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第2話

 転校してから2ヵ月が経った。冬木の言葉と態度もあり、馴染めたわけではないが転校二日目のような事態になることはなく、比較的平和な学校生活を送れている。あの日机に落書きを描いた人達には謝られた。元はといえば俺が冬木をいじめていたからであり、冬木を俺から守るための手段であったと思う。冬木にそう言ったが彼が聞き入れることはなかった。どんなものであっても人を傷つけて良い理由にはならないと語る彼にもう何も言えなかった。  昼休みは相変わらず屋上で過ごした。あの鳩も一緒だ。別に飼っているわけではないと冬木に伝えたときは驚かれた。この鳩、不思議なことに餌を与えたのは転校初日の一回きりで、あれから2ヵ月も経っているというのに何故か懐いているようだ。登下校の際はいつも肩か鞄に乗ってくるし、屋上に来れば必ず俺の元に飛んでくる。昼食時に弁当の中身を無理やり取ろうとする様子もなく、ただただ静かに隣に座っている。時折膝の上に乗ることもある。膝の上に乗ってその羽で俺の身体を撫でる様な仕草をするのだ。可愛らしいその仕草に、前日に父に殴られて出来た痣の痛みが和らぐような感じがした。  ちなみに冬木に対してはいまだに懐いていないようで攻撃的だ。今も膝の上で俺の隣に座る冬木へ威嚇している。 「まだ何もしてないだろう。そんなカッカするな。」  そう言いながら鳩の頭をつついている冬木も冬木だ。あ、指噛まれた。痛いと喚きながらもつつくのをやめない。そういうところだぞ。しかし何だか兄弟喧嘩みたいで面白い。つい堪えきれなくなって笑いが漏れてしまうと、冬木はいつも俺を見て嬉しそうに笑う。鳩は気持ち胸を張っているようにも見える。よく分からないが。 「秋元君、最近はどう?困っていることとか、辛いこととかない?」  俺の左腕を撫でながら冬木が聞いてくるのはこれで何度目か。保健室の先生にも同じことを言われる。恐らく二人は気付いているのだろう、俺の家庭の状況を。あの日、パニックになった自分を落ち着かせてくれたのは冬木で、意識を失っていたから確かではないが、状況からしても腕の治療をしてくれたのは保健室の先生だ。切り傷だけではない怪我の状態を見れば推測するのは簡単で。実際に以前も怪我を見られて家庭内暴力を疑われたことがあったのだ。疑うもなにも事実ではあるが、それが父にバレればまたあの日のように拷問が待っている。本気で死ぬかと思ったのだ。正しく拷問だ。しかしこれは自分にとってやらなければならないことで。 【これはお前が生まれてきたことの罪の償いだ。】  これこそが償いの儀式なのだ。  それでも心配してくれているのは分かる。それはとても嬉しいこと。心配してもらえるような資格なんて、自分にはないのに。だから今日も慣れていない笑顔を作って言う。 「俺は大丈夫だから。」  俺は、大丈夫、だから。   「君は嘘が下手だよ。これっぽっちも大丈夫じゃないじゃないか。」  辛いことはないかと聞く冬木が一番辛そうな顔をして俺の左腕を撫でていた。  学生と言えば勉強、勉強と言えばテスト。ここ黒ノ丘高校では、テストの成績上位者30名を載せた表が廊下に貼り出される。言わずもがな一番上には冬木 藍の名前が鎮座している。成績表を見に来た生徒は、流石生徒会長と彼を称賛しているが、そんな生徒会長はというと、教室の彼の席に置かれたあの鳩からの贈り物(バッタの死骸)に対して、 「ふむ、カラスが求愛や絆を築くために贈り物をすると聞いたことはあるが、その贈り物はちとセンスがないと思うぞ。」  などと言うものだから、鳩につつき追いかけ回されている。鳩はカラスではない。さすがのクラスメイトも今のは冬木が悪いと擁護するものは誰もいないようだ。教室内を駆け回る鳩と生徒会長。騒ぎを聞きつけ入ってきた担任も、あまりのカオスさに叱ることを忘れて呆然としていた。事の経緯を生徒から聞いた担任はそれはお前が悪いと呆れていた。 「味方がいないッ!!」  俺もよく贈り物を貰っているがそのどれもが綺麗な石や花である。悲鳴を上げる冬木には、その贈り物(バッタの死骸)がどう考えても煽りであることは言わないでおこう。  後日、彼の席には黄色いカーネーションの花が送られていた。綺麗だと喜ぶ冬木には、花言葉が『軽蔑』であることは教えないでおこう。 「「頼む冬木(君)!俺たちに勉強を教えてくれ!!」」  涙目になって頼み込んでいるクラスメイトの彼らはどうやら今回のテストで赤点を取り、再テストを受けることとなった。この再テストで合格点を下回ると夏休みに補習を受けなければならないそうだ。