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第1話-③

「改めまして、野島幸太郎(のじまこうたろう)です!」  満面の笑みで自己紹介をする幸太郎に対し、将太はテーブルに肘を立て、頭を抱えながら聞いた。 「……もしかして、あんたって幽霊?」 「うーん、そうなるのかな。僕、気付いたらここにいたんだよね。建物も人もみんなすり抜けちゃうし、声をかけても誰も振り向いてくれなくて。でもそんな時に将太とぶつかって、僕の存在に気付いてもらえたのがすごく嬉しかったんだ」  幸太郎は将太の手を両手で掴むと急に体を寄せてきた。突然掴まれた手と至近距離の顔にビクリと肩が跳ねる。 「それでね!そんな将太にお願いしたいことがあるんだ!」 「お、お願い!?」 「うん!」  幸太郎の茶色がかった濃い瞳に将太の姿が映り込んだ。 「僕を成仏させてほしい」 「断る」 「即答!?」  間髪入れないその返答に、幸太郎は分かりやすいほど眉と口を垂れ下げて、今にもべそをかきそうな表情を見せた。 「当たり前だ。いきなり付いて来られてはい、そうですかなんて言うわけないだろ。あと何で俺の名前既に知ってんだよ。俺まだ名乗ってないぞ」 「知ってるよ。大学で友達に名前呼ばれてたの僕聞いてたし」 「それに!俺は今黒いモヤのせいでいっぱいいっぱいなんだ。とてもそれどころじゃないんだよ」  幸太郎は不思議そうな顔をして聞き返した。 「黒いモヤ?」  しまった。と将太は目を逸らす。黒いモヤのことは誰にも話したことがない。自分以外誰にも見えないのだ。そんなことを話したら変な目で見られるに違いない。不審がられるのがオチだ。それに、話したところで解決出来るような現象ではないからだ。  それなのに、会ったばかりの奴にうっかり口を滑らせてしまうなんて。しかも幽霊という奇怪な存在に。いや、むしろ幽霊だからこそ言ってしまったのかもしれない。  毎日繰り返される黒いモヤの出現。自分自身、その恐怖を一人で抱えることに相当疲弊していたのだろう。目の前の幽霊もどうせ他人には見えないのだ。だったら気休めでもいい。少し話すくらいはしてもいいだろう。  将太は少しの間迷ったが、ゆっくりと口を開いた。 「……黒いモヤがよく視界に現れるんだよ。最初はぼんやり遠目で見える程度だったけど、次第にはっきり見えだして、そしたら日に日に俺の傍で現れるようになったんだ。大きさもどんどん大きくなっている気がするし、最近はソレに飲み込まれるような嫌な感じもして……毎日気が気じゃないんだよ」  話せば少しは気が楽になるかと思ったが、別段そうでもない。明日も明後日も、その次の日も、またあの禍々しいモヤが目の前に現れるのだと想像すると、背筋がぞわりと冷たくなる。 「だから本当に勘弁してくれ。これ以上厄介ごとに巻き込まれたくな――」 「わかった!」  幸太郎が将太の言葉を遮って声を出した。 「だったらその黒いモヤ、僕が何とかするよ!」 「は!?」 「将太が成仏の方法を探す間、僕がその黒いモヤを退治したらいいんだね」 「成仏の方法って、俺はやるとは一言も言ってないぞ」 「結果、僕は無事成仏して、将太にも平穏が訪れる!」 「おい、コラ」  幸太郎は不敵な笑みを浮かべると、指をL字に構え顎につけて決めポーズを取った。 「どう?いい案じゃない?」 「人の話を聞け」  自分のペースを崩さない幸太郎に少々振り回されながらも、将太も負けじと続けて聞いた。 「そもそもそんな簡単にいくのかよ」 「ほら、幽霊には幽霊で対抗させると効果ありそうじゃない?」  そもそもあの黒いモヤは幽霊の類なのだろうか。正体もよくわからない不気味な現象によくそんな簡単に退治だなんて言えるものだ。しかも、こんな能天気そうな奴がアレに対抗出来るものだろうか。正直不安しかない。  しかし、少なくとも目の前にいる幸太郎からは黒いモヤのような恐ろしさやおぞましさといった負のオーラは全く感じない。一先ず、害は無さそうな気がした。それなら何もしないよりはマシかもしれない。  将太は幸太郎を見つめると口を開いた。 「……本当に、何とかしてくれるのか?」  その問いを聞くと幸太郎は体を宙に浮かせ、将太に笑顔を向けて言った。 「やるやる!絶対何とかするよ!僕が将太の用心棒になるから安心して!」  幸太郎が口にした”用心棒”という言葉に頼りなさを感じつつ、将太はやる気に満ちている幸太郎を見上げた。すると、幸太郎の両手が将太へ伸びた。 「大丈夫」  背中に回された腕。体を包み込むように優しく抱きしめられ、将太は思わず目を見開いた。 「将太は僕が必ず助けるよ」 「お、おう……。って何抱きついてんだ、離れろ!」 「えへへー」  こうして何の変哲もない普通で平凡な日常から、幸太郎(ゆうれい)との非日常的な日常生活が始まったのだった。

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