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第7話-①

 病院の中庭は草木や花壇が整えられ、ちょっとした小道も整備されている。入院患者や見舞いに来た来院客の憩いの場にもなっており、外の空気を吸うにはちょうど良い場所だ。とはいえ、ここ数日は猛暑が続き、灼熱の太陽のもとわざわざ外を出歩く者はそう多くない。病院内の涼しいエントランスを利用する人がほとんどだ。  幸太郎も同じく院内で一息つこうと思っていたのだが、いつも好んで買っている自販機のジュースがちょうど売り切れていた。他の飲み物を買うという選択肢もあるが、今の口はそのジュースだ。どうしても飲みたい。幸太郎は返却レバーを押し小銭を回収すると、中庭の自販機へと足を運んだ。  照り付ける太陽。そこら中セミの大合唱が聞こえる。少し外に出ただけでも汗がじんわりと滲んでくる。ようやくお目当てのジュースを買い、手に取ろうとしたその時だ。 「うわっ。あ、あああ!」  隣の自販機で、初老の男性が慌てた声を出した。同時に耳に入った金属音の散らばる音。目を向けると、そこら中に小銭が転がっていた。幸太郎の足元にもいくつか跳ねてきている。慌てて拾い上げる男性の隣で、幸太郎も一緒になって散らばった小銭を拾い上げた。 「はい、どうぞ」 「あぁ、すまないね。ありがとう」 「いえいえ、多分これで全部だと――」  言いかけて、幸太郎ははたと止まった。この初老の男性、どこかで見かけた気がする。見覚えがある。しかし、どこで見かけたのか中々思い出せない。他人の空似だろうか。気になったが、あまり深く考えることでもないだろう。幸太郎はそう思い、再び男性に笑顔を向け小銭を渡した。 「教授!」  その呼び声に初老の男性は振り向いた。視線の先には小走りでやって来る若い男性の姿が見えた。 「こちらにいらしたのですね。迎えのタクシーが来ましたよ」 「ああ、分かった」  ワイシャツにグレーのスラックスパンツ姿の男性。スラリとした細身の男性は、幸太郎よりいくらか年上のように見える。 「教授、夕方の授業で使用する映像資料の件ですが、分館に保管してある物であれば代用できるかと。映像チェックが必要かと思いますが、どうなさいますか?」 「そうだな、大学に戻って一度確認してみよう。問題無さそうならそれを使うよ」  教授と呼ばれていた初老の男性。幸太郎は若い男性との会話を聞いてハッと思い出した。 「あの!」  歩き出した背中へ咄嗟に声をかけると、初老の男性は足を止め振り向いた。  呼び止めたはいいが、何と聞いたら良いのだろうか。幸太郎は一瞬間を置いて、ぎこちない口調で聞いた。 「あ、あのぉ……どこかお体悪くされたんですか?えっと……先生?」  初老の男性はきょとんとした顔を幸太郎に向けている。不自然な聞き方をしてしまっただろうか。幸太郎は一瞬焦ったが、しかし男性は直ぐに口元を緩ませて言った。 「ああ、もしかしてT大の生徒かい?ははは。私ではないよ、妻がちょっと入院していてね。今日はそのお見舞いだよ。心配してくれてありがとう」 「そう……なんですか。奥さん早く良くなるといいですね」 「ああ、ありがとう」  会釈をして、“先生”と呼んだその男性の後ろ姿を見つめる幸太郎。姿が見えなくなった後、不審な思いを抱いた幸太郎は思わず口元に手を当てた。有り得ないことが起きている。そう思った。しかし半信半疑だ。  幸太郎はゴクリと唾を飲むと、スマホを取り出し地図アプリを起動させた。検索してヒットした場所、T大学。そこは将太が通っている大学だ。幸太郎は目的地を定めると、自分の目で確かめる為、その場所へと足を進めた。

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