部活動に専念できる夏休みに補習で時間を取られたくないと話す。しかし冬木とて別々の科目を2人同時に教えなければならなく、テストの点数は100点満点中一桁という絶望的状態。よく高校受かったな。生徒会としての活動が忙しくなってきたこともあり負担が大きすぎる。困ったと悩む3人を隣で静かに見ていると、再テスト2組の中の一人、夏原 巴(ナツハラ トモエ)と目があった。直ぐさま顔を下に向けようとすると物凄い勢いで肩を掴まれた。え、怖い。小さな悲鳴が漏れたが彼には聞こえなかったのか、必死な形相で話しかけてきた。 「お前秋元だったよな、確か今回のテスト10位だったろ!覚えてるぞ!!頼む!!秋元!!勉強を教えてくれ!!!」  なんで勉強は覚えられないのに俺の順位は覚えてるんだ。迫り来る夏原に震えが止まらない。怖い、怖い。バクバクと音を立てる心臓が痛い。ついでに掴まれている肩も痛い。 「夏原、そこまで。秋元君が怖がってるから。彼、あまり人が得意じゃないんだ。もっと落ち着いて接してあげてくれ。」  呼吸が浅くなってきた時、冬木が助け船を出してくれた。俺の手を握り、親指で落ち着かせるように撫でてくれる冬木に少しずつ遠のきかけた意識が戻ってくる。 「あ、そうなの、ごめん!!怖がらせるつもりはなかったんだ!まじでごめん!!大丈夫??」  眉をひそめて心配する彼は優しい人なんだろう。中学の頃の自分と冬木の関係を知ってもなお、こうして普通に接してくれているのだから。 「うん、取り敢えず大丈夫そうだよ。でもそうだな、勉強に関しては良いかもしれない。秋元君、二人に教えてあげてくれ、僕も手伝うから。」  頭の中で船が転覆した。 「そろそろ他の人とも交流した方が良いと思ってね。良い機会じゃないか。彼らは優しい人達だから大丈夫だよ。ゆっくりで良いから友達になっていこう。」 「お前は秋元の母親か。」 「いえ、いずれ夫になる予定です。」 「キリッとした顔で言っても、お前の頭を鳥の巣にしてる鳩で台無しだからな。」 「このクソ鳩がッッ!!!!」  見慣れた冬木と鳩の喧嘩を気にしている余裕は俺にはなかった。これからどうなってしまうのかと不安が募るばかりである。 「秋元君は部活入らないの?」  そう話すのは勉強を教えることになった二人組の一人、春日部 雫(カスカベ シズク)。夏原とは幼稚園からの幼馴染みで、部活も同じ弓道部に所属している。春日部は親が弓道教室を営んでいるため小さい頃から弓道場に居たそうだ。とは言っても未熟な身体では強い力が加わることで骨などに影響を及ぼす危険があるらしく、やり始めたのは中学からとのこと。  ちなみに夏原も中学からやり始めたが、その理由は春日部が中学からモテるようになったから。弓道をしたら自分もモテると思った夏原だったがおそろしくモテなかったと死んだ目で言われた。というのも弓を構える姿"は"格好いいと好評だが終わってしまえば豹変、普段がやかましすぎる。爆音スピーカーと呼ばれているらしい。なるほど、確かにうるさい。声がでかい。 「秋元も弓道部入ろうぜ!!楽しいぞ!」 「え、あ、いや、俺は...入らない。」 「ええええええ!!!楽しいのにぃ!!一回でもいいから見学しに来てくれよ!!なっ!」 「巴うるさい。無理に誘うな、ごめんね秋元君、気にしないで。」  真逆の二人だなと思った。基本クールな春日部に明るい夏原。しかし手元の二人のノートを見ればやっぱり似た者同士かと思い直した。先程から試しにと解かせている問題の回答は空欄ばかり。書かれた回答も間違いが多い。隣で冬木が手の止まってしまった二人に注意しているのを聞きながら、二人が理解できていない分野を絞り出していく。理解するまでに時間が掛かるだけで、理解してしまえば案外いけることがここ数日教えていて気が付いたのだ。教える側の工夫があれば二人は良い点をとれるだろう。 「にしても秋元にほんとよく懐いてるよな、そいつ。」  俺の膝の上で寝ている鳩を指差しながら夏原が言った。良いから問題を解け。  この鳩が教室内に居ることに最近はもう誰も驚かなくなった。担任も注意したり、追い払おうとしないのは鳩が一部の生徒以外に危害を加えないからだろう。糞を落とすわけでも、いたずらをするわけでもない、一部の生徒以外には。一部の生徒と言っても一人である。隣の男だ。これに関して、自業自得とは担任の意見である。やはり不思議なことに俺にしか懐いていないようで、鳩自ら触れるのも、触れられるのも、俺だけのようだ。 「名前つけないの?」 「いや、飼ってるわけじゃ、ないし...。」 「でもそれだけ懐いているんだから良いんじゃない?」  