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8章 好きでいろ。ずっとな。
4月も半ばを過ぎた。
新年度のドタバタと、社員研修で毎日違う新入社員を受け入れているので、既にめちゃくちゃ疲れている。
配属先とは関係ない部署まで全て経験させるのが社の方針なので、こればっかりは致し方ない。
人に教えるというのは、ただ仕事を片付けるのとは違う脳の使い方をするので、まあ自分の勉強にもなるのだが……疲れるもんは疲れる。
「ねーねー、また噂されてたよ。安西さん付き合ってる人いるのかな~って」
ニヤニヤと近づいてきたのは、北川だ。
「もー、なんなんだよ。なんの興味だよ。知ってなんの得があんだよ」
「まあ……新人ちゃん同士で手っ取り早く仲良くなるのって、誰がかっこいいとかそういう話じゃん?」
「オレを槍玉にあげないで欲しい」
「篠山くんも可愛い系って言われてたよ」
「は!?」
バッと顔を上げると、北川は分かりやすくにんまりとした。
「相変わらず過保護だねぇ」
「し、篠山はそういうの耐性ないから。そんな噂されてるって知ったら、二度と会社来ないかもしれないだろ」
「ええー? 好感持たれて嫌ってことはないでしょ」
当の本人をチラリと見ると、相変わらず無表情でPCに向かっている。
いや、話しかけないでくださいオーラがいつもより強いか。
篠山は初日のド頭一発目で、営業へ配属予定の体育会系ゴリゴリの奴に教えを乞われてしまい、案の定ほとんどしゃべれず、新人教育に強いトラウマを植え付けられてしまったようだ――夜、寝言でうなされていた。
時計が正午きっかりを指した。
新人に時間どおりに休んでもらうのも、オレの使命でもある。
「昼飯行きまーす。あ、なんか食いたいのとかある?」
「何でも平気です!」
「じゃあラーメン。ワイシャツを汚さず麺類を食う、サラリーマンの秘技を教えてやるから」
「そんなのあるんスね!」
「ぜひ教えてください!」
きょうの研修は、短髪でやたら元気な田村 くんと、少しぽっちゃりな大曽根 くん。
ふたりとも、オレと同じ大学を卒業したらしい。
道すがらその話をすると、変人として有名な名物講師や、カフェテリアの何がうまいなど、懐かしい話題が色々出てきた。
「……って言ってももう卒業して何年も経ってるし、色々変わってるんだろうな」
「学生会館が、去年の夏から耐震工事始まりました」
「あー、ボロかったもんな」
「トイレに幽霊出るみたいな話ありましたよね」
おすすめの中華料理屋に入り、いまどき珍しいほど安い醤油ラーメンを頼む。
「大曽根くん、それで足りる? 遠慮しないで注文していいよ」
「いいんですか? ありがとうございます」
彼らは販促課に配属される可能性が高いので、存分におごる。経費で落とすが。
ラーメンが届くと、大曽根くんは箸を割りながら目を輝かせる。
田村くんはオレに倣 い、ネクタイをワイシャツの胸ポケットにしまいながら言った。
「安西さん、イケメンっスよね」
「ん?」
「僕も、イケメンは360円のラーメン頼む様すらかっこいいんだなって思いました」
「別に褒めなくても、追加あったら注文していいよ」
「いや、マジ安西さんの顔になりたいっス。スーツが似合う男になりたい」
「あー。給料入ったら、安いのでいいから、紺か濃いグレーのやつ買った方がいいよ。リクルートスーツのままだと、取引先にナメられるから」
のらりくらりとかわし、部署の説明をしながら、ふと、篠山が研修に来たときのことを思い出した。
微妙に袖丈が短くてサイズが合っていないスーツに、床屋で切り揃えましたみたいな髪型。
同期の会話の輪に入れず、話を振られても、返事すらたどたどしい……。
本当にこいつ、販促課――年中修羅場の戦場である――でやっていけるのかな、とか思っていた。
1年後、まさかこんなにべた惚れで付き合ってるなんて、思いもしなかったよなあ……。
煮卵を口に詰め込みながら、大曽根くんが言った。
「何か、仕事してくうえでアドバイスとかあったら教えて欲しいです」
「んー、なんだろ。疲れを溜めない、とか?」
「そういうのもですけど、何かもっとこう、『こういう信念を持ってやった方がいい』とか」
「まあ、理想があるに越したことはないけど、しんどくない? やりたいこととかって、多分仕事を教わりながらやってるうちに変わってくから。最初から身構えなくていいんだよ」
「はー……やっぱ安西さんはかっこいいっス。なあ、大曽根?」
「はい。そういう柔軟性は、僕も身につけたいです」
妙に思い込みの激しいふたりが、子分になってしまった気がする。
汁が飛ばない麺のすすり方をレクチャーしたら、なぜか、それもかっこいいと言われてしまった……。
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