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「おいで」
大人しそうな彼の手を引けば、抵抗なくすんなりと後をついてきた。どうして自分が誘われるのか、そもそも美智たちが誰なのか。そんな質問を投げてきてもおかしくはないというのに、彼は何も喋らない。見た目通り、人形のようだ。
だから人目を引く容姿をしていても、全く取り巻きがいない理由はこれだろう。おそらく転校して数日は彼を構う生徒は多かったはずだ。でも誰に対してもこんな風に薄い反応しか見せないのならば、周囲が飽きるのも早いはず。
美智もさすがにつまらなさは感じるが、反面、この人形が端正な顔を歪め、泣くのを見たい、そんな思いも湧き上がらせていた。
三年の教室近くにある自習室。その部屋の鍵を開けて中へ促すと、そこで初めて彼の足が止まった。
「どうしたの?」
「……あの、昼食って」
「中にあるよ。ほら、おいで」
どうやら彼は純粋にランチのお誘いだと思って着いてきたらしい。初めて聞いた彼の声は耳障りがよい。きっと鳴き声も可愛いだろう。
並んだ机の一つに招いて座らせ、彼の前に証拠とばかりにパンの包みを並べていく。
「どれでも好きなの、食べていいよ」
名前すら分からない。そんな彼の食の好みを知る由もない。だから一通りのものを買い揃えてやっていた。
遊びを始めるまでの流れは、今回の発案者である美智に任せるつもりなのか、彰吾はほとんど口を挟まず、包みの一つを手に取りパンを頬張り始めた。だが、転校生はじっと机を見たまま動く気配がない。
「食べないの?それとも、食べさせてほしいの?」
問い掛けると彼は首を横に振った。細い髪がさらさらと揺れる。その拍子に、花のような甘い香りが漂ってきた。シャンプーの香りだろうか。
「遠慮しなくていいよ。食べさせてあげる」
彼が放つ美味しそうな匂いに触発され、美智はクロワッサンの包みを開くと、一口分摘んで彼の口元に運んでやる。桃色をした小さな唇にツンと当てると、躊躇いがちにそれが開かれる。
やはり彼は従順だ。抵抗することを知らないのかもしれない。
本当ならつまらないと思うはずだ。でもどこまで大人しく受け入れるのか、彼の中のボーダーラインを知りたくなる。それを越えた時、どんな反応を見せるのかも興味深い。
どちらかといえば負けん気の強いタイプが好みのはずの彰吾も似たようなことを考えたらしい。初めて出会う類の玩具を面白そうに眺めている。
「ねぇ、名前はなんていうの?」
「藤沢、葵です」
名前も知らないくせに誘いをかけてきたことに疑問を抱かず、素直に返事をするところも愚かで可愛らしい。
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