春日部の言葉にそれもそうだなと思う。しかしなんと名付ければ良いか。首を傾げて考える。 「はと(笑)で十分じゃない?痛っ!!!!」  名前の案を上げた冬木に鳩が噛みついていた。だからそういうところだぞ。荒れている鳩を落ち着かせながら頭に色々な名前を思い浮かべていく。 「そもそもその鳩、雄なの?雌なの?」  その質問には冬木が答えた。 「雄だと思うよ。キジバトはドバトと違って雄と雌が見分けづらいから確証はないけど。首回りがそこらで見かけたキジバトより少し太いからたぶん雄かな。キジバトって警戒心が強くて人に懐かないからこいつは本当に珍しいんだよね。」  雄だったのか、知らなかった。鳩の種類も知らなかった。何だキジバトって。流石は成績優秀者、博識である。またちょっかい掛けて指噛まれてるけど。そうか、雄なら... 「ソウ、なんて、どうかな。」 「そう?」 「うん。お、俺の名前の、奏を、音読みにして。」 「へぇ、良いじゃん!!!」  ソウを見ると手に頭を擦り付けてきた。お気に召したようだ。ソウは他の鳩よりきっと賢い。冬木とのやり取りを見ていると、言葉を理解しているような気がする。 「え、なんか生意気。」  ソウとは反して冬木は気に入らないようだ。ブスッと不貞腐れている。夏原と春日部が、お前そういうところだぞと揃って言った。 「そうだ、秋元君のこと奏って呼んでいい?」 「え...?」 「このはと(笑)に一歩もリードされたくないし。」  そういうところだぞ。鳩と張り合うなよ。一歩リードってどういうことだ。というか冬木はソウと呼ぶつもりはないのか。また噛まれてるし。  でも久しぶりに呼ばれた自分の名前に心が暖かくなった。もう随分と呼ばれることのなかった名前は、ずっと嫌いだと思っていたのに、何故か彼に呼ばれると嬉しいと感じる。 「だから僕のことも藍って呼んでよ。」  期待のこもった目で見られてしまえば呼ばざるを得ない。でも自分がそうであったように、名前を呼ばれることで冬木が嬉しいと感じてくれるのなら。 「藍。」 「うん!!」  頬を染めて笑顔で返事をする冬木に、俺の取った選択は決して間違いではなかった。 バサバサバサッッ!! 「痛いって!!このクソ鳩がぁ!!!!」 「......。」  セミが鳴くのは雄だけらしい。日が照って暑苦しいなか大合唱する彼らは何を思いその短い人生を送るのだろう。そんなことをエアコンの効いた教室で考える。今日の昼は教室で食べた方が良い、熱中症になったら大変だと冬木に言われた。確かに、人が多い教室もしんどいが、この暑いなか外ではご飯も喉を通らないし、今日の昼は生徒会会議もなく冬木も教室に居るとのことだから、彼の意見に従っておこう。ソウは大丈夫だろうか。心配だ。 「もうすぐ夏休みだなぁ!お前らは夏休み何する?休みが合ったら俺たちでどっか行こうぜ!!」  相も変わらず元気な夏原が俺と冬木に聞いてきた。先日に勉強を教えた二人は見事再テストで合格点を取り補習を免れたそうで、とても感謝された。俺の周りを奇妙な躍りをしながら回っていた。悪魔でも呼び覚ますつもりか。それからというもの二人はよく俺に話しかけてくるようになった。グループワークや移動教室、最近では昼食も一緒に取るようになって、初めは怖くて堪らなかったのに、いつの間にか身体の震えは止まっていて、むしろ安心を覚えていた。話もスムーズに出来るようになった俺を見て冬木は嬉しそうにしていた。頭は鳥の巣になっていたが。周りには季節一周組という意味のわからないダサい名前で呼ばれた。なんだそれは。 「夏と言えばプールだろ!!!」 「アホ、それじゃ秋元君が参加できないだろ。」 「あぁっそうか!!そんじゃあ肝試しだな!!!」 「却下。」  即答で肝試しを一蹴した春日部はホラーは得意ではないと前に言っていた。苦手なんじゃなく得意ではないと何故か強く主張していたが似たような意味では。  彼らが言ったように俺はプールには入れない。そもそも体育授業そのものに参加できていない。この身体に出来た傷を見られるわけにはいかないため水着など論外だし、着替えの場でも見られる可能性が高い。だから体育の時間は保健室で過ごしている。事情を知っている冬木と先生が体育教師に上手いこと説明してくれたらしく課題のプリントを提出することで許された。  一度保健室で冬木と先生に家庭でのことを児童相談所に訴えようと言われたことがあったが、死に物狂いで止めた。またあの地獄に行きたくはなかった。必死な俺を見て二人は諦めてくれたようで心底ほっとした。  楽しそうに話している3人には申し訳ないが遊びに出掛けることは出来ないと思う。