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 そこそこ新しいアパートの外階段を上がり、2階の角部屋へ。 「狭いですが、どうぞ」  通された1Kの室内は、なんとも質素だった。  入ってすぐのキッチンは、綺麗というか、使っている形跡がない。  その奥のリビングには、ベッドと簡易テーブル、本棚とちょっとした収納のみ。  コートとジャケットを脱ぐと、篠山は流れるような仕草でそれを受け取り、ハンガーに掛けた。 「すみません。ソファとかないので、ベッドに座ってください。コーヒーでいいですか?」 「いや、別に要らんから。こっちこい」  ぺしぺしとシーツの上を叩くと、篠山はちょっと緊張したような表情で、隣に腰掛けた。  オレはちょっとむくれた表情をつくり、口をへの字に曲げる。 「え、と。すみません、何か気に障ること……」 「ばか。篠山のばか。お前が気の利いたことすると、そういう仕事だからかなとか考えちゃうんだよ。くそー」  居酒屋での態度とまるで違うであろうオレを見て、篠山はたいそう驚いている。  でもオレは、もう臆することはなかった。  なにせ、相手の家だ。  どういう展開になろうと人様に迷惑をかけることはないし、気まずければオレが出て行けばいいだけの話しなので。  篠山は困惑したように言った。 「違います。うち、親がしつけにうるさくて、お客さんが来たときは、いつもそうするので」 「んー? じゃあ、さらっと卒なく食べもの取り分けたりするのも、デリヘルで学んだことじゃないんだな?」 「あ、あの仕事で学ぶことは特にないですよっ。ただの、趣味みたいなものですので……」  慌てふためいていた篠山が、急に黙る。  そして、しばしの逡巡のち、遠慮がちに語り始めた。 「デリヘルを始めたのはほんとに深い意味はなくて、いつも趣味で適当にしてることがお金になるなら、面白そうだなって」 「軽い興味って感じだったのか」 「はい。でもいまから考えると、ちょっと、寂しかったのかもって思います。やってみたら、お客さんに喜んでもらえたり、他のキャストもけっこう話しかけてくれて。自分に自信がないので、性的にでも必要とされるなら、ちょっとは自分に価値があるんじゃないかとか、思ってしまったんです」  一旦口をつぐむ。  その瞳は揺れていて、叱られるのを恐れている子供のようだった。  オレは軽く息を吐き、尋ねる。 「てかそもそも、そんなセックス好きになったのはなんか理由があんのか?」 「え……っと、17のときが初めてでして、」 「はあっ!? 高校生!?」  思わずさえぎって、若干立ち上がりかけてしまった。  篠山は目を丸くしている。 「わりわり。ちょっとびっくりしただけ」 「……すみません。それはびっくりしますよね。そういう性格に見えないと思いますし」 「うん。全く見えないな」 「初めてまともに会話できた人が、たまたま、そういうのを求めてるタイプだったってだけなので。俺にそういう主体性があったわけじゃないんですけど……」  若干言いにくそうな様子には気づかないふりをして、根掘り葉掘り聞く。  そして得られた過去話は、……なんというか、篠山らしかった。  生まれてこの方、心を許せるような友人はできたためしがないこと。  初体験は、唯一話しかけてきてくれた部活の先輩の家に行ったときに『ヤッてみたい』と言われ、求められたとおりに突っ込んだということ。  大人になってからも、コミュニケーションをとるのが下手くそすぎて、セックス込みの相手としかうまく人間関係が結べなかったこと。  オレは内心、ほっとしていた。  この内向的な人物が言う『セックス大好き』に、ちゃんと納得のいく経緯があったからだ。  半生を語る間、篠山の目はひどく怯えていた。  打ち明けてどう思われるのかが、怖かったのかもしれない。 「……んで、デリヘルにたどりついたと」 「そうです」 「でも、そこが終着点じゃなくてよかったじゃん」 「えっ?」 「オレと幸せになりなさい」  篠山は絶句している。  オレはその片手に手を重ねて、耳元でささやいた。 「オレだけにしときなよ。んで、一緒に肉食お? オレ、篠山ならなんでもいいもん。すげー好き。めちゃくちゃ好き。前にも言ったけど、オレ重いから」  握った手が、じんわりと汗をかく。  その下に重なる篠山の手は、若干震えていた。 「幸せに……なってもいいですか?」 「うん」 「浮いた遊びもしないで生きてきた安西さんと比べて、俺の生き方ってダメすぎないかなって、……話しながらどんどん不安になってました」 「言いづらかったよな。ごめん、聞き出すようなことして」 「いえ。……驚いてます。こんなダメエピソードを聞いても、受け入れてくれるんだって」  長く息を吐いた篠山は、盛大な苦笑いを浮かべながら言った。 「俺も、安西さんのこと好きです。でも、言ったらどう思われるのかを考えると怖いし、この関係が終わって欲しくなくて……安西さんに呼んでもらい続けるには、他の客ともするしかないって思ってました」 「そりゃまあずいぶんと、ぶっ飛んだ思考だな」 「ほんとは嫌でしたよ」  実は、正月明けに1回だけ出勤したのだという。  しかし相手のことが無理すぎて、吐き気をこらえながら2時間をやり過ごしたらしい。 「地獄でしたね。知らないおじさんのオナニー鑑賞させられながら、『こんな思いしないと、安西さんとはできないんだ』って。ずっと好きだったら、永遠にこの仕事辞められないんだって思いました」 「お前、バカだな。頭の回転早い奴ってずっと思ってたけど、シンプルに意味わかんねえ」 「こういうところが、人とうまく付き合えない理由なのかなと、よく思います」  距離を詰め、篠山の両頬を手で挟む。 「お付き合い、してくれる?」 「……はい。こんな俺でよければ……よろしくお願いします」  どちらともなく、顔を近づけていく。  肩を抱かれて目を閉じると、ふんわりと優しいキスが落ちてきた。

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