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第8話-③
「幸太郎くんお待たせ」
その声に気付き幸太郎は振り向いた。
「こんな時間になっちゃってごめんね!同僚に説明するのに時間かかっちゃって」
そう言って顔の前で手を合わせて謝る木下。説明とは何のことだろうか。幸太郎は軽く首を傾げながら答えた。
「いえ、こちらこそ突然すみません。時間作って下さってありがとうございます」
夕方、総合受付で幸太郎を見た時も思ったが、何となく幸太郎にいつものような元気が感じられない。ベンチに腰を下ろすと、木下は早速本題を切り出した。
「それで?話って、将太くんのことかな?」
幸太郎はゆっくりと瞬きをし、木下へ顔を向けると真剣な眼差しで口を開いた。
「はい、実は――」
お見舞いを始めた日から病室で見た数々の夢。その出来事を幸太郎は木下に話し始めた。
「夢?」
「はい。最初は将太を失いたくないという僕の強い思いが、ああやって夢になったんだと、そう思っていたんです。夢の中で将太と会えて、声が聞けて、それが嬉しくて浮かれていました。でも、次第に違和感を覚えたんです」
過去に訪れたことも、会ったこともない。知らない場所、風景、出会ったことのない人まで、夢の中で見たそれらが現実の世界にそのまま存在していた。そんな偶然があるのだろうか。不可解で非現実。こんな話題、正直引かれるかもしれない。幸太郎はそう覚悟していた。しかし木下は終始頷きながら幸太郎の話を聞いていた。
「すみません。突然こんな話、信じてもらえないかもしれませんが……」
「いいえ。実際、医学で説明できないことって世の中には存在するもの。私は医療に携わる人間だけど、こういう不可思議なことも神秘的に思えて好きよ」
木下は夜空を見上げて少しの間考えると口を開いた。
「ねぇ幸太郎くん。もう一度聞くけど、その夢は将太くんの側にいる時だけ見るのよね?」
「はい。普段家で寝る時はそういう不思議な夢は全然見ませんでした。この現象が起こるのは必ず将太の側にいる時だけです。それと、最近気付いたこともあって……」
「気付いたことって?」
「夢から目覚めた時のことです。最初はうたた寝をしていたくらいの感覚だったんですが、最近は目覚めたあと、あぁ自分の体に戻ってきた、そういう感じがするんです」
「どういうこと?」
「上手く言えないんですが……普段見る夢は、例えるとテレビの映像を見ているようなイメージなんです。内容もあやふやでぼんやりしているし、会話も覚えていないことが多い。でも病室で見る夢はそうじゃない。全てはっきりと見えるし覚えてる。まるで僕自身がその場に居るような、現実世界と変わらない感覚なんです。でも夢の中では体も浮くし、将太を除いて一切触れることも出来ない。何というか……体の形をした僕の魂が夢の中の世界へ行っているような、そんな感覚なんです」
幸太郎は苦笑いを浮かべ頭を掻いた。
「うーん、感覚の話って説明が難しいですね。伝わりづらくてすみません」
木下は口元に手を当て、再び考えると言った。
「今の話を聞いて私が思うに、その夢は幸太郎くんの夢というより、眠っている将太くんの夢なんじゃないかしら」
「え?」
「将太くんの夢の中に幸太郎くんの意識が入り込んでいる。そんな風に感じるわ」
「僕が、将太の夢の中に……!?」
木下はこくりと頷くと指を折り畳みながら続けた。
「この夢を見るのは将太くんの側でだけ。夢には将太くんが必ず現れる。幸太郎くんの知らない建物や人が夢にも現実にも存在している。幸太郎くんは夢の中の物には触れられない。その夢を将太くん視点に変えると、どう?」
「確かに、将太の夢ならそれが将太の記憶でもあるし、僕の知り得ないことがあるのも頷ける。それに、僕は将太本人じゃないから夢の中の物や人に干渉ができない。そこは合点がいくけど……」
それならば何故将太にだけ触れることが出来るのだろうか。それだけではない。話すことだって出来た。将太自身も幸太郎の姿が見えていた。だが、夢の中の将太は幸太郎のことを全くの他人、初対面であるような振る舞いをしていた。幸太郎に関する一切の記憶が無かったのだ。
「この間、昏睡状態の患者の話をしたわよね。その体験談の一つに、眠っている間に夢の中で別の人生を歩んでいたって話があるの。もしかしたら、将太くんも今同じような状態なのかもしれないわ」
「別の人生……!?」
「えぇ、一つのパラレルワールドのようなものかもしれない。でも、そこは将太くんがずっと居ていい場所じゃないわ」
木下は幸太郎に顔を向けると、柔らかく微笑んで言った。
「だって、彼の帰りを待っている恋人がここにいるんだもの」
幸太郎は目頭にじんわりと熱いものを感じた。唇をぎゅっと結び、こくりと頷く。
「もし、幸太郎くんが将太くんの意識下に入って、将太くん自身に何かしら影響を与えることが出来たなら、うまくいけば将太くんの意識を取り戻す手だてになるかもしれない。なぜ幸太郎くんが夢の中へ行けるのかは分からないけど、一つだけ言えることがあるわ」
木下は指を立てると、幸太郎の胸元に軽く突き立てた。
「今、幸太郎くんの身に起こっていることはきっと意味のあることよ。そしてこれは君にしか出来ないこと。将太くんが目を覚ますカギは、幸太郎くん、あなたが持っているのかもしれない」
胸がドクンと波打った。自分には待つことしかできないと思っていた。自分にしかできないこと。木下の言葉が頭の中で繰り返される。やらない、なんて選択肢は既に頭になかった。やるんだ。そこに可能性があるのなら、何度だって追いかけて追い付いて目の前に現れて、将太に気付いてもらうのだ。忘れられたのなら、1から自己紹介をしたらいい。野島幸太郎という存在をもう一度知ってもらうのだ。どんな理由でもいい、少しでも将太の傍に居られる口実を作れ。きっとこれは神様がくれたチャンスなのだ。
用心棒。その言葉に将太の不安な眼差しが向けられた。そんな彼に向かって腕が伸びる。幸太郎は両手いっぱいに彼を抱き締め包み込んだ。ゆっくりと開く瞼。そして幸太郎は告げた。その瞳に決意を宿して。
「大丈夫、将太は僕が必ず助けるよ」
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