身体的にも遊ぶほどの体力が残るとは思えない。去年だって始業式前日まで身体が動かない程しんどかったのだ。 「ごめん、俺夏休みは予定が埋まってるから行けない。」 「そんなに忙しいのか!?」 「一日も空いてないの?」 「うん。」  残念だと顔に描いてある二人に謝る。すると冬木に名を呼ばれた。眉間にしわが寄っている。 「一日だけでも良いから必ず会おう。一時間でもいいから。絶対にこれだけはしてくれ、奏。」 「......。」 「過保護だなぁ、冬木君。」  真剣な顔で話す冬木に俺は首を縦に振ることが出来ない。気まずくなって顔を反らすと、向いた先に居る夏原が黙って俺を見つめていた。静かな彼は珍しく、どうしたのかと首をかしげた。 「なあ、秋元。お前さあ、」  夏原が何か言いかけていたが始業のチャイムが鳴ったため席に戻って行った。結局何を言おうとしたのかは分からなかった。  分からないまま放課後になり夏原と春日部は部活に、冬木は生徒会に行ってしまったため一人で帰る。帰路を歩いているとソウが肩に止まった。良かった、元気そうだ。頭を撫でて癒される。 「お前はいいな、俺も空を飛んでどこか遠くに...。」  行って良いはずがない。それは許されない。目を瞑って考え直す。そう言えば以前、どこかで今の言葉を口にした気がするが、いつどこでだったか。頭を働かせるも家に着くまでに思い出すことはなかった。気のせいだろう。  ソウと別れ、家の玄関を開けるとたくさんの靴、リビングからは複数の声。あぁ、今日は厄日だ。これから訪れる身体の痛みに身体が硬くなる。リビングから父がやって来た。笑顔だ。随分と機嫌が良さそうで嫌な予感がした。 「待ってたぞ。早く来なさい。」  父の言葉に従い着替えもせずリビングに行こうとすると、「こっちだ」と普段は使っていない部屋に連れてかれた。部屋には真ん中にベッドがありそれを囲むようにカメラが何台も置かれている。カメラは全てベッドを向いている。異様な光景に不安になって父を見ると楽しそうに笑っている。なんだ、なんだ。心臓が痛いほどはね上がる。怖くて膝が折れてその場にしゃがみこみそうになると、父が無理やり立たせベッドに連れていかれる。ベッドに叩きつけられると部屋にいつもの男達が入ってきた。皆笑っている。怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い。悲鳴が漏れる。 「喜べ、今日はお前にとっても楽しいぞ。たっぷり啼いて金を稼いでくれ。」    男達が部屋から出て行った。飲みに行こうと話していたから父も今日はもう帰って来ないだろう。外で車の音が聞こえなくなったのを確認すると、すぐに風呂に入った。身体や、中に、付いた男達の体液を石鹸で洗い流す。何度も何度も洗い直す。汚い汚い汚い汚い汚い汚い汚い汚い汚い汚い汚い汚い汚い汚い汚い汚い汚い汚い。擦れた場所が赤くなって傷口から血が出ても洗い続けた。シャワーとは別に、頬から雫が滴り落ちる。 「ぁい、ぅ、...ッッ。っふ、あ、い。あい、藍。藍!」  すがるように冬木の名前を呼んだ。  言葉とは難しい。一つの言葉で人を傷つけることもあれば、救うこともある。言葉にしなければ心に秘めた思いは伝わらない。言葉として伝えなければどうしようもないことがある。どれだけ周りが手を差しのべても、その手を掴まなければ救うことすら出来ないのと同じように。  秋元の腕の傷から推測できる最悪の状況は、日常的に誰かから暴行を受けているということ。それは誰か、彼の現在の性格を見ると人と喧嘩できるようなタイプではない。不良によるものかと考えたが、秋元と共に下校するなかでそういった輩は見当たらなかった。しかし傷はほぼ毎日新しいものができている。夜間に外出した先でのことも考えられる。  だから秋元には申し訳ないが鎌をかけてみた。腕の治療を行った保健室の先生と共に、まずは家庭内での虐待を前提に児童相談所に話をしに行こうと言ってみた。  すると秋元は真っ青な顔色で必死に止めてきた。その際に過呼吸や自傷行為を再び起こした。さすれば見えてきた答えは家庭内暴力。彼の様子からして長きに渡るものだ。パニックに陥った秋元を落ち着かせ、こちらが諦めた様子を見せるとあからさまに安心した表情を浮かべる。余談だが、その後、はと(笑)にはむちゃくちゃ追いかけ回された。  先生にそちらに詳しい連れがいるらしく、以前に秋元 奏が児童相談所に訴えたことはないか、または虐待を受けている可能性があると他者から通報が入った案件がないかを調べてもらった。結果はビンゴ。去年に一件、通報履歴が残っていたそうだ。