27 / 36

8章 好きでいろ。ずっとな。

 4月も半ばを過ぎた。  新年度のドタバタと、社員研修で毎日違う新入社員を受け入れているので、既にめちゃくちゃ疲れている。  配属先とは関係ない部署まで全て経験させるのが社の方針なので、こればっかりは致し方ない。  人に教えるというのは、ただ仕事を片付けるのとは違う脳の使い方をするので、まあ自分の勉強にもなるのだが……疲れるもんは疲れる。 「ねーねー、また噂されてたよ。安西さん付き合ってる人いるのかな~って」  ニヤニヤと近づいてきたのは、北川だ。 「もー、なんなんだよ。なんの興味だよ。知ってなんの得があんだよ」 「まあ……新人ちゃん同士で手っ取り早く仲良くなるのって、誰がかっこいいとかそういう話じゃん?」 「オレを槍玉にあげないで欲しい」 「篠山くんも可愛い系って言われてたよ」 「は!?」  バッと顔を上げると、北川は分かりやすくにんまりとした。 「相変わらず過保護だねぇ」 「し、篠山はそういうの耐性ないから。そんな噂されてるって知ったら、二度と会社来ないかもしれないだろ」 「ええー? 好感持たれて嫌ってことはないでしょ」  当の本人をチラリと見ると、相変わらず無表情でPCに向かっている。  いや、話しかけないでくださいオーラがいつもより強いか。  篠山は初日のド頭一発目で、営業へ配属予定の体育会系ゴリゴリの奴に教えを乞われてしまい、案の定ほとんどしゃべれず、新人教育に強いトラウマを植え付けられてしまったようだ――夜、寝言でうなされていた。  時計が正午きっかりを指した。  新人に時間どおりに休んでもらうのも、オレの使命でもある。 「昼飯行きまーす。あ、なんか食いたいのとかある?」 「何でも平気です!」 「じゃあラーメン。ワイシャツを汚さず麺類を食う、サラリーマンの秘技を教えてやるから」 「そんなのあるんスね!」 「ぜひ教えてください!」  きょうの研修は、短髪でやたら元気な田村(たむら)くんと、少しぽっちゃりな大曽根(おおそね)くん。  ふたりとも、オレと同じ大学を卒業したらしい。  道すがらその話をすると、変人として有名な名物講師や、カフェテリアの何がうまいなど、懐かしい話題が色々出てきた。 「……って言ってももう卒業して何年も経ってるし、色々変わってるんだろうな」 「学生会館が、去年の夏から耐震工事始まりました」 「あー、ボロかったもんな」 「トイレに幽霊出るみたいな話ありましたよね」  おすすめの中華料理屋に入り、いまどき珍しいほど安い醤油ラーメンを頼む。 「大曽根くん、それで足りる? 遠慮しないで注文していいよ」 「いいんですか? ありがとうございます」  彼らは販促課に配属される可能性が高いので、存分におごる。経費で落とすが。  ラーメンが届くと、大曽根くんは箸を割りながら目を輝かせる。  田村くんはオレに(なら)い、ネクタイをワイシャツの胸ポケットにしまいながら言った。 「安西さん、イケメンっスよね」 「ん?」 「僕も、イケメンは360円のラーメン頼む様すらかっこいいんだなって思いました」 「別に褒めなくても、追加あったら注文していいよ」 「いや、マジ安西さんの顔になりたいっス。スーツが似合う男になりたい」 「あー。給料入ったら、安いのでいいから、紺か濃いグレーのやつ買った方がいいよ。リクルートスーツのままだと、取引先にナメられるから」    のらりくらりとかわし、部署の説明をしながら、ふと、篠山が研修に来たときのことを思い出した。  微妙に袖丈が短くてサイズが合っていないスーツに、床屋で切り揃えましたみたいな髪型。  同期の会話の輪に入れず、話を振られても、返事すらたどたどしい……。  本当にこいつ、販促課――年中修羅場の戦場である――でやっていけるのかな、とか思っていた。  1年後、まさかこんなにべた惚れで付き合ってるなんて、思いもしなかったよなあ……。  煮卵を口に詰め込みながら、大曽根くんが言った。 「何か、仕事してくうえでアドバイスとかあったら教えて欲しいです」 「んー、なんだろ。疲れを溜めない、とか?」 「そういうのもですけど、何かもっとこう、『こういう信念を持ってやった方がいい』とか」 「まあ、理想があるに越したことはないけど、しんどくない? やりたいこととかって、多分仕事を教わりながらやってるうちに変わってくから。最初から身構えなくていいんだよ」 「はー……やっぱ安西さんはかっこいいっス。なあ、大曽根?」 「はい。そういう柔軟性は、僕も身につけたいです」  妙に思い込みの激しいふたりが、子分になってしまった気がする。  汁が飛ばない麺のすすり方をレクチャーしたら、なぜか、それもかっこいいと言われてしまった……。

ともだちにシェアしよう!