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第4話-④
「ただいま。幸太郎戻ったぞ」
玄関を閉め、靴を脱ぎながら将太はその異変に気付く。家の中があまりにも静かだ。いつもなら、幸太郎がひょっこり顔を出して将太の元へ飛んでくる。仕切られた寝室のドアを開け、幸太郎の名前を呼んだ。
「幸太郎?」
しんと静まり返った部屋の中。幸太郎の姿は見当たらない。
「幸太郎……?」
胸が、ざわついた。
辺りを見回し、将太は必死に幸太郎の名前を呼んだ。浴室、トイレ、ベランダ、どこを探しても幸太郎の姿はない。まさか、そんな。別れとはこんなにも突然に、あっけなく来てしまうものなのか。こんなことになるくらいなら出かけなければよかった。将太の表情に後悔の色が滲む。
その時だ。ふわりと、背後から優しく抱きしめられた。
「ここにいるよ」
包み込むような柔らかな声。その声に、涙が込み上げる。
「えへへ、僕も外に行ってて――」
将太は言葉を待たず振り返り、幸太郎を強く抱きしめた。しかし、目の当たりにしたのは更に透明化が進んだ幸太郎の姿だった。腕も、足も、腰も、辛うじて見えるのはその輪郭だけだった。もうほとんど消えかかっている。どのみち、幸太郎との時間はもう長くはなかったのだ。
「……将――」
「分かってる」
将太は悲痛な表情で幸太郎に告げた。
「分かってるんだ、こんなこと望んじゃいけないって。お前をちゃんと送り出さなきゃいけないって。分かってる、分かってるのに……!」
幸太郎の姿が忽然と居なくなった時、抑えていた気持ちが止められなくなった。それは身勝手な願いだ。けれど、もし可能性があるのなら。もしこの場所が、幸太郎にとっても特別だと感じてくれていたのなら、この先も共に傍で笑っていてくれないだろうか。消えることを思い留まってくれないだろうか。
沸き起こる不安と焦燥感。肩を抱く将太の手にも一層力が入る。懇願するように、将太は抑えていた感情を幸太郎に伝えた。
「消えてほしくないんだ!ずっと、ここに居てほしいんだ、幸太郎……!」
すがりつくような声色。肩に顔を埋め、必死に願う将太の言葉を、幸太郎は物悲しそうな表情を浮かべて聞いていた。
「お願いだ……傍にいてくれ……」
この手を放してはいけない、将太はそう感じた。何故だかは分からない。けれど、今この手を放したら、放してしまったら、きっと、もう二度と幸太郎と会うことは叶わない。そう直感したのだ。
「ごめんね将太。それは出来ないよ」
耳元で、そっと囁くように優しく返された否定の言葉。
「僕はずっとここに居ることは出来ないよ。体も、もうこんな感じだし……」
幸太郎の姿形が一層が薄くなっていく。
「でもね」
優しい眼差しを向け、微笑みを浮かべて幸太郎は告げた。
「例えこの姿が消えたとしても、僕は、ずっと将太の傍にいるよ」
「待ってくれ幸太郎……幸太郎……」
弱々しく何度も名前を呼ぶ将太。幸太郎はそんな将太の左手を優しく手に取ると、その薬指に艶めく銀色の指輪をゆっくりとはめた。
「だからね、将太。どうかお願い……」
幸太郎の声が次第に遠のいていく。行かないでくれ。必死の思いで手を伸ばした将太。しかし、無情にも幸太郎の体は消えていく。型取っていた輪郭も徐々に失われていった。伸ばしたその手はもう触れることすら叶わなかった。
まるで結晶のようにきらめく光を纏い、幸太郎は遂に将太の前から完全に姿を消したのだった。
「思い出して、僕のことを――」
その言葉を残して。
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