しかし相談員が彼の家に訪問したところ、問題はないと判断された。秋元 奏本人から暴行は受けていないとはっきり告げられたとのこと。おそらくそれは彼の本意ではない。保健室での秋元の様子を見るに、親に脅されていると考えて間違いはないだろう。  秋元には何度も助けを求めるように伝えているが、彼が首を縦に振る様子は一向に見られず。こちらが児童相談所に通報したとしても、最終的には、秋元本人の助けを求める言葉がなければ保護に動くことはできないのだ。秋元が救いを拒絶するのは、脅されている以外にも理由があるように思うが、それは話してくれそうになかった。  もうすぐ夏休みになる。長期休みになれば自然に家に居る時間も長くなり、更なる酷な暴行を受けると考えると、なんとしてでも夏休み前に解決に向けて動きたい。自分の家に泊まらせることも出来るが、秋元は受け入れなかった。  何もできない自分に腹が立った。こんなにも僕は無力なのか。このままでは、彼が手の届かない遥か遠くに行ってしまう気がして不安が募る。何か、何か方法はないのか、そう考えていたある日、事が動いた。  その日は秋元の様子がおかしかった。今朝いつも来るはと(笑)に会えなかったと落胆する彼だが、動きがいつもよりぎこちない。元々身体を動かすと痛がることは多々あったが、今日は特に顕著に出ている。授業中も休み時間も机に伏せていた。具合も悪そうな様子に保健室に連れていこうと席を立つと、先に夏原が秋元に声を掛けた。 「秋元、お前まじ大丈夫かよ?顔色悪いって。俺おぶるから保健室行くぞ。」  そう言って腕を掴もうとした夏原を、秋元が振り払った。様子がおかしい。過呼吸になっている。困惑しながらも、心配から再び手を伸ばした夏原を急いで止めるが間に合わなかった。 「あ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!!!」  叫びのたうち回る秋元を抱きしめる。今まで以上にパニックになっている様子に夏原と春日部に保健室の先生を呼ぶよう頼む。彼らはすぐに駆け出していった。教室内は泣き叫ぶ秋元に動揺が走っている。暴れ狂う秋元を抑えきれず机や椅子が彼にぶつかって倒れる。呆然と立ち尽くすクラスメイトに秋元と自分の周りから物を遠ざけるよう指示を出す。騒ぎを聞きつけた担任も秋元を抑えようとするが状態は悪化の一途を辿る。  遅れてやって来た保健室の先生が精神科救急に電話を掛けた。漸くして聞こえてくる救急車の音、救急隊員が来るまで暴れる彼を抱きしめることしか、僕には出来なかった。   『今度必ず話を聞かせろ。』  送られてきたメールにはその一文だけ書かれていた。元々押しの強い夏原のこれまでにない迫る言葉に苦笑いする。何となくだが、夏原は秋元が抱えているものに薄々気が付いていたと思う。意外と人をよく見ているのだ。時折、秋元に何かを言いかけて、眉をひそめて口をつぐむことがあった。  了承のメールを送りスマホをポケットに入れると、ベッドに横になっている秋元を見る。彼の腕には点滴が刺さっており、静かに呼吸をして眠っている。赤く腫れた目元を撫でる。  結果から言うと秋元は精神病院にて医療保護入院となった。本来精神病院に緊急入院をする際は保護者の同意が必要だが、その保護者と現在連絡が取れないらしい。虐待容疑が掛かると恐れ逃げたのかは定かではないが、秋元と父親が対面しなくて良かったとほっとした。何があるか分からない。今の状態で父親と会わせればそれこそ心が壊れかけない。病院側が市長に同意を得て、入院となったのだ。  秋元を診てくれた医師から詳しく話を聞きたいと言われた。今回のパニック発作と身体の怪我、連絡の取れない父親。ほとんど答えは出ているようなものである。保健室の先生と僕の話を聞いた医師は警察へ連絡するよう看護士に伝えていた。どうかこれで秋元に平和が訪れれば良いが。警察と医師、児童相談所の相談員と話を進め、事は一つ一つ確実に動いていた。  警察からは、秋元が複数人から性的暴行を受けている動画が一部の人達に高額で支払われている、家宅捜査を行ったところ、動画に使われた部屋を発見したと報告を受けた。今回のパニック発作はこれが原因の可能性が高いと医師が話した。男性で体格も良い夏原が触れたことでフラッシュバックが起こったのだろう。本気で人を殺したいと思ったのは初めてだ。  夏原と春日部にも事情を説明すると彼らも、未だに連絡のつかない父親に殺意を芽生えさせていた。春日部は怒りで近くにあった椅子を蹴り飛ばし看護士に怒られていた。夏原はぶつぶつと呪いの呪文を唱えていた。どちらかというと活発的な夏原が静かに怒りを燃やし、控えめな春日部が物に当たっているのは意外だった。