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「緒方さん」
保健室の扉が開閉する音が聞こえ、彰吾はそれを合図に席を立った。だが、彰吾を引き止めるように葵から控えめに声が掛かる。
「なに?」
「……あの、ありがと、ございます」
体調を崩していても構わず手を出してきた相手に言う台詞ではない。いくら保健室に運んだことに恩を感じていても、だ。
「そういうのも親父の趣味なの?」
彰吾が投げ掛ければ、葵は戸惑った顔をする。何を問われたのかをそもそも理解出来ていない顔だ。だが、彰吾もそれを確認してどうしたかったのか分からない。
だからそれ以上不毛なやりとりを続けることはなく、保健室を後にした。
「葵のこと、攫ったんだって?」
三年の教室が並ぶ階に上がれば、廊下では美智が彰吾を待ち構えていた。どうやら登校時の出来事は既に広まっているらしい。それを耳にし、事実を確認したくなったに違いない。
「そういう話になってんの?貧血でぶっ倒れてたから保健室運んだだけ」
「へぇ、優しいんだね彰吾は」
どこか棘のある言い回しだ。明らかに彼は自分抜きで葵に接触した彰吾に妬いている。
「で?」
「でって?」
「何して遊んだの?」
ただ運び込んで終わりだなんて、彼は微塵も考えていないようだ。きっと彼は試験前の戯れで彰吾ばかりが葵を独占したことも、どこかで根に持っているのだと思う。気にしていない素振りは見せていたものの、美智の性格からしてすんなりと引くほうがおかしい。
「ヤッてはいねぇよ」
「そうなんだ?」
ここで葵に何をしたか逐一説明するつもりはない。もうすぐ朝礼のチャイムが鳴るし、周囲には絶えず生徒達が行き交っているのだ。
「情が湧いたのは彰吾のほうなんじゃない?」
彼は先日の彰吾の発言も引っかかっていたらしい。彰吾としては何の気なしに言った言葉だったが、彼の中の何かに触れたようだ。
「さぁ、わかんねぇ」
さすがに違うとは否定出来なかった。
葵をわざわざ保健室に連れて行ってやったことも、食事を与えたことも、そしてあんな風に体に触れたことも。筋の通った説明など出来そうもない。ただ自然と行っていた。
「葵は可愛いもんね」
「……あぁ」
美智が指すのはおそらく容姿だけの話ではない。従順な気質も、淫らな体も、それでいて不思議なほど無垢な一面を覗かせることも。可愛いという言葉が似合うのだとは思う。だから彰吾は美智の言葉に同意してやったものの、それが素直な本音ではなかった。
葵の裏に父親の影を感じてしまうと、無性に気分が悪かった。
だから葵が従順さ以外、例えば涙したり、抵抗したり、拒絶したり、そんな振る舞いを見せた時のほうが葵の素を覗けた気がしてよほど可愛らしいと感じてしまう。
それなのに何故、葵を慈しむようなことをしてしまったのか。自分でも分からない。
彰吾が苦悩を隠しきれずにいると、美智は嬉しそうに笑った。
「次が楽しみだね」
明日で試験が終わる。だからいつも通りの日常が始まるのは明後日だ。葵をまたあの部屋に呼び出し、そして二人で抱く。それももはや日常の一部になりつつあるのかもしれない。
いつまでこんな遊びを続けられるのか。
その主導権すら、姿の見えない父親が握っている。それがまた、彰吾をやりきれない気持ちにさせたのだった。
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