顔すんな。オレが必ず、何とかしてやるから」 「ボク、どんな顔してんの? でも……うん。待ってる」 「ぉ、おう」 涼雅は出て行き、10分程で戻ってきた。その肩には箏が乗っていた。 「店に置いてあった貸出用の箏から、似たような木目を見つけて持ってきた。どうだ?」 美弦は、急いで確認する。 「ああっ!イイ!イイよ! ありがとう!」 嬉しすぎて涼雅の首に抱きついた。 「……調弦は出来てねぇから」 「うん。それぐらいは出来るから大丈夫」 「おう。じゃ、外で待ってるから。声をかけてくれたら、オレが運ぶ」 「うん!」 涼雅の機転で、その後の演奏を無事終えることが出来た。 最後の演奏を終えて、舞台袖に戻ってきた美弦を涼雅は、抱きしめた。 「オマエ、凄ぇ。全然ダメダメじゃねぇよ。だから、もっと自信持て」 「うん」  「美弦が、ダメダメだったら、オレなんて、もっとダメダメだ。知ってんだろ?」 ぇ…?ぁ…… 「……昔……、彼女が絶えなかったこと? それとも、このタバコの匂いのこと?」 「……両方」 「ふふっ。でも、今回のことは涼雅のおかげだよ。ありがとう」 美弦は、涼雅の肩に、そっと手を添えた。 もう、気持ちを抑えられなくなっていた。

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