こんな状況だが、心の底から秋元を想う二人だからこその姿に、すこし嬉しかった。秋元にはこれだけ大切だと想ってくれる人がいるのだと、本人に早く伝えたい。 秋元が目を覚ましたのは、彼が病院に搬送されてから一週間が経った日だった。  目を開けると白い天井。以前にも見たことがあったな。前と違うのは自分を覗いている冬木が居ることだ。頬に水が落ちる。落ちてくる涙に、あぁ泣かないで、泣かないでと手を伸ばす。冬木は俺の瞳を綺麗だと言うけれど、彼の深い海の色の瞳もとても綺麗だ。 「かなで、かなでぇ、奏。」  彼の声が頭の中でこだまする。冬木が近付いてきて俺の手を握る。 「奏、僕のこと怖くない?」  首を横に振る。冬木は俺の頭を撫でると額にそっとキスをした。怖くない。暖かい。なんだか嬉しくて、その温もりが離れないようにと、彼の背に腕を回す。あの男達に触れられたときは気持ち悪くて仕方がなかったのに、どうしてこうも安心を得られるのだろう。  暫くの間冬木の温もりに浸っていたら、部屋に白衣を着た男性と女性が入ってきた。様子を見るからにここは病院なのだろう。一度俺から離れた場所で三人が小声で話し合っている。そう言えば俺はなんで病院なんかに居るんだろう。 「奏、聞いてほしいことがあるんだ。」  冬木から話されたことに衝撃を隠せなかった。一週間前、俺は学校で酷いパニックを起こし精神科救急に搬送されたこと、その時治療を受けた際に身体の怪我について病院から冬木達へ説明を求められ、家の状況を話したこと、警察が動いたこと、現在父と連絡が取れないこと。知らない間に色々な事が起こっていた。  情報の多さに着いていけず放心していると、部屋に更に人が増えた。警察と名乗る人達に、俺本人からしっかりと家庭内での状況を説明してほしいと言われた。  もし、本当のことを言ったとして、父はどうなるのだろう。捕まるのだろうか。俺はどうなるのだろう。父が捕まれば俺はあの日々から解放される。しかし、俺は解放されて良い存在か、答えは否。父の言葉が、己の罪が、口から漏れ掛ける声を殺す。伝えなければならない、親子の関係は良好であると、あの時のように。逃げてはならない。逃げては、いけないのに。それすらも、言葉にできない。口からは息が零れるばかりで、喉が締め付けられる。言わなきゃ言わなきゃと焦るほど、言葉は遠くなっていく。  あぁ、そうか、罪を償わなければと思いながら、俺は罪から解放されたかったのか。なんて、醜い人間なのだろうか、俺は。醜い。醜い。 『こいつ、顔は良いよなぁ。』  やめて、さわらないで。 『ほら、せっかく可愛がってあげてんだから喜べよ。』  やめて。 『抵抗なんてしていいのか、逃げんなよ。』  ごめんなさい。 『いやぁ、最高の玩具だわ、可愛くて、可哀想で、』  おねがい、やめて。 『醜い。』  いたい、いたい。 『こんな醜いガキが俺の子なんて、虫酸が走る。』  いたい。からだも、こころも、いたい。 『醜い。』  あの男達の手が伸びてくる。やめて、お願いだから、もうやめて。触らないで。もう、 「奏ッッ!!!!」  冬木の声にはっと顔を上げる。心臓がうるさい。呼吸も荒くて落ち着かない。大量の汗が身体から吹き出る。目の前がグワングワンと揺れる。冬木の声がしたから、きっと側に居るはずなのに、どこにいるのか分からない。自分は立っているのか、座っているのか、横になっているのかも分からない。どこ、どこに居るの、 「あい、藍。」  キョロキョロと周りを見渡して名前を呼ぶ。すると誰かに抱き締められた。誰、誰なんだ。藍、お願い、側に来てくれ。藍。 「ここに居る、ここに居るよ、奏。」  すぐ隣から冬木が呼び掛けてくれて、漸く自分を抱き締めているのが彼だと分かった。抱き締め返すと、彼のいい香りが心臓を落ち着かせた。 「大丈夫、大丈夫。」  トントンと赤ん坊をあやすように背中を叩いてくれる冬木の首筋に顔を押し付ける。いつの日か聞いた、あの落ち着く鼻歌が聞こえてくる。俺がしんどい時、いつだって助けてくれるのは、この温もりだ。これがあれば、これだけあれば、俺はもう十分幸せなのだ。冬木さえ居てくれれば、それでいい。  頑張るから、これからもずっと頑張るから、だから、お願い。側に居てくれ。離れないで。置いて行かないで。 「すみません、今日はここまでにしてもらって良いですか。今の状態で話すのはきっと難しい。彼が真実を話せる心の準備をさせてください。あと、先生、ここに二人ほど友人を呼んでも良いでしょうか。」  冬木が何か話しているが、今はただ彼から与えられる温もりに浸っていたかった。