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ラブホテルにひとりでチェックインし、シャワーを浴びて待つ。
広すぎる洗面台に向かってぼーっと髪を乾かしながら、別にシャワーなんて浴びなくてよかったんじゃないか、と気づいた。
枠を買い取って寝かせてやろうと思っただけだし。
言い訳じみたことを考えていたところで、社用のスマホが鳴った。
ディスプレイには『本社販促課 篠山歩夢』――私用でこっちに掛けてくんな!
気まずく思いつつ電話に出る。
「あー……いまどこ?」
『4階に着きました。ドアを開けていただけると……』
相変わらずの、不安そうな声。
バスローブを着ていることを激しく後悔しながらドアを開けると、篠山はまさかの、スーツ姿だった。
「ご予約ありがとうご……」
「違う。違うんだ」
「え?」
キョトンとする篠山の腕を引っ張って、室内に入れる。
「きょうはヤんねーから。疲れてんのに出勤してんの見ていたたまれなくなって、寝た方がいいだろと思ったから呼んだんだ。だからきょうはなんも……」
「え……。けっこう楽しみにして来た、のですが……」
いきなりしゅんとされて、ドキッと心臓が跳ねる。
「早く会いたくて、急いで来たんです」
「はい?」
「いつもは絶対スーツは店に置いてきて、私服で行くことにしているのですが……相手は安西さんですし、朝まで一緒なら、スーツで来てしまった方がいいのかな、とか……」
そう言いながらみるみる赤くなっていく目の前の人物は、後輩社員でも、デリヘルのキャストでもなく。
なんか、新たな一面を見たかも?
「まあそれはご英断だな。スーツ取りに朝また店戻んの、めんどいだろ」
「……面倒だからとかでは、ないのですが。なるべく長く居たくて」
ぽつっとこぼして、軽くうつむく。
オレはあいまいに笑ってごまかしながら、浴室を指差した。
「とりあえず、風呂ってくれば? なんかリラックスみたいなバスボムあったから、とっといた」
「ひとりでバスボムを使うのは虚しいです。一緒に入りませんか」
「は!? いや、見てのとおり、もうシャワー浴びたし髪乾かし終えたとこだから。いや、浴びる前だったとしても一緒には入んねえな……あれ?」
篠山はぽかんとしたあと、口元に手を当てて、控えめに笑った。
「店のシャワーを浴びてから待機しているので、俺ももう済んでます」
「じゃあ、もう……寝るか?」
「ベッドインの意味でしたら」
「スリープだよ! 話聞け!」
なぜ客が必死で寝かしつけているのか。
若干のめまいを覚えつつ、ベッドに腰掛ける。
篠山は上着をハンガーに掛け、オレの横にそっと座った。
男ふたり分の体重でベッドが沈み、自然と体が傾く。
こてんと、頭が篠山の肩に当たった。
「……本当に、何もしないですか?」
「うん。だって、疲れてるだろ? オレが仕事振りすぎたから。北川に叱られた。篠山くんに頼りすぎ~、って」
「疲れてないですよ」
「ええ? じゃあなんで今週全然デリヘル出勤してな……あっ!」
しまった、失言だ……!
これじゃあまるで、出勤するのを逐一確認して待ってたみたいじゃないか。
慌てて訂正しようとすると、篠山はキュンとするような子犬顔で、オレの目を覗き込んでいた。
「見ててくれたんですか?」
「いやっ、違う! こんな働いてんのに副業もしてたらやばいかなとか気になってただけで!」
「今週入らなかったのは、他のキャストがいっぱい入ってたからです。みんなクリスマス前で、お金を工面しないと、と言ってたので」
「そ、そか……」
前にチラリと聞いたときにもそうだったが、やはり篠山は、金に困っている風ではなかった。
まあそもそも、うちは業界大手の飲料メーカーなので、食うに困るようなことはないはず。
それでもこんなところに勤めているというのだから、奨学金が重いとか、家族に仕送りしててとか、何か理由があるのだと思いたいのだが……。
「俺は趣味みたいなものなので、こういうときは、生活がかかっているひとに譲ります」
「……いい趣味してんな」
「まあ、そうですかね」
両肩に手を置かれた――と思ったら、ころんと押し倒された。
「ちょっ、何すんだ……」
「お気遣いありがとうございます。余計な心配をお掛けして、すみません」
表情は神妙だが、手は普通にバスローブを脱がしにかかっている。
「おい、篠山っ」
「きょうは篠山で大丈夫です。サービスも、お客様が望まないことはしないので、しないならしないでもかまいません。でも……」
はだけた首筋に顔を埋め、小声でつぶやく。
「寝かせてくれるなら、安西さんの肌に触れて眠りたいです」
「まあ……そのくらいなら、別に」
どちらともなく動き出す。
オレは布団に潜り、篠山は服を脱ぐ。
背中の筋肉も適度に均衡が取れていて、若干明るさを落とした室内に、よく映えた。
篠山が潜り込んでくると、冷えたシーツの間で、ほのかな体温を感じた。
こんなことで好きになっちゃったら、どうしよ。
……なんてことがぽわっと浮かぶ程度には、なんとも言えない心地よさに包まれている。
そっと手を伸ばし髪に触れると、篠山は目を丸っこくして驚いた表情を見せたあと、困ったように笑った。
「そういうの、不用意にやっちゃダメですよ。オーケーだと勘違いしちゃいます」
「ん、わり……」
篠山の手が、オレの頬に添えられる。
親指の腹でするすると撫でられると、抱かれたときの記憶が蘇って……
「あの、安西さん」
「みなまで言うな。自分でも分かってるから」
勃ってしまった。情けないくらいあっけなく。
篠山は片ひじをついて半身を起こし、じーっとオレの目を見た。
「してもいい、ってことですか?」
「お前これ、作戦だったら殴るからな」
最初っからこうなるって分かってて、添い寝なんか申し出たのでは?
……なんてのは言いがかりだということは、その澄んだ黒い瞳を見れば分かる。
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