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第6話-②

 ぱちりと目を開けるとそこは病室から一遍し、視界に入る景色は屋外になっていた。病院の外ではない。全く別の場所だ。後ろを振り向くと奥に壮観な建物が見えた。茶色い外装に、外国のお城のような外観。古風だが立派なその建物は敷地奥に高々とそびえ立つ。側には大学名が刻まれた、これまた立派な門がそびえ立つ。T大学。その名を見て幸太郎は気付く。確か将太が通っている大学だ。頭が良い大学として名前だけは知っていたが、実際に建物を見たのは初めてだ。こういう大学は歴史もあって門も立派な造りをしているのだな。そう思い、手を伸ばしたその時だ。 「うわぁ!」  体が門をすり抜けた。掴むことが出来ない。思わず手を引っこ抜き、後ずさりをすると今度は体が宙に浮いた。 「えっ、え!?」  よく見ると自分が着ている服も変わっている。今日着てきた服ではない。その格好は事故があった日、あの日のために買った新しい服だった。 「何これ、どうなってるの!?」  それは、幸太郎が将太の傍にいる時だけ起こる現象だった。将太に語りかけていたはずが、いつの間にか眠りにつき、夢を見るようになったのだ。最初は「ついうたた寝をしてしまった」それくらいにしか思わず、特に気にも留めていなかった。しかし、見舞いに行く度にその現象は起こった。  そしてもう一つ、夢を見ると同時に欠かさず起こることがある。その夢に必ず将太が現れるのだ。  夢の中の人、物、それらに触れることは出来ない。幸太郎の姿は誰にも見えず、声も届かない。しかし、ただ一人。たった一人、それが可能な人物がいた。そう、幸太郎の恋人、将太だ。  けれど、夢の中の将太は幸太郎のことを覚えてはいなかった。何度将太の前に姿を現しても、避けられ、逃げられ、会話もしようとしてくれない。  幸太郎は眠る将太に苦笑いを浮かべながら言った。 「夢に出て来てくれるのは嬉しいけど、避けられるのはやっぱり寂しいなぁ」  胸に一抹の不安が湧く。将太が目を覚ましたその時、果たして将太は恋人のことを、野島幸太郎のことを覚えているのだろうか。「コタ」と呼んで、また以前のように笑いかけてくれるだろうか。それとも、このままずっと目を覚まさずに……。  幸太郎は頭をブンブンと横に振った。 「いかんいかん!ネガティブ思考になってるぞ!切り替え切り替え!あ、そうだ!」  そう言って幸太郎はボディバッグを開けた。取り出したのは、紺色のベルベット素材の小箱だった。 「コレなーんだ!」  手のひらに乗せてゆっくりと開くと、中から艶やかに煌めく銀色の指輪が姿を現した。 「あの日、渡したかった指輪だよ」  幸太郎は目を細め、将太に優しい眼差しを向けた。 「目を覚ましたら、将太どんな顔するかな……」 「あらあら、それは楽しみね」  優しく落ち着いた女性の声。思わず声のする方へ顔を向けると、入り口に一人の女性が立っていた。一つにまとめられたセミロングの黒髪。笑顔を浮かべる白衣姿の彼女の手には、バインダーと輸液パックが抱えられていた。 「木下さん!」 「前々からもしかしてと思っていたけど、そっかぁそういうことだったのね」  にこやかに笑みを浮かべ、点滴を交換しに来たと伝えると看護師の木下は手練れた手つきで点滴をセットし始めた。その隣で幸太郎はおずおずと口を開いた。 「……木下さんは僕のこと、変、とか思わないんですか?」 「どうして?」  両手に乗せていた指輪ケースをぎゅっと握り、幸太郎は言った。 「……だって、男同士、だから……」  木下は交換作業をしながら穏やかな口調で幸太郎に伝えた。 「幸太郎くん、愛情はね、人種、性別、年齢関係なく与え合えるものなのよ。その気持ちが本物であれば国籍や地域、年の差、異性か同性かなんて、私には小さなことに思えてくるわ。大切なのは、愛する人とどう向き合い、共にどう過ごしていくか」  下を向いた視線を上げ、幸太郎は木下を見上げた。 「その指輪、軽い気持ちで用意したわけじゃないでしょ?」  太陽の日差しが病室を照らす。力を込めていた手を緩め、幸太郎は指輪ケースを優しく包み込み、ひと撫でするとほころんだ声で返した。 「はい」  木下は将太の顔を覗き込み笑顔を浮かべて言う。 「幸太郎くんからこんなに大きな愛情を貰えるなんて、将太くんはとても幸せ者ね。羨ましくてたまらないわ」  にんまりと笑い、幸太郎に視線を向ける木下。幸太郎はその視線を受け、頬を染めて照れ笑いを浮かべていた。 