話していないで、歌ってほしい。あの歌をもっと聞かせてほしい。そんな思いが伝わったのか、再び歌いだしてくれたそれに耳を傾ける。とても暖かくて心地が良いこの歌はなんという名の歌なのだろう。題名を知らぬこの歌は記憶に刻まれて離れない。あぁ、好きだ。目を閉じて聞き入っていた。  どれくらい時間が経っただろう。いつの間にか室内には俺と冬木しか居なかった。顔を上げた俺の頬を両手で挟んで瞳を覗き込まれる。俺も真似るように、冬木の瞳を覗く。自分の瞳を見られるのはとても嫌だったのに、冬木にだけは嫌悪感を抱かなかった。むしろ、見つめてくる彼の瞳を見るのが好きになっていた。 「綺麗だ、心から愛おしい。」  そう言った冬木が俺の額にキスをする。何度も何度も。額、瞼、耳、頬と落ちてくる唇にくすぐったくて笑ってしまった。笑った俺に困惑したのか、もう一度近付いてきた冬木が一瞬固まると、俺の唇のすぐ横にまたキスをした。何故かちょっと残念に思った。物足りなさを感じて、冬木の服を引っ張り、もっと、と要求する。見開いた瞳が揺れるが、一度瞬きすると、顔を近付けてきた。心臓がドクンと高鳴る。 「あ゛ぎもどぉ゛ぉ゛ぉ゛お゛お゛お゛お゛お゛!!!!!起ぎだのがぁ゛ぁ゛あ゛!!!よがっだぁ゛ぁ゛あ゛あ゛!!」  もう少しで触れるというところで、大声を上げて扉を開け入ってきたのは、顔を涙と鼻水と涎でグシャグシャにした夏原だった。顔面洪水警報発令という言葉が浮かんだ。彼のすぐあとに春日部も入ってくる。彼も涙目だった。心配、してくれていたんだな。そう思うと嬉しかった。自然と頬が緩む俺と反して冬木は不貞腐れていた。なんか、前も見たことがある気がする。 「空気読めよこのポンコツ。あと顔汚い。」 「んだとコラァ!出会って早々暴言とはそれでも生徒会長かぁあ!!」 「あ、もしかしてお邪魔した?」 「最悪のタイミングだよ。」  キーッキーッと怒る夏原とニヤニヤしている春日部、不貞腐れる冬木。いつもの光景に頬がどんどん緩んでいく。やっぱり、ここが、この人達が、好きだなぁ。怒っている夏原はどこか鳩のソウに似ていて、あの子は元気だろうかと夕陽で彩られた窓の外を眺めた。  一通り喧嘩を終えたのか、夏原達が近付いてくるも途中で歩みを止め、不安そうに俺を見てくる。なんだ、なんでそんな所で止まるんだ。冬木の側に椅子がちゃんと2つ分置いてあるし、座ればいいのになぜ来ないのだろうと首を傾げる。 「あ、秋元、この間はごめんな。お前のこと怖がらせちまって。そんなつもりじゃなかったんだ!ただ俺は、お前のことが心配で!だから!!、ほんと、ごめん。」  眉を下げた夏原が謝ってくるがよく分からない。確かに最初の頃は夏原達にビビっていたが、今は何ともない。むしろ、彼らが好きだ。彼らの側がどれだけ安心するか。そう想いを伝えると何故か夏原達は目元を押さえて仰ぐ。確かこれ、たまに冬木がやっているやつだ。流行っているらしい。流行とは難しい。 「奏、君が一週間前にパニックを起こしたのは、体調の悪そうな君を夏原が心配して手を差し伸べた時なんだ。たぶん、君に暴行を加えた男達の姿が重なってしまったんだろう。」  そうか、俺は、夏原にあの男達を重ねて、拒絶したのか。彼がどれだけ優しい人間か知っているのに、俺は、信じなかったということか。その事実に落ち込む。 「奏が罪悪感を抱く必要はないよ。君も夏原も悪くない、悪いのは父親達だ。」  少し、頑張ってみようか。そう話す冬木は夏原と春日部を俺の側へ呼ぶと、彼らと手を繋ぐようにと言った。たぶん、俺がもう彼らを怖がることがないように、彼らが俺は怖がらないと分かるように、俺達が互いに一歩近付けるようにと考えてくれたのだろう。優しく見守ってくれる冬木に感謝をして、夏原と春日部の手を自ら掴む。出会ってすぐの頃は俺の方が震えていたのに、今は彼らがその手を震わせている。だから、冬木がいつもしてくれるみたいに、安心してもらえるように親指で彼らの手の甲を撫でながら、微笑み掛ける。ここにきて漸く、二人の心からの笑顔を見られた。  冬木は夏原と春日部にも俺の家でのことを話したらしい。二人なら必ず力になってくれるからと。俺はそれに心から喜ぶことは出来なかった。この二人ならきっと力になろうと動いてくれるだろう。でも俺は、 「お前さぁ、一体何でそう頑固なわけ?」 「え、頑固。」  夏原が怒った顔で言う。 「頑固だろうが。もうお前を助ける準備は出来てる。皆お前のこと待ってんだよ、お前が助けを求めること。ちゃんと言葉にしなきゃ、何も変わらないんだぞ。」 「......。」 「いつまでそうやって黙って、閉じ籠ってるつもりだよ。」 「巴ッ」 「雫は黙ってろ。秋元、お前が閉じ籠ってる理由は父親か、冬木か?」 「ッッ!!」 「え、僕?」  夏原の言葉に動揺を隠せなかった。それは図星だと伝えている。 「中学で冬木をいじめていたって聞いた時、俺は不思議で堪らなかった。どう考えたってお前は人のこといじめられるような性格じゃないって、人にビビっていつも震えて、俯いてばっかで、初対面でも分かるわ。  信じられなかった。分からなかった。なんでいじめたんだろうって。  だから冬木に無理矢理聞き出した、いじめたきっかけをな。冬木の一言から始まった。お前の瞳を褒めたそうだな。今も正直聞いているこっちはうるさいくらいよく言ってるのに、お前はそれに対して嫌な素振りを見せてない。隠してるようにも見えない。むしろお前は嬉しそうで。余計に混乱したわ。じゃあなんで中学の頃は受け入れられなかったんだ。  不思議で仕方なくて、でも必ず理由はある。理由なく人を傷付けるようなやつじゃねえ。むしろ、ずっと誰かに傷つけられているんだって察してた。いつも服の下見られないように隠してたし。冬木が裏でコソコソやってたのも知ってた。  お前には悪いが独自の方法で調べさせてもらったぞ。勘違いすんなよ、お前を嫌ってとか、疑ってとかじゃなくて、お前が好きだから、友人だから、信じていたから、何がお前を動かしたのか、傷つけたのか知りたかった。友人のために力になりたいって思うのは間違いじゃねえだろ。  お前の母親は夫に内緒で別の男と関係を持っていた。その男はオレンジ色の瞳が特徴的だったらしい。そりゃあ嫌だよな、自分は不倫相手との間にできた子供ですって主張する瞳を褒められるなんて。」  冬木が隣で息を飲んだ。知らなかったんだろうな。 「秋元は冬木をいじめた。自分の境遇を呪って、その怒りを冬木にぶつけたんだろ。それは間違っていると俺は思うぞ。」 「やめろ夏原ッッ!悪いのは僕だッ!」 「巴ッッ!!」  夏原を止める冬木と春日部に首を振る。夏原は正しいのだ。俺は理不尽な怒りを冬木へぶつけていたんだ。なんで自分がって。愛のない家族へ、愛してもらえない自分への怒りを。 「中3で冬木は転校して、その後、俺達の学校に来るまで、今度はお前がいじめられた。途中から抵抗すらしなくなったらしいな、父親からの虐待と同じように。助けを聞き入れてもらえなかったから?諦めたから?いや違う、それを受け入れたから。受け入れようとしたからだろ。 誰かから言われでもしたんじゃないか?償えとか、そういったもの。だから今も、こんな状況になっても助けを求めないんだろ。求められないんだろ。」  お前頭悪いんじゃなかったのかよ。なんでそこまで分かるんだ。全て彼の言う通り。そう、 「これは、俺が生まれてきてしまった罪の償いだから。」 「ふざけるなよ。」  ドスの効いた夏原の声と共に胸倉を掴まれる。 「そんな罪あって堪るかよ、そんなもんを償っていると思ってんなら大間違いだ。お前の行動は何一つ正しくねぇ!冬木に謝ったんだろ、冬木はそれを許したんだろ!?ならそれで終わりだ!!これ以上何も必要ねえだろ!!もうとっくに罪は晴れてんだよ!お前の耐えているその行動に、何の意味もねえぞ!!!んなことやって何になんだよ!?お前は一体何を頑張ってるんだよ!!」  夏原から目を逸らせない。彼の、声が、言葉が、頭に、ガツンと殴りかかってくる。けどそこに痛みは、ない。あるのは、困惑。俺のしてきた全てが、否定されていく。流れる涙を拭う余裕もなかった。 「過去に、自分に、閉じ籠って、どうやって生きていくんだ!?どうやって進んでいくんだよ!?ありもしない罪背負ってんな!!」  夏原の言葉が俺に縛りついた鎖を千切っていく。彼は俺の胸倉から手を離すと、今度はそれを差し伸べてきた。 「いいか、これは逃げるんじゃねえ、前に進むんだ。お前にとってめちゃくちゃ勇気のいることだって知ってる。だけど俺達を信じろ、お前が転けそうになっても、俺達が何度だって立ち上がらせてやる。何度だって引っ張ってやる。手を掴むのはお前しかできねぇ、けど、一度掴んでくれたら、二度とその手離さねぇ!!」  夏原に冬木と春日部も寄り添う。手を伸ばせば届く距離に彼らが待っている。さっきとは逆だ。進むため、か。償うのではなく、進むために、生きる。生きたい、彼らと、一緒に生きたい。幸せに、なりたい。  彼らの手を掴み、今まで喉に突っ掛かって出てこなかった言葉を紡ぐ。 「お願い、助けて。」 夕陽に照らされた彼らの笑顔は、とても綺麗だった。

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