「幸太郎くん、毎日お見舞いに来てくれてありがとね」 「いえいえ!毎日お見舞いに行くって決めたの僕ですから!雨の日も風の日も欠かさず来ますよ!」 「そうね……台風が来ようが電車が止まろうが、びしょびしょになりながら来たこともあったわね。さすがに高熱出してる時は止めたけど」  振り返りながら言う木下の表情は笑っているが、背後に般若のような鬼の姿が見えた気がする。幸太郎は思わず縮こまりながら返事をした。 「ごめんなさい……」  幸太郎は視線を将太へ向け、眠る姿を眺めると伏し目がちに視線を落として口を開いた。 「……本当は、僕が不安なだけなんです。将太の為に何かしたいけど、今の僕に出来ることはこれくらいしかなくて……。このまま将太が目を覚まさなかったら、死んでしまったら……そう考えると、後悔ばかりが頭をよぎるんです」  脳裏に浮かぶ事故直後の光景。目の前には、横たわって動かない将太の姿。その体を伝い、徐々に地面を染めていく赤黒い血。その光景は今でも鮮明に思い出される。  幸太郎の握った手に力が入った。 「あの日、どうしても想いを伝えたくて、無理言って連れ出したのは僕なんです。だから、僕が出かけようなんて言わなきゃ、日にちをずらしてさえいれば、将太はこんなことにはならなかったんです……」  特別な日にするつもりだった。喜びに満ちた、忘れられない幸せな日に。そうなるはずだった。なのに。  次第に震える幸太郎の声。その声に、悔しさと後悔の色が混ざる。 「全部僕が悪いんです。僕のせいで将太は……!」 「幸太郎くん」  そっと肩に触れる手。木下はゆっくりと声をかけた。 「起きてしまったことはもう変えることは出来ないわ。過去に戻ることは出来ないもの。でもね……」  腰を下ろし、幸太郎と同じ目線になると木下は真っ直ぐ見つめて言った。 「だからこそ私たちは、今、出来ることをするのよ」  柔らかく微笑み、立ち上がると木下は続けた。 「幸太郎くん知ってる?昏睡状態だった患者が目を覚ましたきっかけ。それは好きな曲だったり、香りだったり、愛する人の声だったり。人それぞれ違うの。幸太郎くんは毎日将太くんに話しかけてくれているでしょ?実感ないかもしれないけど、その言葉一つ一つ、脳にはちゃんと届いているのよ」  優しくも心強い声が幸太郎の背中を押す。 「大丈夫。幸太郎くんがしていることは、十分将太くんに届いているわ。だから信じましょ。その指輪も、将太くんきっと笑顔で受け取ってくれるわ」  何度も病院を訪れ、将太に会い、話しかけてきた。それでも将太は変わらぬ姿でずっと眠り続け、動かないままだ。やっていることに意味なんてあるのだろうか。そんな風に自分に問うこともあった。夢にまで見るほど将太が恋しくて堪らない。寂しくて堪らなかった。自分のせいだと思うと胸が苦しくて辛くて、目を覚ました時、どう謝ったらいいのか、そんなことを考えたりもした。  負の感情が沸き起こる度に、幸太郎はそれを必死に抑え込み前を向いて続けてきた。けれど、どんなに明るく振舞っていたとしても、時には一人で抱えきれないことだってあるのだ。  抑え込んでいた気持ちの蓋。木下の言葉が幸太郎の心に響き、そっと放たれていく。  幸太郎は安堵したように、その表情に穏やかな笑みを浮かべて返事を返した。その声が、自分でも驚くくらい落ち着いていることに気付く。気負い過ぎていたのだろう。たまには吐き出すことも必要なのだ。幸太郎はそう身に沁みて感じた。 「あら?」 「どうしたんですか?」  書類に記入していた手を止め、明るい表情で木下が言った。 「将太くん、昨日よりも脈拍が安定しているわ」 「えっ、本当ですか!」 「えぇ、きっと幸太郎くんのおかげね。良い傾向良い傾向!」  素直に嬉しい。そう思った。少しずつでも回復に繋がっているのだ。そう思える自分がいた。  木下は作業を終え、病室を出る前に振り向いて幸太郎に伝えた。 「幸太郎くん、私で良ければ何でも相談してね。将太くんに目を覚ましてほしいと思っているのは私も同じだから」  そして指を立て、念を押すように続けて言う。 「あまり一人で抱え込んじゃダメよ!」 「はいっ」  背筋を伸ばして返事をした後、肩の力を抜き、幸太郎は感謝を込めて伝えた。 「ありがとうございます」  この声はきっと将太に届いている。信じて続けよう、この先もずっと。将太を見つめ、幸太郎は再びそう決意した。

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